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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2008年10月28日

城下町鶴岡の保育課題について

         (対話)  鶴岡とはどんなところ?そして・・・
             これからの時代の子育ての課題とは?
    (登場人物) Aさん 鶴岡で生まれ育ったベテラン保育士さん
             Bさん ここでの滞在はかなりですが他県出身の人

        無口で控えめだが重みが?・・・・・この城下町の人間像
B おやまあ、保育園を紹介するのに、まず「鶴岡とは?」からですか。
A ええ、これからの子育てを考えるのに、やはりこれは欠かせない課題と思ったからだと思います。子どもは自分自ら環境を選べない、と言われます。何といってもここが子どもたちの育つ大きな舞台だからです。
B でも鶴岡を手短かに語るのはむずかしいですね。人によって様々な意見があるでしょうし。今は国際的視点からのコメントも必要かもしれません。
A 確かに・・・。それでも話し合いのきっかけになれば、と気楽にいきましょうか。そして話を鶴岡が育ててきた人物像ということに限定しましょう。
まず手近かなところでは、やはり藤沢周平でしょうか。あそこに出てくる下級武士たちがどこか鶴岡の人らしい、とよくいわれます。作家の現代的解釈もあるでしょうけれど・・・・無口で出しゃばらないで、万事に控えめながら、どこか気骨というか重みが感じられるという・・・・(苦笑)。
B でもね、自分はもうあんなんじゃない、と思っている人も今は多いでしょう。ただ自分のこの引っ込み思案や社交べた、あるいは会議なんかでどうしてみんな黙っているんだろう、亭主の関白ぶりなどいったいどこからきたのかなあ・・・・なんて悩むときですね。ここの環境に目が行くのは。
A 何といってもここには、周囲の農山漁村も含めて、「城下町の雰囲気」があります。江戸時代は300年、明治維新からは、まだその半分にも達していません。あの時代、人々は上下関係、階級や差別意識はじめ、秩序や礼節、或いはしきたりなどを徹底してインプットされたんです。
B 教育の力は恐ろしいといわれるように、時代がすっかり変わった現代でも、私たちの無意識には相当古い時代のものが残っているように思います。それを私は「武士道精神」と呼ぶんです。
A とにかく真面目で我慢強く、遠慮深く、人を立てる傾向。言葉遣いも穏やかで品があり、争いを好まず、町もどっしり落ちついた風格と奥深さがあるといわれる・・・・。。これは港町の酒田とよく比較されて指摘されるところですね。          
B ええ、時代の風にはそう敏感ではなくとも、自分の本分と信じる所を陰でコツコツ努力する。そんな風にしていつの間にか大きな仕事をしている。そんな学者や思想家も多く出ています。『鶴岡の生んだ人物』という本を見ると、優れた人が各方面に出ているのでびっくりするほどです。とかく保守的といわれる鶴岡ですが、時代に先駆けた進歩的な人も目につきますね。
A それからこの庄内の自然条件の影響も見逃すことはできません。
 ここは周囲を山々と海によって遮断され、外部世界との交通交流が大変困難でした。他からの干渉や影響が少ないだけに独自な文化を作ってきたと言えます。
土地は長方形の1枚の巨大な畳のようなこの庄内、田畑の作物や海産物にも比較的恵まれ、酒井の殿様との関係も良かったので、人々は生活のためにいらだたないで、まずは平和的に過ごすことができた。おっとりしてのんびり型の人が多いのは、この環境が一役かっていると思われます。
B 月山、鳥海山、日本海、最上川、赤川、幾つもの温泉その他、お国自慢の
材料には事欠かないわけですね。愛郷心も湧き上がってくるわけです。
 それではいよいよ、ここでの子育てをふりかえってみたいのですが・・・。             
A そうしたいわけですが、実は私も不勉強で余りよく知らないのです。これから昔についての本を読んだり、古老に聞くこと。あるいは、祖父母などに集まってもらって、親にどんなしつけを受けたか、話してもらうのも一手でしょう。
でもさし迫った課題としては、まずは保育者や父母たちが自分自身の育ちを振り返ってみることではないでしょうか?
B そうですね、そうしてここの良い伝統をこれからの保育教育に、是非生かしていきたいです。同時にこれからの時代ということも考えながら、私が気づいた幾つかの提言をさせていただきたいのですが・・・。
A ええ、結構です。遠慮なく話してみてください。
B でははじめにひとこと・・・・・・今は飛びきり素晴らしい時代がきていることです。色々大変な毎日かもしれませんが、かつての封建時代や戦争が続いた時より、はるかに自由なんです。こんな時に子育てに関われることを感謝し、大いに楽しみたいものです。
 村一つ分の人手が要るもの・・・・・でも今の日本には子育てを困難にする多くのことがあります。その一つは核家族というもので、これはかつての大きく親密だった共同体よりはるかに始末が悪い。そこで自分だけでどんなに必死に頑張ってみてもうまくはいかない。「子どもを育てるには村一つ分の人手が要る(ヒラリー・クリントンの言葉―『かしこい親の子育て術』 申宜真著 小学館)。みんなからの応援を気楽に受けることです。、このガイドブックもそのためにも書かれたのです。
それでは次に6つの課題をあげてみましょう。
 
             「城下町鶴岡」での子育ての課題
 さて、このテーマに向かう時、これまであげた美風はいいとしても、気になることがあります。それは保育教育にとって負(マイナス)の財産も負わされていることに、一般に余り自覚が薄いと感じられることです。それは何かというと、外部世界との交通だけでなく、町の様々な人々同士の、自発的にして遠慮のない交流が抑えられてきたこと。即ち、身分・家柄・出身地や出た学校による差別や先入観、或いは家父長的雰囲気に災いされ、つきあいも形式や義理、建前や遠慮が強い傾向は否めないのではないか?いわば「社会的応答性」が豊かな環境ではなかった、と思うのです。先程の「無口で控えめ・・」というのも、現代の保育学からは、別の評価も可能でしょう。
しかしこれから以下の課題を明確に意識しつつ子どもたちと日々向き合うなら、必ず彼らがいい方向に向けていってくれる、と確信します。この意味でも「幼な子こそ大人の教師」・「子育ては自分育て」なのです。
① 愛情を深める・・・・・まず私達自身のことです。愛情はあるが、とかく身勝手なもの。気づいてみれば、親自身の自己愛でしかなかった、などと反省を繰り返しながら、よりホンモノの利他の愛を深めていく。それは自分をむなしくして相手に与えること。自分の思い、時間、エネルギーを注ぎ込むことです。それだけの手数をかけることが決してむなしくはならない、しかもこれは、未来社会づくりでは、その第一線に位置する意義ある仕事であること。父親たちもこのことに気づいて欲しいですね。
②  人生観・価値観を持つ・・・・・・正直、素直、従順、真面目で勤勉などは、それ自体素晴らしいのですが、それだけでは危ない。権威に従順の時代は過去のもの。今はよい目、注意深い耳、そして自分でしっかり考えることが必須の時代となりました。子どもの姿を見、自分を振り返る。そして教えられ学ぶ。さらに「なぜ」と問う。人にもどんどん質問する。そこから自己というものが少しづつ出来てきて、自分なりの人生観・価値観も生まれてくる。「本当の幸せって何?」と考え始める。やがて周囲を見る批判力も備わってきて、悪への抵抗精神も強くなるはずです。
③  自分の声や思いが出せること・・・・・・人前で話すのが苦手で陰口が多い、といわれてきました。でもこうして自分ができてくると、小さくても「自分の声」を出してみたくなります。それはまず情緒ですね。昔のサムライは、喜怒哀楽を人前では表さず、半年に一度半顔で笑うなどといわれてきました(笑い)。でもこれからは共に泣き笑いしていいのではないか。地声で、又ホンネで積極的に話し聴き、喜びも悲しみも分かち合う。こういう発信型人間を育てたい、と思いませんか?
④ 積極的挑戦的人間に・・・・・昭和初期の市民意識調査には、「進取の気性(自ら進んでことをなす気持)に乏しい」との指摘があります。これまでは与えられた場所でコツコツ「一所懸命」でよかったかもしれません。でもこれからは、「行くてはアフリカ・ポリネシア」という「子ども讃歌」が象徴するグローバルな時代です。各自の持場は無論大事にしながら、視野も思いも広げ高め、果敢なる挑戦的冒険的精神をもっこと。未知な人も国も事物も思想なども恐れず、飛び込んでいく ・・・・・でもこういう豊かな社会性を育む大前提は「安心感」です。この世界は決して恐ろしいところではない、という思い。それは周りの誰か(乳幼児にとっては母親、ないしそれに代わるよき大人)との情緒的交流を重ねること(宗教の出番もこの辺か)。そこから何事も恐れない勇気の人も誕生してくるのです。
⑤ 遊びとユーモアの精神・・・・そういう中で、城下町では発達しにくかった人格の柔軟性やユーモア、余裕や遊びの精神、そして自由な創造性も養われていく。これらのことはみな、子ども達が教えてくれています。
⑥ 「自由保育」の徹底・・・・以上のすべてのためにも、今私たちが努力している(正しく理解された)「自由保育」がどのくらい十分できるか、これにかかっている、と私は思います。それは子ども一人ひとりが自分の思いも欲求も声も思い切り出し切って遊びこむこと、それを支援することです。野性味も伸ばし、周囲世界に、「興味関心好奇心のかたまり」のようになってぶつかっていく子がどうしたら育つのでしょう?
そのためには、たとえば幼児らの当然の探索欲求や自己主張を、「わがまま」などとして押さえこむようであってはいけません。また「迷惑をかけない子」に、というのはいかがなものでしょう。「これは子どもには禁句」だと、ある韓国の小児精神科医が指摘しています(申宜真の前掲書)。これでは自発的自己を自滅させてしまう、他人との様々なやりとりにブレーキをかけてはいけない。そこでしか自分の主張も抑制も、他者への理解も学べない。未知の他人への積極的思いやりも、そこからこそ出てくる、ということでしょう。
最後に・・・・子育ての基本は昔も今も変わらない、と思います。でもそれをはっきり自覚してどこまで実践できるか。それに人類の未来がかかっています。人類を「よくする」には、今の幼な子たちに「より良い幼児時代」を備えてあげるほかはありません。自分たちが育ったと同じように育てたのでは、進歩がない。それでは今私達が経験している人類の不幸が増すだけになりましょう。「保育園こそ「新しい人類の揺籃(ゆりかご」との使命感に立って、この仕事に打ち込む人々が求められています!                 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
A 御苦労様、大きな激励も頂き、とても面白かったです。色々考えさせられましたし、問題提起もありました。それをみんなの課題として、今後討論や研究、そして何より実践を重ねていきたい、と思いました。内容の基本は、日頃私達が学び確認し合っていることがほとんどで、改訂された「保育指針」(厚生労働省)にも沿うものです。ただ鶴岡の風土との関連で面白く、新鮮さを感じました。   (文責 矢沢俊彦)
  


Posted by 矢沢牧師 at 23:38

2008年10月21日

もし毎日雨だったら・・・・(幼児説教)

2008年10月20日
       「もし毎日晴れていたら・・・毎日雨だったら・・・」
         (NO.29 すべてを育ててくださる神様 お話 ゆかり先生)
★ まつくみさんが毎日畑で野菜のお世話をしています。ナス、きうり、トマト、豆
、おいも・・・・みんな大きくなっています。お百姓さんも、たんぼや畑で大忙し、でもできた野菜やくだものが沢山お店に並んでいます。まつくみさんもお百姓さんもうれしそうです・・・・が・・・・。
★ 今日はいいお天気、ととも気持がいいです。外遊びも大丈夫。でももし毎日いい
お天気ばっかりで、雨が全然降らなかったらどうなるでしょう。地面はかわき、気温は高くなり、海の水はどんどん減って、魚が大量に死んでしまう。森の緑は消え、木々はみんな枯れ、山は丸坊主。道路も地割れしてでこぼこになり、車も走れない。水道の水も出ないので、手も洗えない、お風呂にも入れない。
★ いや、それどころかお料理もできないし、まず水が飲めなくなる・・・これはつら
いですね。赤ちゃんのミルクもつくれません。みんな「ああ水が飲みたい・・」と叫んで、フラフラになりながら、そこいら中をうろつくことでしょう。でも川や泉に行ってもみなひからびていて、一滴の水もない。そこに沢山の森の動物たちが骨と皮ばかりになって死んでいるのです。
そして田んぼや畑はどうでしょう。せっかく大きくなっていた野菜たち、豆もきうりも
かぼちゃも、何もかもがみな死んでいます。そう、もう世界全体が砂漠になってしまうのです。何とこわいことでしょう。

★ でももし逆に・・・・毎日毎日雨ばかり降っていたらどういうことになるでしょう。
畑の野菜くんたちは水ばかり飲まされます。それでも雨がやまなければ、もうアップアップ、おぼれて死んでしまうでしょう。かわいそうですね。さらに雨が続けば・・・・・道路もみんなのお家も、東京タワーも、大きな町も、そして森やついには高い山もすっぽり水の中に沈んでしまう。世界中が大きな海になって、生きていた動物も植物も人間たちも全部がその中で滅んでしまうでしょう。これではもうどうしようもありません。
★ さて、でもありがたいです。雨はちょうどよいくらい降るし、お日様はちょうどよ
いくらい照ってくれる。うれしいですねえ。洪水にも砂漠にもならない!そうしてくださるのは・・・・・そう、天の神様です。神様なんて全然信じない人のお庭にも、野菜が育つようにされる。そうして、いつの日にか、「神様、ありがとう」とお祈りできるようになる日を待っておられます。お庭に野菜や果物が育つのは、神様が一生懸命だからなんですね(まとめー園長)。
  


Posted by 矢沢牧師 at 08:10

2008年10月21日

日本と教会への我が思い

① 雲のような味方の霊が 我が内にぞはいり来る もはy我は孤独にあらず
② かくあまたの困難ありてよくぞ信者は絶えざらなん この奇跡に凱歌あげたし
③ 深き教えで心を染め上げ 体で活きてみせること この難事ゆえの伝道難か
④ スケール大き人物を知り 砕かれゆく小さき我の大きな驕り
⑤ 欧文化の風下で 苦しめられし我が民は 基督をも憎みしならん
      (地元の人々への同情が湧き出す)
⑥ 伝道は世界最大最深の戦争なり 整えるべし力と陣と戦略を
⑦ 長き叫びも虚空に消えて 気づけば我はゲラサの住人 
⑧ 教会のエクソダスの道はあまたあれど 我が救いは歴史とアジアより来る
{閉塞の(教会の出エジプト 宝うち捨てておく愚か)
⑨ 異物をのみし貝の如く 血みどろの葛藤続けるは 目覚めたる我ら残りの者か
⑩ 文字知識神学は屡サタンの偽装の具 無学の者を救う平民道に生きたき我ら
(武士道的キリスト教からの脱出)
⑪ 教会の敷居を低くして 大衆化すべし祈りも歌も説教も
⑫ 保育教育医療など社会的働きにいで行かずば 浄土真宗こそ優るなれ
⑬ 西洋を追わずして その育ての大親に走りゆけ 汲むべき泉そこにあれば 
   (同胞への呼びかけ 外圧から自由になる道)
⑭ 低迷閉塞消沈の底に 沈思内省検証あらん 我が同胞は愚かならず
⑮ 新たな霊風世界を渡り やがて上がらん呱々の声 たくましき時代の誕生なり

① 雲のような味方の霊が 我が内にぞはいり来る もはy我は孤独にあらず
② かくあまたの困難ありてよくぞ信者は絶えざらなん この奇跡に凱歌あげたし
③ 深き教えで心を染め上げ 体で活きてみせること この難事ゆえの伝道難か
④ スケール大き人物を知り 砕かれゆく小さき我の大きな驕り
⑤ 欧文化の風下で 苦しめられし我が民は 基督をも憎みしならん
      (地元の人々への同情が湧き出す)
⑥ 伝道は世界最大最深の戦争なり 整えるべし力と陣と戦略を
⑦ 長き叫びも虚空に消えて 気づけば我はゲラサの住人 
⑧ 教会のエクソダスの道はあまたあれど 我が救いは歴史とアジアより来る
{閉塞の(教会の出エジプト 宝うち捨てておく愚か)
⑨ 異物をのみし貝の如く 血みどろの葛藤続けるは 目覚めたる我ら残りの者か
⑩ 文字知識神学は屡サタンの偽装の具 無学の者を救う平民道に生きたき我ら
(武士道的キリスト教からの脱出)
⑪ 教会の敷居を低くして 大衆化すべし祈りも歌も説教も
⑫ 保育教育医療など社会的働きにいで行かずば 浄土真宗こそ優るなれ
⑬ 西洋を追わずして その育ての大親に走りゆけ 汲むべき泉そこにあれば 
   (同胞への呼びかけ 外圧から自由になる道)
⑭ 低迷閉塞消沈の底に 沈思内省検証あらん 我が同胞は愚かならず
⑮ 新たな霊風世界を渡り やがて上がらん呱々の声 たくましき時代の誕生なり

① 雲のような味方の霊が 我が内にぞはいり来る もはy我は孤独にあらず
② かくあまたの困難ありてよくぞ信者は絶えざらなん この奇跡に凱歌あげたし
③ 深き教えで心を染め上げ 体で活きてみせること この難事ゆえの伝道難か
④ スケール大き人物を知り 砕かれゆく小さき我の大きな驕り
⑤ 欧文化の風下で 苦しめられし我が民は 基督をも憎みしならん
      (地元の人々への同情が湧き出す)
⑥ 伝道は世界最大最深の戦争なり 整えるべし力と陣と戦略を
⑦ 長き叫びも虚空に消えて 気づけば我はゲラサの住人 
⑧ 教会のエクソダスの道はあまたあれど 我が救いは歴史とアジアより来る
{閉塞の(教会の出エジプト 宝うち捨てておく愚か)
⑨ 異物をのみし貝の如く 血みどろの葛藤続けるは 目覚めたる我ら残りの者か
⑩ 文字知識神学は屡サタンの偽装の具 無学の者を救う平民道に生きたき我ら
(武士道的キリスト教からの脱出)
⑪ 教会の敷居を低くして 大衆化すべし祈りも歌も説教も
⑫ 保育教育医療など社会的働きにいで行かずば 浄土真宗こそ優るなれ
⑬ 西洋を追わずして その育ての大親に走りゆけ 汲むべき泉そこにあれば 
   (同胞への呼びかけ 外圧から自由になる道)
⑭ 低迷閉塞消沈の底に 沈思内省検証あらん 我が同胞は愚かならず
⑮ 新たな霊風世界を渡り やがて上がらん呱々の声 たくましき時代の誕生なり

  


Posted by 矢沢牧師 at 08:04

2008年10月17日

生きてる赤ちゃんを半分イせよ(児童説教)

「    生きている赤ちゃんを半分に分けよ」      2008年10月14日
            ソロモンの知恵
 昔イスラエルでソロモンという名前の青年が王様になりました。お父さんのダビデは、神さまをとても大事にする人でした。そこでソロモン王も、とてもよく「祈る人」になりました。祈るとは、自分の考えを脇において、神さまの考えをよく聞くことです。
 ある夜、ソロモンの夢に神様の声が聞こえてきました。「ソロモン、お前はわたしに何を求めるか。欲しいものがあったら何でも話してみなさい」。不思議な質問にびっくり仰天しました。・・・さて皆さんにはそんなことがありますか?まだない?でももし「あなたの一番欲しいものをあげよう」といわれたら、何て答えますか?お金持ちになること?それとも・・敦子先生は家族みんなが健康で長生きさせて欲しい、なんていうかもしれない・・・・。。 
 でもソロモン王はこう答えたんです。「神様、ありがとうございます。でも私はまだ子供のように小さく、若いのです。それにこの国の人々は多く、難しい問題がとても沢山あります。私が求めますのは、何が正しいか、何が悪いか、しっかり判断する知恵だけです」。
 すると神様は言われました。・・・・・「よーし。いいことを願った。普通は、財産や権力や、長寿などを欲しがるのに。・・・・・それではそのように、お前を賢い知恵で満たすことにしよう」。 夢から覚めた彼はどんなにびっくりしたことでしょう。でもそれからというもの、ソロモン王には、不思議なくらい、知恵も力が増し加えられていったのです。

 そんなある日、争いあっている二人の女が連れてこられました。一人が言いました。「私達は同じ家に住んでいます。この間同じ頃二人とも赤ちゃんを生んだんです。ところが、この女が打つ伏せに寝たもんだから、下になった赤ちゃんが死んじゃった。ところがその子を私の生きてる子と取り替え、自分の子としようとしてるんです!」。
  もう一人は言いました。「とんでもない!生きているのは私の子、この人の赤が死んだんです」。こう言い合ってけんかをしているんです。
 その時、腕組みをして考えていた王様が家来に命令しました。「よく切れる刀を持ってまいれ」。すぐに大きなピカピカの刀が運ばれました。何をするのか、集まった人々は固唾(かたず)をのんで見守ります。ソロモンは言いました。「それではこうしよう。その赤ちゃんを真っ二つにして、仲良く半分ずつ持って家に帰りなさい」。
 すると、一人の女がすぐ叫びました。「そ、そんなことはできません。王様、赤ちゃんをこの人にやって下さい」。しかしもう一人の女の人は黙っていました。そこでソロモンは「皆の衆、もうわかっただろう。この赤ちゃんを生んだのはどっちの女か。さあ、このウソを言って騒いだ女をしばらく牢屋にぶち込みなさい!」
 これはソロモン大王の“大岡裁き”と言われる有名な旧約聖書の話です。このお話はすぐ国中に広がり、みんな王を敬い、国は豊かになりました。王様に会いたいと、遠くの国シバの女王がやってきたのもこの時です。でも新約聖書にはこうあります。「見よ、ソロモンよりはるかに優れた知恵ある人・・・それはイエス・キリスト様です」。
  


Posted by 矢沢牧師 at 14:46

2008年10月17日

小耳にはさんだ最近の言葉から

小耳に挟んだ最近の言葉から
あちこちから聞こえてきて、私の耳に残った言葉から。出所は講演、ラジオ、テレビなど。
★ 「自己責任」という言葉が随分使われて過ぎ
ています。でも子育てにしても親だけで決して負えるものではありません。問題のある子への考えもそうです。社会全体で取り組む視点が大事です。
★ 書物より現場に身を置き、「感じること」をま
ず大事にした彼。農業も炭鉱現場も経験した。野性味ある人で、日本では珍しい「ひとりで決断できる」人でもあった。そしてもう一つ。敵をつくることで、自らに闘志を湧き立たせていた。
★ 世界を核戦争に巻き込む一触即発の土壇
場まで行ったあのキューバ危機(1963年)。その最大の瀬戸際にあっても、ケネディ大統領は日耀礼拝に(彼はカトリックでミサだったが)出席した。そうするとの報を受けた世界のマスコミなどは、これまでのことを考え、、「さては開戦か」と思ったという。事実は彼の習慣からのことに過ぎなかったのであるが・・・。でもああいう重大なときにも、日耀がくればミサに出る、という習慣はすごいと思う。
★ 今回の不況で家を失い、教会の駐車場の一角に留めた車で生活している米国婦人。聖書を涙しつつ読み、慰めを得ているという。上のケネディの離しとともに、「さすがアメリカ」と感じさせられる話である。   -矢沢記―

  


Posted by 矢沢牧師 at 14:36

2008年10月17日

誰かがこう祈っている ①

      い の り   ①

★ 神様、私は人から愛される値打ちがない
人間なのではないでしょうか?どこかみんなと違っているのでしょうか、まわりの人がしっかり目を向けてくれはしない。どうでもいいやつ、なんて思われているようで寂しいのです。なんだか軽んじられ、うとんじられているみたい。だから生きている、という確かな実感がつかめないのです。そんな私があなたの愛に値するものなのでしょうか?
★ 私には本当の話相手がいません。少しおし
ゃべりしたり、近づいてくる人がいないわけではないのですが、でも気持まで素直に出して分かり合うまではほど遠いのです。そんな風にして毎日が過ぎていくのがつらいのです。イエス様、私はどうすればいいのでしょう?勇気と元気をください。私に心からの親友と呼べる人をお与えください。
★ 神様、私はむなしさを抱えています。懸命
に生きてきたのに、何もなし得ていないことに気づきました。私の生涯は何だったのでしょう。持っていたはずのすべてが一つ一つ奪い去られていきました。あとに残ったのはこの老躯のみ。神様、私はこのむなしさの中で滅び行くのには耐えられません。
★ 神よ、どうかこのわびしさ、むなしさを外か
らあなたの手でしっかり抱きしめてください。泣きじゃくる私に、「いい子だ、よくやった」と声をかけてください。
  


Posted by 矢沢牧師 at 14:13

2008年10月02日

読者に優しく語りかける文体が魅力です!

        読者に優しく語りかける文体が魅力
     鶴岡の近代精神史に新たな光を当てる物語
〇 資料が多くはない明治大正時代の庄内(鶴岡)の歩みに、キリスト教の視点から光を当てた珍しい地方史。しかしその記述は他にも通じる普遍性がある、と評価されつつあります。
〇 キリスト教は外来者にいって宣べ伝えられた。その人々はこの城下町鶴岡をどう見たか、興味津々です。
〇 近代の鶴岡や私達の先輩たちの苦渋に満ちた歩み。その忘れ難い苦労。そして今日まで引きずっている精神的課題について、多くの問題提起があります。
〇 記述は史実の羅列を避け、活動した人物のエピソードなどを含む物語を中心としているので、「読みやすく、面白く、分りやすい」との評価を受けています。読者に優しく語り掛ける文体が人気。豊富な小見出しとともに、座談会風の記事も多く、楽しい読み物となっています。
〇 例えば、黒崎研堂・幸吉父子のこと、大川周明の求道時代、また加藤紘一氏の家系が優れたクリスチャン一族であることなど・・・・色々です。
〇 「史料編」には、参照すべき112の新資料が集められています。
〇 A5版 上製、横書きで、922ぺージ。中に200近い珍しい写真あり。地元の画伯三浦恒祺さんによる挿絵が約20枚。目次や年表も詳しくユニークである。
〇 執筆者 矢澤俊彦 長野県出身 鶴岡在住30年余
〇 購入希望者は教会まで メールか電話などで(電0235-22-8196)

  


Posted by 矢沢牧師 at 19:29

2008年10月02日

どんどん「質問」をしよう!

          「質問をしない文化」  
 ー「分りません」という勇気なくして真の学習なしー
★ 最近、時間一杯、講師が時間を独占してしまう講演や研修会が多くて、私は問題を感じます。無論せっかく時間をとりながら全然質問が出ないこともよく観察されるところ。でのそれは参加者の姿勢が問題だと思います。それに真に優れた話し手なら、聴く人々から何かを引き出したり、問題の答を全部言ってしまったりしないで皆に考えさせるのではないでしょうか?
★ 米国では、「講演半分、質疑半分」でないと誰も集まらない、と聞いたことがあるし、(最近の「地球ラジオ」でも、、確かセネガルあたりの話でしたが、「教場では、先生が話終わると、クラスの半分くらいがいっせいに手をあげる」、というのです。またスペインでは友達といて黙っている人がいると、「怒っているか、気分が悪いか、それとも頭がからっぽか」などと受け取られる、というのです。
★ それと比較し、我が国は、よくも悪くもお喋りではない。いやむしろ「沈黙は金」とか「口は災いのもと」などといわれ、それから分らないのに「質問をしない文化」が生まれたのかもしれません。「聞くはいっときの恥」とも言いますが。
★ こういう傾向は、中国の儒教文化の影響もありそう、「読書百篇意自ら通ず」・・・・分らない自分が悪い、ということになる。またお寺の坊様の説教のあとで、「質問!」と手を挙げる習慣がなかったことなどの影響もあるかもしれません。
★ 読者よ、以上のような詮索は別として、どんな場にあっても分からないことは「分らない」といい始めてみようではありませんか!これだけでもこの国は随分変わっていくでしょう。分らないのは自分だけ、その自分が悪い、としているのが悪いのです。無邪気になることです。
★ 繰り返します。「いい質問」をしよう、などと思うからいけないのです。こんなつたない質問でみんなの時間を奪ってはいけない、などと謙遜?する態度であるからこそ、あなたは真の学習から遠ざかっているのではありませんか?質問に、いいも悪いもありません。我々の耳にはつまらないと聞こえた質問にも、いつも笑顔で”Good question!”で歓迎していた米国人教師の声が今も耳に残っています。


  


Posted by 矢沢牧師 at 01:00

2008年10月02日

まず生きる力を優先させる魅力的高校紹介

生きる力をつけ、真の自分を見出そうとする
新潟のキリスト教主義の高校紹介
その名は敬和学園高校。
全国から集まってきて、その多くの生徒たちが寮生活を楽しみながら学ぶとてもユニークなキリスト教精神の生きている高校が新潟市にあります。
きたる10月18日(土)午後1時30分から
鶴岡の出羽荘内国際村に
校長先生 小西二巳夫先生が来られての講演題は
「スロー・ェデュヶーション(じっくり深く考える教育)
    によってこそ、人は真に育つー
という示唆深いものです。どなたでもどうぞおでかけを!

この機会に―私(矢澤)の理解するこの高校の特徴の幾つかを挙げましょう。
1 公立学校と違った私立の自由でのびのびした雰囲気が溢れていること。
2 キリスト教精神が生きていて、生徒一人ひとりを大事にし、ていねいに個々人の成長を助けようとする仕組があること。小西校長先生はかつて言われました。「荘内教会保育園の高校版かもしれませんよ」。
3 教育愛にあふれた熱心で優秀な先生たちがいること。今の中高生教育の困難をみて、ここに身を捧げよう、との使命感をもって教師になっている人が多い。
4 将来の進学だけを目指すのでなく(進学の道も無論、広く開かれていますが)、まず「生きる力」、その意欲、楽しさ、また考える力や自己表現力などをつけさせることに重点を置いていること。とくに自分を見つめ、「本当の「自分探し」ができる学校だ、と評価されています。
5 べんきょうに気乗りしなかった人や不登校など経験してきた生徒たちも、これまで相当の数いますが、ここでの生活ですっかり元気と意欲を取り戻しています。音楽イベントはじめ、とにかく楽しいことが沢山あるのです。
6 鶴岡から行くと通例寮生活をしますが、そこで日本各地から来ている仲間との触れあい楽しみです。授業とともに、寮での生活が大事な教育の一環です。そこで自立心が鍛えられ、お金の大切さも身にしみて分かるようです。
7 体を使う労働や祈りが取り入れられていることもユニークです。
8 学費・寮費など高そうに感じるかもしれませんが、全体的な経費でみますと、地元の高校に通わせるのと、さほどの違いはないと思います。
以 上


  


Posted by 矢沢牧師 at 00:32

2008年10月01日

日本宣教の困難の背景と理由は?

       「伝道難の連続」の背景には何が?
         -大きな魅力が欠けていたー ① 
                           矢澤 俊彦                                 
A この教会の歩みを100年余り見てきて、まず印象深いのは、歴代牧師や宣教師の實に真摯にして粘り強い宣教への努力です。これはもう各章で詳述した通りですが、それにもかかわらず、その歩みは難渋を極めたものでした。外での集会をすると、好奇心も手伝ってか、結構多くの人々が集まるのに、肝心の日曜日には一握りの人しか姿を現わさない、ということが、もう明治大正年間を通じての特徴です。・・・・・・(中略)・・・・・
B そういう意味では「とにかく伝道難でした。それはその後も・・・・いや現代もなお一層そうでしょう。興味関心をある程度持つ人はかなりいても、重い過去を捨て寺を去って入信し、生涯をそれで貫く人が余りに少ないことです。どうしてかくも困難なのか、宣教史を回顧すると、いよいよ考え込んでしまいますね。
A まず最初に言えることは、とにかく300年近くの間、迫害され、厳しく取り締まられ、蛇蝎のように嫌われ遠ざけられてきた「邪教」という強烈なイメージ払拭に、ほとんど100年くらいはかかってしまったことでしょう。
B さあ、そのほかにこの大変な伝道難の背後にはどんなことがあるのか、思いつくだけ挙げてくださいませんか?
A いやあ、それ自体難題ですが・・・・今思いつくことをお話して、読者の声を引き出すきっかけになれば、ということでおゆるしください(続く)。
  


Posted by 矢沢牧師 at 23:50

2008年10月01日

土地の香りを漂わす超教派的な精神史

  土地の香りを漂わす超教派的な精神史
         ―『鶴岡の宣教物語』について ⑩―  
                新井 明 (新発田市 敬和大学学長)
★(前略)・・・・大著である。が、ページを開けると、先へ進むのが止められなかった。前巻が物語編、後巻が資料編なのだが、この両者がよく溶け合っている。ところどころに貴重な写真、また挿絵がはいる。1622年(元和8)にイエズス会士による伝道と、また迫害のあったことを、わたしは初めて知った。
★ 全体は教会史にありがちの教派中心の歴史ではなく、莊内に生きた、いや莊内を生かしてきたキリスト教信仰の生々しい痕跡が息づいている。日本キリスト教史に名をとどめている方がた――たとえば川合信水――が出るかと思えば、ほぼ無名の信徒たちの活動も記載されている。・・・わたしにとって、とくに嬉しいのは小川永水牧師とそのご一家のことが、かなり詳しく叙述されていることだ。また、カトリック教に関する貴重な記述もあれば、無教会者にかかわるページも相当な部分をしめる。 とくに黒崎幸吉は詳しい。諏訪熊太郎にも触れられる。・・つまり全体は莊内とその周辺に関るその土地の香りを漂わす超教派的な精神史となっているのだ(中略)。
★ 矢澤牧師の表現をかりれば、キリスト教は「文明の育ての親」であり、その親の庇護のもとでこそ日本も」「精神的に大いなる国家となっていく」(序文)。世界はひとつ「家」、「散り散りの羊」の集うべき「家」oikoumene なのだ。そうだ、この大著は真のクリスチャン愛国者・矢澤俊彦牧師の生涯をかけたエキュメニズム(全教主義)の信仰告白であった。そしてこの「牧人」のまわりで、その牧者の務めを長年にわたり支えた多くの方がたのおられたことを想起し、心からの敬意と感謝を捧げたい。

  


Posted by 矢沢牧師 at 23:42