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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2009年01月19日

若き大川周明とキリスト教

教会の連続講演会に通って
一度犯した罪は消えない
(大川周明の日記から 明治36年 『宣教物語287-8』
  真正の宗教
人の最も苦痛を感ずるは、その身の罪なり。近く例えを取れば収賂の行為が深く心=良心=を苦しましめ、遂にその呵責に堪えずして死したる=水に入りて=中学の教師あり。  
真に人は罪に苦しむ。而して罪は遂に人を殺すものなり。苦しめる人よ、罪ある人よ、我が基督の教えに来たれ。汝の罪は滅び、汝は永世を得べし。
更生論
一度行える罪は永遠に消ゆべからず。一挙手一投足も我らは大いに責任を有す。他人をして泣かしむれば、其の涙は万劫始に帰るべからず。他人を打てば、其の殴打は万世滅する能わず。ここに於いて大いに死し、生を更むるの要あるなり。更生とは何ぞや。一旦死して更に生くるなり。霊性の更生なり。ハブテズマを受け、罪を滅ぼすことなり。
かくして我らの罪は、永遠に贖わるべし。
人々よ、良く我がクリストの教えを調べよ。而して神を信ぜよ。我らは能う丈の便宜を与えて、諸君の調査の料に供せん。
四夜にわたる演説会はかくの如くして遂に終わりぬ。先生らは福島に向かって出発(明日)すと云う。
一度犯した罪は消えない
(大川周明の日記から 明治36年 『宣教物語287-8』
  真正の宗教
人の最も苦痛を感ずるは、その身の罪なり。近く例えを取れば収賂の行為が深く心=良心=を苦しましめ、遂にその呵責に堪えずして死したる=水に入りて=中学の教師あり。  
真に人は罪に苦しむ。而して罪は遂に人を殺すものなり。苦しめる人よ、罪ある人よ、我が基督の教えに来たれ。汝の罪は滅び、汝は永世を得べし。
更生論
一度行える罪は永遠に消ゆべからず。一挙手一投足も我らは大いに責任を有す。他人をして泣かしむれば、其の涙は万劫始に帰るべからず。他人を打てば、其の殴打は万世滅する能わず。ここに於いて大いに死し、生を更むるの要あるなり。更生とは何ぞや。一旦死して更に生くるなり。霊性の更生なり。ハブテズマを受け、罪を滅ぼすことなり。
かくして我らの罪は、永遠に贖わるべし。
人々よ、良く我がクリストの教えを調べよ。而して神を信ぜよ。我らは能う丈の便宜を与えて、諸君の調査の料に供せん。
四夜にわたる演説会はかくの如くして遂に終わりぬ。先生らは福島に向かって出発(明日)すと云う。
一度犯した罪は消えない
(大川周明の日記から 明治36年 『宣教物語287-8』
  真正の宗教
人の最も苦痛を感ずるは、その身の罪なり。近く例えを取れば収賂の行為が深く心=良心=を苦しましめ、遂にその呵責に堪えずして死したる=水に入りて=中学の教師あり。  
真に人は罪に苦しむ。而して罪は遂に人を殺すものなり。苦しめる人よ、罪ある人よ、我が基督の教えに来たれ。汝の罪は滅び、汝は永世を得べし。
更生論
一度行える罪は永遠に消ゆべからず。一挙手一投足も我らは大いに責任を有す。他人をして泣かしむれば、其の涙は万劫始に帰るべからず。他人を打てば、其の殴打は万世滅する能わず。ここに於いて大いに死し、生を更むるの要あるなり。更生とは何ぞや。一旦死して更に生くるなり。霊性の更生なり。ハブテズマを受け、罪を滅ぼすことなり。
かくして我らの罪は、永遠に贖わるべし。
人々よ、良く我がクリストの教えを調べよ。而して神を信ぜよ。我らは能う丈の便宜を与えて、諸君の調査の料に供せん。
四夜にわたる演説会はかくの如くして遂に終わりぬ。先生らは福島に向かって出発(明日)すと云う。
一度犯した罪は消えない
(大川周明の日記から 明治36年 『宣教物語287-8』
  真正の宗教
人の最も苦痛を感ずるは、その身の罪なり。近く例えを取れば収賂の行為が深く心=良心=を苦しましめ、遂にその呵責に堪えずして死したる=水に入りて=中学の教師あり。  
真に人は罪に苦しむ。而して罪は遂に人を殺すものなり。苦しめる人よ、罪ある人よ、我が基督の教えに来たれ。汝の罪は滅び、汝は永世を得べし。
更生論
一度行える罪は永遠に消ゆべからず。一挙手一投足も我らは大いに責任を有す。他人をして泣かしむれば、其の涙は万劫始に帰るべからず。他人を打てば、其の殴打は万世滅する能わず。ここに於いて大いに死し、生を更むるの要あるなり。更生とは何ぞや。一旦死して更に生くるなり。霊性の更生なり。ハブテズマを受け、罪を滅ぼすことなり。
かくして我らの罪は、永遠に贖わるべし。
人々よ、良く我がクリストの教えを調べよ。而して神を信ぜよ。我らは能う丈の便宜を与えて、諸君の調査の料に供せん。
四夜にわたる演説会はかくの如くして遂に終わりぬ。先生らは福島に向かって出発(明日)すと云う。
  


Posted by 矢沢牧師 at 23:34

2009年01月19日

キリスト教と若き大川周明

 教会の連続講演会に通う
一度犯した罪は消えない
(大川周明の日記から 明治36年 『宣教物語287-8』
  真正の宗教
人の最も苦痛を感ずるは、その身の罪なり。近く例えを取れば収賂の行為が深く心=良心=を苦しましめ、遂にその呵責に堪えずして死したる=水に入りて=中学の教師あり。  
真に人は罪に苦しむ。而して罪は遂に人を殺すものなり。苦しめる人よ、罪ある人よ、我が基督の教えに来たれ。汝の罪は滅び、汝は永世を得べし。
更生論
一度行える罪は永遠に消ゆべからず。一挙手一投足も我らは大いに責任を有す。他人をして泣かしむれば、其の涙は万劫始に帰るべからず。他人を打てば、其の殴打は万世滅する能わず。ここに於いて大いに死し、生を更むるの要あるなり。更生とは何ぞや。一旦死して更に生くるなり。霊性の更生なり。ハブテズマを受け、罪を滅ぼすことなり。
かくして我らの罪は、永遠に贖わるべし。
人々よ、良く我がクリストの教えを調べよ。而して神を信ぜよ。我らは能う丈の便宜を与えて、諸君の調査の料に供せん。
四夜にわたる演説会はかくの如くして遂に終わりぬ。先生らは福島に向かって出発(明日)すと云う。
  


Posted by 矢沢牧師 at 23:30

2009年01月19日

児童説教 魅力と権威にあふれるイエス様

★ やがて30才になったイエス様は、父母の家を離れて民衆の中に出て行かれま
した。ぼろに近い貧しい姿、お金も何ももっていないイエス様のところには、不思議にも沢山の人々が集まり始めのです。子供も老人もいましたが、特に弱くつかれた人や病気の人たちが、イエス様に会いにやってくる。うわさを聞いて、ユダヤの国中から何日も歩いてやってくるんです。
★ どうしてなんでしょう。さあ、じゃあ私達もイエス様のそばに行ってみましょう。うわ
っ、すごい人です。イエス様は今小高い丘の上でお話をしています。みんな大きく目を開いて見つめています。イエス様はその一人ひとりの目をしっかり見ながら話している。でも不思議です。多くの人がいるのに、みんな自分のところを見て話してくれているように感じた。お話はとっても楽しそうで、もう少しでみんあゲラゲラ笑い出しそうだった。内容はよく分からなくても、そこにいるだけで、心も体もポカポカ温かくなってきたのです。それにイエス様のお顔がとっても明るかった。おかしいなあ、お日様はみんあにも照ってるのにねえ。なんでこんなに楽しそうなんだろう、でもイエス様と一緒にいるだけで、心の空が晴れて、悩みも苦しみもどこかへ飛んで行ってしまうんです。
★ お話が終わりました。すると足や目や耳の悪い人たちがイエス様を取り囲みまし
たよ。わたしも群集を掻き分けて近くにまで行ってみました。イエス様の明るいお顔がはっきり見えます。陽気そのものです。これじゃあどんな陰気な悪魔もしっぽを巻いて逃げていってしまうでしょう。案の定、病気の人たちから悪霊が次々「こりゃあたまらん」と言って逃げ出していくかのように、みんな目も見え、耳も聞こえ、すっくと立ち上がり走り出すようになったのです。見ている人たちまで、その元気のエネルギーが押し寄せてくるみたい、「イエス様、ありがとう」といってお家へ帰っていくのです。
★ そのとき誰かが聞きました、「イエス様、その元気はどこから出てくるんです?」。
イエス様は笑って、「とってもいい質問です。それはね、いつも天の神様とお話をすること、自分だけべらべらしゃべっていないで、神様からのお話を聞く・・・すると誰でも元気がもらえますよ」。
★ それから私たちがよく見ていると、そうです、確かにイエス様は誰もいない森や林、山の中なんかでよく一人でいます。ああ、お祈りしているんんだね、と思いました。それから私も真似をするようになったんです。まだよくできませんが、何だか力がわいてきます。イエス様から離れないで、神さまのお話を聞いてお祈りする、こーんな簡単なことなんだけど、もう前よりすっかり心も体も強くなりました。それで分かったんです。今日の絵にあるように、あんなに沢山の群集が集まってきたわけが・・・・。とにかくイエス様は神様からもらった魅力で一杯だったのです。
  


Posted by 矢沢牧師 at 23:19

2009年01月16日

あなたがそこにいる意味

自分の人生を高い視点から見直す
        深井智朗『希望の力』より

石切り場で働いていた二人の職人の話です。石切りというのは大抵は川の傍で石を切って、船に乗せて、町までその石を運ぶという仕事です。ある人が「おまえはそこで何をしている」とこの石切りたちに聞きました。ひとりの男は、つまらなそうな、そして孤独な声で、「石を切っているのさ」と言ったというのです。彼には石切りが意味のない、単調な仕事に思えたのかもしれません。自分の仕事に、自分のしていることに、自分の毎日に意味を見出せず、生きる意味を見失っていたのかもしれません。
 この人は、もうひとりの男にも同じように聞きました。「おまえはそこで何をしている」。するとこの男は喜びに満ちた声で、「私はカテドラル、つまり教会堂を建てているのさ」と答えたそうです。
 この二人の答えの違いは何でしょうか。ひとりは自分の人生と仕事を、自分の今していること、今直面していることからしか理解できないでいるのです。しかしもうひとりの男は違っておりました。彼は今自分がしている仕事を少し違う視点から見ることができました。彼は自分がしている石切りの仕事が、大きな教会堂をつくりあげる仕事のひとつの部分を担っているのだ、ということを知っておりました。そしてそれが究極的には神の栄光を表すために用いられているのだということをも知っておりました。自分の今している仕事が、自分の人生が用いられている大きな意味を知っておりました。それは神の救済のご計画という視点だと言ってもよいかもしれません。神の栄光のために、神を礼拝するために教会が建てられる。私のしていることはその過程の一部だというように、自分の仕事を、人生を自分の側からではなく、神のご計画という視点から受け取るのです。(深井さんは現在、東京の滝野川教会牧師、この11日、説教者としてお招きしました)。
  


Posted by 矢沢牧師 at 08:05

2009年01月16日

矢沢牧師の新春随想

新春 随想
世間の大不況やどん底は、教会がすでに十分経験している事態です。あの何も持たないホームレスの悲哀とかなしみ。その時、「息子よ」と呼ばれる父の声に、事情は一変。誰もいない墓場で叫んできたゲラサの住人も正気に返ります。世界は満開の桜にはるかに優る美しきもの。絶句しつついるうちに、底なしの元気人間が誕生。周囲は遊びきれない一大総合レジャーランドに変貌していきます。まことの「遊び人」の集合で、教会はワクワク、ゲラゲラ。強力な喜びのビールスが大群となって悪霊を追い払う日がもう来ています。
 何ももっていないような教会こそ、そこであらゆる日用雑貨から最高の宝石まで売っている・・・・しかも無料で!世界最大のスーパーマーケットなのです。さあ間口も奥行も大拡張しなくちゃ・・・。
  


Posted by 矢沢牧師 at 07:20

2009年01月08日

新春特別集会御案内

友人 深井智朗先生(東京 滝野川教会)が来られます
                  矢沢俊彦
集会が二つあります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1月11日(日) 朝 荘内教会での礼拝説教
10時―11時30分
テーマ 私たちは新しくなることなどできるのでしょうか」
聖書はエペソ書4章17~24節
質疑応答の時間 11時30分―12時
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 前日1月10日(土) 幼児教育及び家庭教育 講演会
午後2時―4時 若葉幼稚園にて
 テーマ 「家庭の味、聖書の心」
★ 講演は内容は、現代は自由な時代というけれども、自由だからこそ大切なことは何でもいいというのではなくて、しっかりとした基準が大事であることなど。家庭の味(料理だけではなく、生き方なども)も幼い時に身につくもので、それは一度身につくと消し難いものです。聖書もそのようなものとして生き方の基準になるといいですね。
深井先生の略歴
1964年生まれ。東京神学大学、アウクスブルク大学哲学・社会学部修了
哲学博士(アウクスブルク大学)、文学博士(京都大学)。
現在、日本基督教団滝野川教会牧師、聖学院大学総合研究所教授。
著書、『文化は宗教を必要とするか』(教文館)、『超越と認識』(創文社、第13回
中村元賞受賞)、『希望の力』(教文館)など。
  


Posted by 矢沢牧師 at 14:30