スポンサーリンク

上記の広告は、30日以上更新がないブログに表示されています。
新たに記事を投稿することで、広告を消すことができます。  

Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2009年10月26日

情報はプランクトン


      「情報はプランクトン」
      自由の中で不幸な日本
                                矢澤 俊彦
 毎日大変な両の情報に囲まれている私たち。そして目にし耳にした多くの情報も、園ほとんどが通り過ぎ、心にとどまるものはほんのわずかでしょう。いわば情報の洪水のさなかでおぼれているのせす。そこで最近私は見聞きしたことで心に感じたものをメモしておき、あとでその要点を書き出し、少し時間をかけてそれらの意味について考えることとしました。その一部を以下に紹介してみました。
 「情報はプランクトンである」と誰かがいいました。小さなものでもしっかり食べているうちに、やがて巨大くじらに変身していくかも・・・・?皆様にもお奨めをしたい、と思います。
 なお、以下の多くはNHKラジオ,ことにその深夜便から聞き取ったものがもとになっています。言葉づかいは正確な引用ではありませんが、内容の要約についてはさほどの誤差はないと思います。

★ 近づきやすい人  「すきま」のある人がいることが追い詰められている人の
助けになります。たとえば不登校の子供たち。彼らとつきあうには、あまりに「しっかり」していては、近寄れないんですね。親も教師も。フリースクールでののびやかの子らの表情がまぶしい。「なんだか窮屈なとこから、広い世界にでてきたような気がするんです」、とある小学生。でも学年も成績も意識しない、楽しい「居場所」が、確かにそこにありました。おおらかで、どこか抜けている人間に、人は近づきやすいのでしょう。

★ 「詩のボクシング」  こういう名前の催しが山形で開かれたそうな。リングに
上がった二人がコーナーから出て、三分づつ、大声で思い思いの創作詩・・・社会への怒りや失恋最近の大きな経験などを観衆に訴えて、勝負を決める。こういう形での発信も面白いもの。さあ、これなども思い切って、私たちも取り入れられないものか・・・・。

★ 戦死者を置き去りにして  僕はつくづく思うのですが、日本という共同体
のために命を投げ出した人々に、戦後の日本人は心から向き合ってきたでしょうか?死者を置き去りにして目先の繁栄だけを求めてこなかったでしょうか?同時に・・アジアに戦禍を及ぼし沢山の人達を傷つけてもいる。こういったことからも目をそらしてきたのでは?僕には(戦死した)クラスメートに申し訳がたたない、という気持があるんです。今こうして毎日海を眺めていますと、水葬した彼らがそこにいるような気がするんですよ(池田武邦「巡洋艦や萩の青春」)。

★ 囚人に優しい社会  NHKテレビの番組に感動した私は、「囚人に優しいノルウ
ェー」と題する一文をまとめたが、それを荘内日報紙が先日掲載してくれました。多くの人の目にふれることになって嬉しいことです(10月22日)。
実は私たちもいろんな意味で「囚人」。こだわりや不安や恐れ、それに長い年月犯してきた沢山の犯罪のために心は罪悪感でいっぱい。それに責められて元気が出ないのです。でもこういう悪人なのに、周囲はどんなに優しく私たちを取り扱ってくれたことでしょう。しかも「あなたは無罪放免です」という天の声まで聞こえてきます。まだ「反省」ができないなんて・

★ 地球の歴史に  地球上の海は地表の約70%。その底には巨大な海底火山
が絶え間なく活動している。非常な勢いで爆発し、プレートを動かす。昔世界の陸地はひと続きだったのに、長い年月をかけて今のように。ヒマラヤの高山から魚や貝の化石がでてくる。かつて離れ絵いたインド大陸がぶつかって、下から押し上げられた海底が、今は8000メートル以上の山々に。海も山も動かす造物主の力の偉大さを思わせられます。 気が滅入るときは、こういう大きなことを想像するのも一手です。

★ 法則のあるこの世界  何事もよく見て「気づく」こと、さらによく観察して「法則
性」を見つけること。これが「科学」というものの出発です。その積み重ねが現代の科学技術。ここまでくるのに、どれだけの発見実験工夫などがあったことか。・・・混乱ばかり目につくこの世界ですが、実は無数の法則が支配している。目にするどんな道具でも、そういう気づきに基づく無数の月重ねの結果だと思うと感動的せす。
人間世界も決してめちゃくちゃではないのです。そこにも偉大なる法則がある。その一つは、「人は愛によって生きる」ということでしょう。。

★ 海軍の教育  かつて海軍の指導者を訓練した兵学校の話を聞いた。「厳しく、
しばしば理不尽な上級生によって手荒く「教育された」。。でも今考えると、あのすさまじい理不尽な戦場で、部下何十人を率いなければならない若者の訓練としては必要なものだった、並大抵なことであれはつとまるもんじゃない、と思う。。それにリーダーであるから、はた目にもきちんとしているよう、しつけられたのだった」(前出 池田武邦)。・・無論私は戦争も体罰的教育も大反対ですが、こうして語られる先輩の言葉に、拾い上げるべき真理性もあることをかんじたのでした・。

★ 自販機的応対  日本のスーパーやレストランで働く人々の手際よさやサービス
精神は素晴らしいが、どこか機械的で自販機のよう、人間に接しているような気がしない、と英国クロチェスターの黒川郁子さん(深夜便)。
そこへいくと、彼国では、その手さばきは日本ほど素速くはないけれど、必ずというほどあいさつをして、ちょっとした会話を楽しむのだそうです。人間に触れる味わいがあるのを、うらやましく思った私です。

★ 遠くなった動物の声  鹿の鳴き声を初めて聞きました。「音の風景」というラジ
オ番組で。場所は秋の奥日光。甲高いいななきに聞きほれ、鹿を身近かに感じました。こういう動物のいろんな鳴き声を、保育園の子らに聞かせて上げたら・・・彼らの好奇心を刺激するに違いない、無論ビデオでもいいから本ものの生き物の姿を見せてもあげたい。昔見た「稲の一生」などを思い出します。子供らの興味関心を引き出すてだてはいくらでもあろう。

★ 縄文人と現代人  多賀城に東北歴史博物館というのがある。展示のひとつで
目立つのは、縄文時代の土偶。さまざまな人物像。じっとみていると、いずれも生命力を求め、悪魔的な力を追い払いたい。そんな縄文人のいのりが伝わってきます。昔から人間は祈ることなしには生きてこれなかったのです。
それで人間は古来宗教というものを求めてきました。それは魚に水が必要なの
とそっくりだと、私は思います。明治36年の天主堂竣工式で、青年新藤豊吉が、「人にして宗教を離れんか、霊において既に死す魚にして・・・」と、演説しているとおりです(『鶴岡の荘内教会宣教物語』)。祈りと信仰を去った現代人をかの縄文人が見るなら、、もう息も絶え絶え、水なき谷川であえぐ鹿のようかもしれません。

★ 自由の中で不幸に  太平洋戦争の話をきくたびに、今のこの国がどんなに自
由で恵まれている時代かを思います。戦争の犠牲になった人々の最深の思いも、その後の日本人が幸せになってほしい、ということではなかったか・・・・。でも戦後の私たちは今、に至るまでどうも深い安らぎも満足感もなあさそうです。考えてみればとっても不思議なこと。こんなに豊かで、大きな自由を享受しているのに。
その理由。私見では、「自由」というものを使いこなせず、重荷となり逃げ出す。あるいはその中で溺れてる。自分の欲望や不安に振り回されて、自分が見えなくなっている。「神ならぬこの世の神々の奴隷」の境涯に舞い戻っているからでは?せっかく大いなる解放をもって出発したのに、心の中の敵に打ち勝てないからでは?
(鶴岡市本町3丁目5-37 日本基督教団荘内教会牧師・同保育園長)




 

  


Posted by 矢沢牧師 at 06:39

2009年10月09日

愛乏しき社会から犯罪が発生する

囚人に優しいノルウェー社会
       どんな人間でも人間なのです
                                    矢沢 俊彦

  ・・・拷問にも等しい劣悪な環境におかれて、人間は真に立ち直ることができるものでしょうか?自分にも人にも優しくなれるものでしょうか?
・ ・・・犯罪を犯す人は、周囲の差別や蔑視、また貧困などで傷つき、もう十分苦しんでいる、最大の社会的弱者なのです。

・            犯罪の激減に導いた人
★ 公正な裁判はいい。犯罪者に優しいのもいいだろう。でも被害者の気持はどうなんだ、という声も聞こえてきそうです。それを十分受け止めながら、「一番大事なことは、犯罪のない社会を目指すことではないか、そのためにこそ、罪を犯してしまった人も、自分たちとなんら変わらない人間であることに気がつかねばなりません」。
★ こう話すのはニルス・クリスティーさんというノルウェーの犯罪学者。この人が中心的指導者となってこの国の刑務所制度を大改革、その結果犯罪は激減しているというのです。彼は世界中の刑務所をまわり、沢山の受刑者と向き合いながら実践を深めてきただけに、その語られる言葉は明晰で大変分かりやすかった。そしてその大らかな人間性、人間観察の確かさに、私は大変感動したのです。これはさる9月30日夜放映の、「未来への提言」と題されたNHKの番組です。、

                 受刑者とスキーをしたり
★ 犯罪者というとなんとなく不気味で、特別な人達と見られがち。でもそれが大きな先入観や偏見であることが私にも分かりました。よくある人相写真はまずい、と私は思いました。「彼らと一緒にスキーなんかする。刑務官が変な格好でころんで大笑いする。その逆もあります。そんなことを通して、彼らもごく普通の人間であることを理解しあうのですよ。野獣やモンスターなんかいません。
★ 「厳罰主義は正しいか、と私の国でも長く議論を重ねています。でもあるテレビ番
組の討論会の会場は刑務所でした。それに受刑者も参加し、いろんな人達と討論している。かれらの言い分も、敬意をもって聞かれている。問題は私達があの人たちを知らないこと、ふれあうチャンスがないことにあると思うんです」。

おしおきで人は変わるか    
★ 愛されてこそ人は育つ。思いやりを受けて、他人を思いやれるようになる。
このことはみんな知っている。子育て中の親もみんな知っています。でも、この自明の原理をなぜか犯罪者には適用しない。いや、家庭でも学校や地域でも、このことが忘れられ、「おしおき」で人を変えられると思う。こうした錯覚が長い人類の歴史で当たり前のように行われてきた・・・拘束と隔離・厳罰・懲らしめあるいは拷問。でもその結果は・・・・?
                開放された刑務所に驚愕
★ クリスティーさんが紹介してくれたオスロなどの刑務所は、驚くべきものでした。ま
ず友人や刑務官も一緒のくつろいだ昼食風景。一般家庭と変らず、テレビ・パソコンやステレオはある、冷蔵庫には新鮮な野菜などいっぱい。自分でも色々料理ができるそうです。景色のいい島でも、外出の自由はあるし、休暇をとって定期船で家族に会いにいくこともできる。その船の操縦にも、受刑者が加わっている。いろんな人に会えるし、図書館や、教会も開かれている。希望者は大学レベルの教育も受けられる!そしてなにより大事なことは、ここで互いに協力して生きることを学ぶことだ、というのです。

                悪党にしたてあげる刑務所
★ 私はこの番組に降参してしまいました。全くもってその通りです。生まれつき
の凶悪犯なんていない。いや、きっかけさえあれば、誰でも何をしでかすか分かりはしない。そうなれば自分の家族もふくめ、周囲みんなから白い目で見られ、悪人のレッテルを貼られ、連れて行かれたところは言わば「悪の学校」。頭を坊主にされ、囚人服を着せられ、劣悪で不快な環境での日常生活。その気もないのに悪党に仕立てられるうちに、反省もできず、逆に社会への憎しみさえ培養させられていく・・・・。

                  囚人にいい環境を与えよ
★ これを見ながら私が考えたこと。・・・・獄に入れられた囚人は「反省」や自己凝視を迫られます。でも自分の心の深みを見つめる、そこにあるドロドロしたもの、あるいは醜いものと向き合うのは苦痛でしんどいこと。それにはとても時間がカかる。
そしてそのためには懲らしめるのではなく、逆に「いい環境」、つまり、いい人間や自然、また情報や芸術などにじっくり触れることが必要ではないか。
そしてもうひとつ。思いやりを受けること。他人の暖かい心に抱きしめられてこそ、人間らしい自分に立ち返ることができる・・・・・愛されてこそ人は育つ、という単純なことです。でもこれを受刑者にも適用しているノルウェーの実践は、全く目を見張らせられます。

                冷たい社会こそ温床では
★ 「北風と太陽」というイソップの童話があります。人をよい環境におくなら、黙っていてもいい方向に向かうだろう・・・・こういうおおらかで楽観的な人間観がクリスティーさんには流れているようです。「受刑者は差別や貧困その他で、もう十分傷ついている社会的弱者なのです」。
★ この人のもうひとつの提言。・・・・・犯罪は地域社会で起こります。だからその地
域での話し合いで解決できれば一番いい。裁判になっても、その地域の事情に通じた民間人が加わる、これをノルウェーではもう100年
も前からとりいれています。注意しないと、法律の専門家が、かえって地域住民から問題解決力を奪う「盗っ人」になってしまう・・・・大変なことばです。
「まず私達は隣に住む人々へ関心をもつことです」。さらに受刑者の家族を支えること、大事な問題を社会構成員みんなで討論するという風土伝統について、など貴重な提言が続きました。

                 私達の無知と偏見
私の結論。被害者を出来るだけケアするとともに、改めるべきは、囚人への私達の偏見です。彼らは私達とどこも変わってはいない。ただ境遇や状況が悪かっただけです。とにかくこの社会を血の通った暖かいものにしなくては。犯罪は社会が生み出すもの。囚人はもちろん、問題を起こす青少年の家族にも優しくしたい、と思いました。愛によって人間は育つ。こういう思いにまで導かれて、私はなんだかとても明るい気持になりました。よーし、めげずに夢の持てる日本にしよう・・・・。
最後にマスコミについて。犯罪者の正しい理解には遠い現状ですが、今回のように高い価値観を伝える素晴らしい放送番組の持つ大きな力を思ったことです。

★ なお、クリスティーさんにインタビューし、メッセージを引き出してくれたのは、
森達也さんという研究者。彼は、あのオウム真理教の信者たちの中に入り、その内側から彼らを見つつ、犯罪者への厳罰主義に疑問を感じてきた人です。
それからこの文中の引用文は、テレビで語られたものそのままではないことを御了承ください. 
(鶴岡市本町3丁目5-37 日本基督教団荘内教会牧師・同保育園長)


  


Posted by 矢沢牧師 at 08:05