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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2010年02月23日

試練は自我の牢獄脱出のチャンス


        人生の試練は目覚めのチャンス
     自己から脱出しないと危険な人間
                                      矢沢 俊彦
             死線を越えてこそ見えてくる
★ 大きな試練にあって初めて目がさめることがあります。人生というものはどこか意
地悪で、誰もが願う「平穏無事」の中では、とかく眠りこけやすい。もし幸福のうわっつらだけを泳ぐような毎日となったら、かけがえのない時間だけを失うことになりましょう。悲しみがドカンと押し寄せてきてあたふたさせられて初めて、「この人生って何なの?自分は何をしてきたんだろう?・」などと悶々(もんもん)とし始める。追い詰められ、時に死線を長くさ迷ってこそ、やっとのことで見えてくるこの世の真実があるように思われます。それだけ私たちの眼にかかる「うろこ」が厚いのかもしれません。すぐれた文学者や芸術家、宗教家の多くも、思いがけぬ大試練や苦悩と闘い続けた人達なのです。いつかテレビで百歳の女流画家が、カンバスに向かいながら、「まだまだ見えてこないんですよ」、とぼやいていた光景を思い起こします

                お城を出てみて大衝撃
★ 代表的なひとりに青年時代のお釈迦様がおられます。彼はある国の王子で、
若い日を恵まれたお城で、何不自由ない日々を送っていました。でも外のことが気になったのでしょう。ある日意を決して従者も連れず外出したとき、よぼよぼでやせこけ、やっと杖にすがっている「老人」という存在に初めて会った。これが自分のみならず、すべての人が例外なくたどる道なのか、と思ったとき彼を刺し貫いた大きな衝撃。その大きさは、青年のその後で分かります。ほどなくして彼は妻子を捨て城を出ると(29歳)、苦行と瞑想に何年も日を送ったのです。ここがとにかく釈迦の偉いところです。私たちも日頃、与えられる出来事にとにかく注意していてごらんなさい。とんでもない大発見をするかもしれません。その結果、もしかしたら、たとえば「毛虫が蝶(ちょう)にもなる大変身を遂げてしまう人が出てくるかもしれないのです。

               気づいたのは死後だった王子様
★ 同様に、住んでいたお城を出た王子がいました。でもそれはなんと「死後」のこと
だった。彼はその宮殿の町はずれに銅像として建てられ、その高みから見おろしているうちに気がついたのは、この町にはなんと不幸で泣いてる人が多いか、ということです 。もっともこれは有名な童話に出てくる人物ですが。不思議なことに、彼の目と心臓だけは死後でも生きていた、という設定です。
 そこで王子は、偶然近づいたツバメの助けを借りて、見つけた不幸な人々に身につけているすべてを、最後は両岸まで与えつくす、という「他者愛」に徹するのですが・・・・それは彼の後悔とざんげの物語である、と私は読んでいます。
生前、自分は長くお城でぜいたくに遊び暮らしていただけ、なんという愚か者だったか、という痛烈な反省です。以上はよく知られた「幸わせな王子さま」といわれる物語で、一般にその徹底した自己犠牲的愛が高く評価されていますが、王子は終始自分の愚かさに涙していたのでは・・・、自分は天国にいく資格などない、と思っていたに違いありません。

              世間の拍手喝采に有頂天に
★ この童話作者オスカー・ワイルドは、19世紀末アイルランドで活動していました
が、同性愛だ何だと世間の不評を買い、かなり長く獄中生活をしいられたのですが、そこで彼は聖書をむさぼるように読み、それまでの自分と徹底的に向き合ったらしいのです。出獄してから作風も変わり、出版した童話集にある以下のもう一つの作品に、彼自身が投影されてるように私には思われるのです。入獄もきわめて有益だったのです。
★ それは「王女様の誕生日」という作品です。王宮でのパーティに、森から連れて
こられた小人、その姿は世にもまれな奇妙きてれつなもの、ひと目見ただけでみな吹き出してしまうような格好です。でも彼が踊り始めると、満場はげらげら、大うけで大喝采、王女様も花束を投げる。すると自分を気にいってくれたんだと思い、さらに必死で踊り続けるのです。でもこの生き物の一番面白いのは、どうやら彼は自分の姿に気づいていないらしいところでした。
★  でもやがて破局がきます。王女様の部屋を探して宮殿内を巡るうちに、ある氷
のように固いガラス板の前でギクリ、度肝をぬかれる。なんだ、この怪物は?」・・・・鏡というものの前でやがてすべてを悟った小人の悲しみと衝撃の深さ。世間の喝采や賞賛ばかり求めていい気になっていたオレの実像はこれだったのか・・・・あまりのショックでそのまま心臓は停止してしまったのです。

                バージョンアップの生き方とは
★ なんだかとてもかわいそうだけでなく、笑えない話のような気がします。ワイルド
は自分の反省を込めて、慙愧(ざんき)の思いでつくったのかもしれません。私たちも無関係じゃない・・・と思うとき、ほしいと願うのはその2幕目です。それは醜い自分に徹底して直面しながら、そのすべてをゆるされ立ち上がっていく、というバージョンアップされた人生です。そこではもはやこの世の毀誉褒貶(評価)などには決して動かされない充実を楽しむことができるでありましょう。誰ひとり認めてくれる人がいなくても平気、美しい高山に、天のみ相手に咲いていれば、心はいつも高揚感であふれてくるでしょう。
★ 以上の2,3の例のように、私たちの脱皮再生のためには、しばしば「死線をくぐ
るような試練が必要なのです。どうしようもなく悲しくつらいときこそ、新しい命誕生のまたとないチャンスかもしれないのです。どうしようもない悲しみの中で初めて、執着してきた小さな自分自身が壊(こわ)されるかも知れないビッグチャンス。時至って、たまごからひよこが生まれ出るようなもの。逆に自己から脱出せず、いつまでもぬくぬくとお城の中にいてはとてもあぶないのです!
でもひとことつけ加えるなら、そういうときの飛躍のためにも、平穏な日々において、すぐれた文学や芸術、宗教などにしっかりふれていることが大事だということでしょう。
(鶴岡市本町3-5-37日本キリスト教団荘内教会牧師・同保育園長)。
  


Posted by 矢沢牧師 at 22:38

2010年02月22日

輝くばかりのイエス様(幼児へ)

      イエスさまの魅力はすごい!    2010年2月22日
      
★イエス様にはいつも大勢の人々がついてきます。老若男女、いろんな人達がい
つもイエス様をとり囲んでいるんです。中にはネコや犬もまぎれこんで、前に出ようと懸命みたい。彼らにも悩みやストレスがあるんでしょうか。
★ どうしてそんなに人気があるんでしょう?不思議でなりません。そこでね、先生も
あの群集の中にまぎれこんでみたんです、えっ、そんなことできるかって?それができるんです。秘密な方法があるんです。もしかしたら、みんなもできるかもしれないよ。

★集まっている人達、それはどんなだったでしょう。小さい子からお年寄りまで、男
も女も疲れきっていました。ボロを着て、体もやせこけている。きっとたくさんムリをしてやっと生きてきたんでしょう。・・・・でもみんな目を血走らせて必死に「イエスさまあ」と叫んでいる。とてもすごい光景で、先生はびっくり仰天してしまった。

★ 大勢いるのは目が見えなかったり、耳が聞こえなかったり、出血がとまらない病気やいろんな難病の人、みかけだけではよくわかりませんが・・・。それに手足がきかない人たちも目立ちます。もうみんな何十年も悩んできたのでしょう。イエス様のうわさを聴くと、もうなにもかもかなぐり捨てて、この野原までやってきた。いや、タンかでかつがれてきた人もいるし、それこそ地べたをはうようにして、何日もかけてきた人も大勢です。
★ 「みなさん、このお花をみてください。こんなにきれいなのは、天の神様が心にか
けて育ててくださるからです。ここにいるどのひとりだって、神様が大事にしていてくれない人はいない。君もあなたも神様の特別な秘蔵っ子。もう大丈夫。何の心配もいりませんよ」。
★ そういうイエス様はどんなだったでしょう?背は高く、大きな目をして
とっても優しいお顔なのは分かるでしょう。でもそうだけじゃない。もう体中からまぶしい太陽の光が輝き出しているよう。神様の力が周囲にどんどん放出されている。見つめられただけでも、もう病気も空腹も忘れ、ひたすら光を浴びているようなのです。そっと肩に手をおいてもらい、「もう安心だよ」、といわれると、目や手足の悪かった人もその障害を忘れ大喜び。タイムスリップしてイエス様に近づいた先生も、もう夢中になってイエス様と握手。すると心の空は晴れわたり、つらい悩みも重荷もどこかへいってしまい、品本当に生まれ変った人間になったんです。イエス様はすごい人です。
  


Posted by 矢沢牧師 at 15:24

2010年02月09日

カラスに話した白鳥の教え

 2010年2月8日
      カラスに放しててくれた白鳥の教え
      (月曜礼拝 カードNO.44   お話 安希子先生)
★ みんなカラス知ってるでしょう。このごろよく見ますね。あの鳴き声ね、みんなで鳴いてるとうるさいんだけど、ひとりの声を聞くとね、とってもさびしそうで、涙でも出してるんじゃないかって思うんです。
でも先生ね、その中でなんだかとっても元気がいい仲間がいることに気がついたんです。そこで先生ね、魔法使いのおばさんに頼んでね、カラスに変身させてもらったんです!ほんとだよ。するとすぐ「カーカー・・・・」、悲しそうな声の中にいるその元気のいいやつに近づいて聞いたんです。「ねえ、君はどうしてそんなに元気がいいの?よかったら聞かせて」「そう、ぼくの話聞いてくれるなんてうれしいなあ・・」、そういって、こんな話をしてくれたんです。

★ ・・・・・君も仲間だけど、ぼくの羽根をよく見てくれよ。仲間も黒いけど、ぼくのは特別真っ黒なんだ。ぼくはどうしても好きになれない。友達も自分が黒いくせにクロちゃんなんてバカにする。バカなんて怒鳴っても色は変らない。
 池で泳いでいるとみじめなんだよ。いろんなきれいな水鳥が泳いでるでしょ。白鳥さんがキラキラ光ってゆうゆうと泳いでいる。青い鳥、赤い小鳥、緑や黄色や小麦色の水鳥たちがワイワイいいながら楽しそう・・・そしてボクをチラチラ見て、クロちゃんってバカにしてるみたいなんだ。ぼくはそんなとき、水からあがると、天に向かって叫んだ、「神様のバカー」って。

 ★ それを聞いたきつつきさんが木からおりてきてこう言ったんだ。「なにをそんなに悲しんでるの。ぼく知ってるよ。君がどんなに家族思いかってこと。こないだの嵐の日だって、あの雨にもまけないで、エサをさがしてきてみんなに食べさせてた。あのときは本当にずぶ濡れだったの見てたんだ。ぼくの仲間も感心してたんだよ」
 そこへ、ふくろう君もおりてきて低い声を張り上げました。「そうそう、ぼくも見たよ、君は目もいいし、記憶力抜群だ。だから食べ物がどこにあるか、もうすぐ見つけるじゃない?みんなうらやましがってるんだよ」。
★・・・・それを聞きながら、なんだかぼくはとてもうれしくなった・・・・
でもダメなんです。次の日、お池に行くと、やっぱりみんながこっちを見てクロクロなんて言ってる。言ってはいないかもしれないけど、そんな気がする。それでもとの木阿弥。それであるとき、水に浮いてる鳥たちのいろんな羽根をひろってぼくの体につけたんだ。そしたらどうなったと思う?みんなよってきて、「あきみは何者?」といって茶化され、ますます悲しくなった。

★ でもね、そんなある日、森の入り口近くで泣き声が聴こえる。すぐ行ってみると、なんと白鳥さんがワナにひっかかっておなかにおおけが、血が出ていて死にそうなんです。ぼくは森のお医者さんにすぐきてもらおう、待っててね、というと、小さな声で白鳥さんがこう言ったんです。
 「ぼくはもうダメかもしれない。でもこれだけは君に言いたい。君はとっても親切で仲間思い。それを知ってて、クロちゃんなんていってごめん。本当にすまないと思ってる。ぼくは白くてきれいなんて、どこかで思っていばっていた。すまん。
けがをしてから考えてたんだけど、天の神様は不公平じゃない。君にはこんなにやさしい気持や仲間家族を大事にするあったかい心がある。それに目も耳も記憶力も抜群。それはみんな神様の贈り物だっていうことがやっと分かったんです。ぼくは、ただいばっていただけ。このけがは、神様からのおしおきなんです・・・いたた・・・ぼくはもう死ぬかもしれないけど、これだけは君に言っておきたかった・・・」。そういい終わると、白鳥はもうぐったり、静かになってしまったんです。

・・・それからぼくは白鳥さんのお言葉を何度も心の中で繰り返しました。・・・それからです、ぼくが元気になったのは・・・もう黒いことなんか気にしない。神様がいつも守っていてくれることが分かったからです。・・
  


Posted by 矢沢牧師 at 10:03