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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2010年04月04日

復活祭讃歌

人生に一大「どんでん返し」が起こる
死人がよみがえる復活祭の喜び
                   矢沢 俊彦
     我らの嘆きと疑問の数々
○ 「春が来るのはありがたいが、どうも時間ばか りが過ぎていくようで
どこか面白くない。自分の内面がついていかないような時のめぐりです」。
○ 「求めてきた幸せとは何だったんだろう?これでもうすぐ人生が終わる
なんてなんともわびしい。どこかおかしいような思いがします。わたしたち何も悪いことはせず、ひたすら懸命に生きてきたんですが・・・・」。
○ なんだか世の中めちゃくちゃで神も仏もいない感じがよくします。
正直者が報いられないし、災害は絶えないし、社会は矛盾だらけ。あの戦争犠牲者たちも浮かばれてはいないし・・・このまますべて済んでしまってはならない、と強く思います。この人生をあきらめきれないんです。何かがないと、心がおさまらない」。
○ 時々自分はここで生きていてはいけない人間のような気がします。
結局誰からも本当には愛されてはいないし、誰からも必要とされてはいないのでは・・・・」。
○「年をとっていよいよ我が人生が迷路に入ったように思う。この先い
ったいどこへ行くのか・・・・いくら考えても分からない・・・・・・でもとても不安である。長旅のあと、帰るに家なし、というさびしさです」。
○「ダメな人間なんていない、とか色々励ましてくれる人はいるけど
私の心には届きません。あの人たちはいいな、なんてうらやましく思ってばかりいます」。         
途方もないどんでん返しが・・
★ さて、こんなあなたの悩みはまったく正当なものです。またこう
ういう限りもない私どもの嘆き、これらはもう全世界をおおうばかりです。これらは真実の声であり、こんな世界と人生は本当におかしいのです・・・・ただし、もし以下のような「どんでん返し」がなかったらです。
★ それは私たちは気づかないけれど、偉大なる光がこの地上の人間
一人一人の内面深くまで差し込んできている・・・こういう想像もしなかった事実です。これこそ「復活祭の光」です。少しの罪もないのに極悪人として処刑されたキリストが墓からよみがえって「死に勝利し」、その大きな力をすべての人に分け与えてくれる、という。ここでその消息をくわしくは記せませんが、こういう途方もないどんでん返しが誰にでも起こる、これがイースターの喜びなのです。でも、それがどうしたら自分にも起こるか、少しだけお話しましょう。
自分の中の砂漠から叫ぶ
★ それにはまず自分う深く見つめ、結局自分がいかに空虚な器であるか」を知る
ことから始まります。渇ききった砂漠である、沢山のもので「偽装」し他人を欺いているかもしれないが本質は「はだかの王様」ではないのか?家族友人や、思想や使命感などから元気をもらって頑張ってきたが、結局は「乞食」であり「生けるしかばね」である・・・・・こういう自己認識が進んでくると、もう一途(いちず)に命の命であるイエス・キリストに入ってきてもらいたくなります。「主よ、我がうちに来たり給え」が切なる祈りになります。多分このあたりは仏教でも同じだと思います。それを何日も何百日も何年も祈り続ける・・・・、いや、たった一度でも「心から」そうすればいいのかも・・・・・・するとやがて上次にしたような驚くべき変化が起こってくる。喜びと満足と元気ではちきれんばかりになる。それからなんです。実は本当の人生が始まるのは。
            悲しい奴隷がリッチな王様に
★ 長い長いそして暗いトンネルを抜けると、パツと視界が広がり、そこはもう明るい広野原。ちょうも舞い、鳥たちも飛びかう素晴らしい世界。そこで疲れもいやされた私たちにも、いつの間にか「翼」が与えられています。思う存分大空を駆けまわるときがきたのです。つらく苦しかったかつての日々がうそのような昔物語となります。
★ 朝起きるのが楽しくて、ふとんをけるようにして立ち上がります。空気も音楽もラジオの語りかけも、みんなかつてと違って感じられる。生きていること、それ自体がうれしく、神様からのエネルギーであふれてくるのです。誰彼の区別なく、「おはよう」と語りかけたくなる。まるで世界にも何人もいないリッチな王様になったような気分なのです。かつては生きるのが重苦しく、いやいやながら「義務的に」生き、周囲の機嫌をうかがう「奴隷」みたいでした。それがこんなにも変えられるのです。
            帰るべきマイホームがある我ら
★ さらに私たちには「帰る家」がある。長くはないこの地上の旅を終わると、用意さ
れているすてきなホームがある。であればこそ、この世界をもう縦横に旅行できるんです。もしみなさんが自宅から旅に出たのに、帰る家がなくなってしまったとしたら、たちまちパニックになりませんか?人間死んだらそれっきり、なんてことは、本気で言えることではないと思います。素晴らしい天国は間違いなく与えられます。しかも上記のように、今ここでそれは始まっているんです!
★ 復活祭とはこういう世にもまれな「バージョン・アップされた新しい人間誕生」の
お祝いです。死刑囚が無罪放免され、先の世までも楽しめるようになる・・・・こんなにうれしいことはありません。漱石の「ゆうつ」は吹き飛び、心の空には雲ひとつありません。心待ちしていた「永遠の春」がとうとうやってきたのです。私たちも少年ダビデ、罪と死と圧迫と不安をもたらす巨人ゴリアテは、見事になぎ倒されたのです。
なお、今年の復活祭(イースター)は、きたる4月4日です。
 (鶴岡市本町3丁目5-37 日本キリスト教団荘内教会牧師・同保育園長)

  


Posted by 矢沢牧師 at 03:00