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2013年05月09日

「お母さん、もっと優しくして」

「お母さん、もっと優しくして」
―優しさの泉はどこに?―
矢澤俊彦

深い孤立感ほどつらいものはありません。
お前なんかいらない、という周囲のそぶりを感じるだけで、生きていく元気をなくしてしまう私たち。
ある無差別殺人犯をとらえてみれば、「誰かに相手にしてほしかった」、という。
孤独はそこまで人を追いつめてしまう・・・現代世界のこわい一面を見せられた思いです。
そこまで行かないまでも、人知れぬさびしさをかかえた人が今日どれほど多いことでしょう。
いや多いなんてものじゃない。誰からも本当には相手にされてはいないのだ、という思いは、
たぶん今の時代、誰の心の中にもひそんでいるのでは・・・と感じます。

短冊に託した幼児の願い 
今思い出したのは、以前ある幼児が七夕の短冊に託していた願いです。こうありました。
「お母さん、ボクにもっとやさしくして・・・」。
あまりに素直な幼児の訴えに苦笑してしまうのですが、
考えてみれば、これは子どもだけじゃない、老いも若きも、多くの夫や妻も、
口にこそ出しませんが、この男の子と本質的には同じ訴えを隠し持っているのでは・・・?

優しさに飢えた時代
「個人の自立」の掛け声の結果、個々人がバラバラにされてしまい、お互いへの深い優しさが持てなくなったこの時代。
それで「もっとやさしくして」とのひそかなる大合唱がどこへ行っても聞こえてくるのです。
ここに現代の大問題があります。即ち、誰もが愛を求めている。
優しさに飢え渇いたおおかみのよう、ほえたけりつつ獲物を求めている・・・
しかしいくら探しても獲物は見つからず、飢えは増すばかり・・・という状況です。
さあ、その「獲物」とは・・と考えてみましょう。
それにも色々レベルや質の違いがあるでしょう。
ほんのわずかなふれあいでも人助けになることができます。
自分の時間や気持を分けてあげるのです。
でもさらにずっと進んで、自分の身も心も与え尽くす人、
全く無条件でありのままの相手を受け止められる人。
その人の目で世界を見、その人の肌で世界を感じることのできる人・・・
いわば、相手が食い尽くすままに自分を与えることの出来る人・・・これはもう最高の愛の持ち主です。
間違わないでください。そこまでいかなくても、ほんの少しの優しさでもすごい意味があります。
行きずりの人のひとことでも、生きる勇気がわいてくることもよくあるのです。

優しさの泉発見を
でもそこから進んで、もっともっと優しい力持ちになりたい。そんな人もどんどん出てきてほしいです。
でもそんな人にどうしたらなれるでしょうか?今私の言えるのはただ一つ。
そのためには、その人自身が、そんな深い「優しさの泉」のほとりにいることが必要なことです。
(鶴岡市本町3丁目 日本キリスト教団荘内教会牧師・同保育園長)
  


Posted by 矢沢牧師 at 08:51