2012年06月01日

孤児救済に生きた二人の偉人

孤児救済に生きた二人の偉人
七窪思恩園の石井十次賞受賞にあたって

矢澤 俊彦

「このおじさんについておいで」
★・・ある初冬の寒い日のことであった。彼はぞうり履きで古川(岐阜県飛騨の山奥の村)の伝道に赴く途中、
 とある山道で、しくしくと泣いている少年がいることに気づいた。
 「お前はどうしてこんなさびしいところに・・・?親も家もないというのか。・・それはかわいそうに・・・
 このおじさんについておいで・・・」。(五十嵐喜廣の伝記より)

 明治と呼ばれた時代、日本は貧しく、福祉という考えも弱いうえに、地震などの災害や流行病なども多かった。
 そのためにこの国の至る所に「捨て子」や「身寄りのない子(孤児)」が放置されていたのです。
 多くの人々が自分たちの生活に追われる中で、そんな子どもたちに偶然に出くわし、
 深い同情のためにもう見過ごしにできなくなってしまい、それまでのすべてを打ち捨て、
 全生涯を「みなし児の父」として歩んで世に知られるようになった人が東西に少なくも二人います。

 その一人は宮崎県高鍋出身で岡山孤児院を開いた石井十次、そして我が庄内の五十嵐喜廣(よしひろ)です。
 喜廣は昭和4年、七窪の地に孤児院をつくり、「庄内のミューラー」とも呼ばれました。
 G.ミューラーという英国人は、生涯で実に1万人の孤児をひきとったというすごい人です。
 さて、七窪の施設はその後幾多の困難と闘いながら創立者の精神を受け継ぎ、
 「七窪思恩園」と改称され今日に至っていますが、
 開設およそ80年を経た本年春、「石井十次賞」を受けたというのです。
 私は奇しくも同じ前人未踏の道を歩んだ東西の偉人が相会して、
 喜びと祈りをともにしているような感動が湧き上がってきたのです。
 
 思恩園では5月31日、祝賀会を催して二人の開拓者に思いを馳せる予定ですので、
 この機会に、十次の人生の節目になった三つの出来事をごく手短かに紹介してから、
 この両者の人まねのできない共通点を記してみたいと思いました。

石井十次の三つの節目とは

★ その1 ふるさと(高鍋)の天神さんのお祭りの日、境内で遊ぶ女の子が泣いている。
 貧しくきたない着物とわらの帯をしめているので、みんな遊んでくれないという。
 そんな馬鹿なことが・・と十次はさっそく母親の作ってくれた木綿の着物と紬の帯を脱ぎ捨てると、取り替えてやったのです。
★ その二 医学修行中、岡山の郊外の太子堂で遍路乞食の兄弟に出会ったこと。
 幼ないふたりはこもをかぶって弱弱しい。朝から何も食べていない。
 十次は大急ぎで握り飯をとってくると二人に差し出す。おずおずとのばした手がやせ細っていて痛々しい。
 がつがつ握り飯にかぶりつく子らを見る彼の心に怒りと愛が湧き上がってきた。
★その三 孤児の面倒をみようと一大決意をした彼。
 ある日、高ぶった思いが抑えられず、長年買い揃えた高価な医学書のすべてを庭に放り出すと、
 ランプの石油をふりかけ火をつけたのです。
 奥さんは彼が気が狂ったのでは、と泣き出したといいます。
 ちなみにこれは明治22年、彼25歳の時でした。

いたずらっ子の劇的変身

★ 他方の五十嵐も波乱万丈の生涯、多くの逸話や伝説めいた話があります。
 とにかく郷里湯の浜での少年時代は全く手のつけようもない腕白小僧であったのに、
 荘内中学から当時出来たばかりの新潟北越学館で松村介石など
 すぐれたクリスチャン教師の感化で劇的に心変わり、
 やがて冒頭に記したように飛騨山中で孤児救済の必要を感じると、
 もうそれだけに夢中になって生き抜いたのです。

共通点-同情心、感化力、向上心・・・・

★ さてこの二人の伝記を読んでみますと、不思議にも以下のように共通した、
 とても優れた資質があると、今回私は思いました。

① 感化力 その人の情熱にうたれて、ついその気になり手伝いたくなってしまう。
 心に熱い炎が燃えていて、接する人にそれが燃え移るのでは・・と感じます。

② 発奮する みじめな現実から逃げず、自分のふがいなさを思うと、「よーし、なんとかしよう」と思う。
 社会を責めるだけでなく、自分が求められている、と思うのです。
 それからは向上心と努力の鬼と化すほどです。今の時代にほしい資質ですね。

③ 同情心と純真な魂
 人の不幸を見過ごしにできない、泣く者とともに泣ける人なんです、やさしさの泉が二人の心から湧き出しています。
 利他の精神でいっぱいなんです。
 そして「邪念」がこれっぽっちもない。ごまかしもやましさが一切ない、この純真さにはみな参ってしまうのでしょう。

④ 気宇壮大 考えること思うこと、そしてやることもでっかいのです。
 誇大妄想だなんていう人もいたでしょうが、この平成の時代、
 お互いにすっかり人間的ケールが小さくなり、自分の身の安全ばかり志向する傾向の中で、
 私達は彼らのつめのアカでもせんじて飲みたい、と思うほどです。
 さらにたくいまれな実行力で、多くの夢を実現させたのです。

(鶴岡市本町3丁目 日本キリスト教団荘内教会牧師・同保育園長)



Posted by 矢沢牧師 at 16:20