2012年08月03日

戦後日本の精神的空白に悪霊が

戦後日本の精神的空白に悪霊が
-オウム真理教はなぜ出現したかー
丸裸の日本、精神的価値第一に再建を
矢澤 俊彦
ざんげ これはオウム真理教の全体についてお話するのではありません。それはあまりに大き過ぎる課題です。ただ本日私が記したいと思うのは、なぜああいうものがこの日本に出てきてしまったのか、このナゾに満ちた疑問についての私見です。

しかし、このことと取り組むにあたり、私は宗教者の端くれとして、深くざんげ(懺悔)しなくてはなりません。それは、かくも病む社会と悩む青年たちを前にしながら、私は宗教人として、ほとんどなすところなく過ごしてきてしまったからです。あまりに無力な傍観者であり、与えられた役目も果たせなかったことを、今私は慙愧の念をもって振り返り、何としても「ここで再出発せねば」との思いで、この一文をまとめてみたのです。
大震災はまず、自然災害です。でもオウムの悲劇は明らかに人災です。なぜならこれは、戦後の時代の落とし子だと思われるからです。

第1章 温床-戦後の虚無的生活
「悪しきオウム」を排斥排除すればいい、と思う人がいます。でもそれを育てる「温床」があるとすれば・・・そこから「もぐら」は幾らでも出てくるでしょう。ではその発生源と思われる敗戦後数十年を振り返ってみましょう。

まず私達はあの焼け野原からの復興に懸命でした。この先輩たちの努力には、世界も目を見張るものがありました。しかし経済の高度成長からバブル崩壊まで来て、一見華やかとも見えた私達自身が、ずっと抱えてきた「心の闇(やみ)」の部分が明るみに出された。それがオウム事件だったと考えるわけです。

即ち・・初めはとにかくみな無我夢中で働くばかりだったのは仕方ないけれど、そういう経済的価値を何より重んじる生き方は、修正されることなく、数十年継続されたのです。むろんそれはそれなりに充実感らしきものはあっても、経済至上主義は人間的生活としてはバランスを欠いたいびつで、底の浅いものでした。深みや重みのない「浮き草ぐらし」でした。生きる目的や価値観など、考えるゆとりすら持とうとせず、家族親戚や人々との絆も薄れ、ものはあっても「人間らしい生活」とは言えないままに流されていってしまった。

① 虚無の風 それは経済復興の陰で、絶えず「虚無の風」にさらされた「むなしさ」と「さびしさ」が同居していた。その一部は、各時期の流行歌が「痛み止め」をしてくれましたが、精神の大きな空白は絶えずあったと思うのです。したがってそれは目的喪失の漂流船のようで、苦労のわりには、報いが少なく、競争の中でみな懸命なだけ、互いに感謝し合うことも少なかったのです。

② 夢はなく 社会が整い、その管理化が進むに従い、多くは夢を失い、思うこと考えることも縮こまり、情熱を傾ける対象も持てなくなっていきました。
テレビで「プロジェクトX」なる番組で紹介された夢ある人たちは、むしろ例外的だったのでは?

③ 白けた時代 今振り返ってみて、社会的に大きなことといえば、まずは安保闘争、そして赤軍派事件や大学紛争はあったが、総じて「無気力」と「あきらめ」ムードが支配的で、どこかで白けながら流されているうちに年を重ねてきてしまった気がします。
 とにかく国民挙って何かに当たる、という感激は皆無に近かったのです。

④ 四苦に翻弄され 既成宗教の非力もあり、国民一般は仏教でいう「四苦」(生老病死)にさらされ翻弄されながら、「大いなるあきらめ」で包み込んで、がまんするほかはなかったのです。なお各種公害病はあり、いじめ虐待や自殺者やうつ病もふえ、震災が追い討ちをかける、という世の中になってきています。

⑤ 地球の危機 国際的にみると、冷戦は終結したものの、核戦争や環境汚染、また資源やエネルギー問題で、地球存亡の危機が盛んに言われ、人類全体の上に黒雲がたれ込めているような「不安の世紀」であったことは言うまでもありません。

第2章 オウム青年の「異議申し立て」
多い時で1万数千人といわれた若者たち。その大量出現の温床は、上述の戦後日本、それも数十年後の1980年代でした。

① 求めていたものは まず彼らは「精神的価値」の希求者でした。「人はパンのみで生くるにあらず」。
親がかりで苦労知らずのお坊ちゃん達は、物欲の代わりに、もっと深みと真実味のある生き方に憧れていたのです。これを頂門の一針とすべき当時の大人は・・。

② くたびれたおじさんたち 青年の目から見ると・・理想を失い、ただ「金と欲」に引きずられ・・飢えや戦争が世界中にあるのに、みなエゴだけがむきだし・・あれはイヤ、この社会はおかしいぞ・・もっと清浄な世界に住みたい・・。 このピュアな正義感や理想主義。未熟ながらこれは鋭く青年らしい直感です。

③ ゆがんだ知性 多くが「優秀」な「知的エリート」といわれた彼らです。でも残念ながら、随分そこに歪みや欠陥がありました。これは事件の調査や裁判の進行とともに明らかになってきたことです。
でもこれは青年たちのせいではありません。
何より欠けていたのは判断力。様々な知識経験を統合して事物を識別する総合力です。これは知識だけを幾ら集めてもダメです。
 どうして彼らはあんな教祖に簡単にだまされ、奇怪な教義のとりこになってしまったのか。どうして途中で疑問を感じ、距離を取れなかったのでしょう?
私見では、幼少のころから、自分の感覚を働かせ、自分の頭で考える訓練が少なかったからでしょう。すべてを人から受けるだけの受動的教育の弊害です。指示待ちでマニュアル人間のこわさです。
 競争社会の中での劣等感、挫折感、無力感、社会経験の乏しさなども、彼らの「のめりこみ」の拍車となったでしょう。


④ 父の不在 彼らが求めていたのは、生きるための世界観であり哲学でした。それはこの複雑で混乱しきった世界を明確に整理し、歩く道をつけてくれるものです。 これは本来「父親」の役割なのですが、多分に「会社人間的」であった当時の父たちに、そういう力はなかったことでしょう。
父なき子らは、混沌とした視界ゼロの世界で悶々、もがきつつ過ごすほかはありません。

⑤ 心の基地もなし 当時の若者にはまた「母も不在」でした。「心の基地はお母さん」という幼児教育の本がありますが、大人になってもその基地なるものは必要です。自分がそこで保護され、徹底して愛され、前進するエネルギーの補給を受ける基地です。
 余談ですが、筆者は長野の中学生時代、南極に向かった観測船「宗谷」が、固い氷に阻まれ動けなくなり、当時の国民が挙ってヒヤヒヤ、でもソ連の大型砕氷船オビ号に救助され胸をなでおろしたことを、今もよく覚えています。が、 とにかく基地なき人間は悲劇的なのです。
 オウムに惹かれた青年の多くは母的な基地もなく、大抵ひどく孤独で、愛情に飢え、誰かに認められ受容されることを必死で求めていたのです。
愛情にも飢えて 既に少子化時代、大家族生活の楽しさも知らず、友人関係も薄く、情緒的に不満だったのでしょう。
 このように、父も母もいないとなれば、さびしさは極限近くつのるばかり、言わばスキだらけの大変危険な状態にあった。そこに、あの時代の「悪の霊」は、いともたやすく侵入していったのです。

⑥ 宗教体験の「免疫」なし 人一倍真面目でピュアな精神で、この汚辱にまみれた世界脱出への希求。でも、彼らのほとんどは、宗教というもののすばらしさも危険も知らなかったのです。最善のものが堕落腐敗すれば、最悪のものにもなる、といわれます。
たとえば、優れた宗教でも、適切でない指導のもとでは、とかくいつまでも闇の中を迷いつつ、それを救いと錯覚させられ、段々消耗、ついに燃え尽きさせられてしまうことです。また「毒キノコ」のような宗教。見かけと違い、内容は実に「悪魔的」です。信者を解放する代わりに、教祖や教義や教団の奴隷としてしまい、しばらくして会ってみると、人間らしい感情や思考力も奪われて別人のようなのです。 なお少し違いますが、ヒトラーなどの軍国主義や独裁政治も、同様に悪魔的(サタンが自在に暴虐を行っている)と感じます。

第3章 グル(教祖)麻原彰晃の悪魔性
① タイムリーな出現 これまで述べた青年たちの激しい精神的飢え渇きに、実にタイムリーに応える人物が麻原でした。 そこで言わば海綿に水が吸い取られるように、彼らはグルに吸収されていったのです。

② 神でなく悪が でも麻原の心中には、彼らが最も求めていた「真実の神」と反対の「悪霊」であったとは!なんという悲劇でしょう。
彼のうぬぼれや思い込みや権力欲は増幅肥大化し、なんと「救世主」を名乗り、その妄想は、物質主義文明を破壊することが「救済」だと豪語させ、実際地下鉄サリン事件さえ起こしたとは驚くほかありません。

③ 3つの特異技 麻原がどんな修行をしたのか私には分かりませんが、このグルが得ていたのは次の三つです。
まず、あらゆるウソや虚偽を塗り固めて、最良のものと見せかける秀逸なる詐欺師的能力。次に青年を惹きつけ、自分に帰依させ、思うままに操縦しまくるテクニック。そして今の軟弱な日本を(警察なども含め)、言わば「なめてかかる」力です。彼にとってこの国はあまりにうぶでひ弱、精神力も抵抗力も戦闘力もない。なんとも御しやすく、手玉にとるのは簡単そう。
ヒマラヤを下りた彼の心中で、こういう恐ろしい悪の力が増殖を始めたのでしょう。

④ 独裁的教団の恐怖 これについては大分明らかにされつつあるようですが、独裁者のやり方には共通点があります。
たとえば、絶対的服従のおきて、相互監視や密告制度、自由な言論の禁止、脱走者をみせしめに・・・・などなど。
また教団への疑問は心の曇りから生じる、といってそれを封じ込めるなど、手口は巧妙。例の「ポアの論理」などには呆れるばかりです。いわく、「どうせあの人々は積もる悪行のために地獄落ちは必至、ならば事前のその命を天に上げてやったほうがいい」、とこんな論理を弄んで大量殺人を目論んだというのですから・・・。

⑤ 残る疑問 それにしてもまだどうしても不明なのは、いったい麻原彰晃は何を最終目的にしていたのか、という点です。法廷で彼自身が沈黙しているのではかりかねますが、どうやらそれは権力や金や名誉のようなものだけではなさそう、何かこの日本を手玉にとって、ゲーム感覚で弄んでいる感じが私にはしてきます。戦後の大きな「空虚」に入り込んだ悪霊のせせら笑いが聞こえるようで、私は悔しくて仕方ありません。

第4章 この犠牲を無にしない為に-新たなる国づくりに
オウム真理教事件は実に多くの犠牲者を出しました。戦後最大の組織犯罪とも言われます。しかし、この温床が私達の長い戦後の生活であったことを確認しましょう。
これは人為的大災害です。その後の阪神や昨年の東日本大震災と思い合わせると、この国の身も心も、すっかり「丸裸」にされてしまった感じです。それを見据えつつ、青年たちの異議申し立てを受け止め、真の復興とは何かを考えなくては、と思います。

① 精神的価値を第一に これまでの経済価値中心を大転換すること。改めたいのは、休まず考えず走り続けるような生活。いくら掬っても、手のひらからみな落ちていく砂粒のような、空しい生活です。どこを切ってもいのちが飛び出してくる「充実」とは?そこに共同生活の喜びと感動あり、夢も希望もあるゆえに、さすがの「悪霊たち」も手が出せないはりつめた人生とは?
 そういう「グレードアップ」された「人間進化」の道です。

② 強くたくましくなる 弱さが目立つ戦後世代。孤独に耐えられない。組織や友人に依存する。自分の足で立てない。・・・でもこれからは、悪をたじろがず見据え、これに抵抗も出来る「主体的人間」が目標です。

③ 判断力・批判力を 自分の頭で考え、それを表現する自信も。
 「大義の為の殺人」なんておかしい、と即座に思う感覚や判断力が育っていなかった。受動的記憶中心の学校教育や親の価値観も反省されます。
 明るく健康な宗教の探究を 私達はこのたび最悪の宗教を見せられてしまい、もう宗教はこりごりだ、と思う人へ。湯水と一緒に赤子を捨てないこと。人間も芸術も娯楽と同様、宗教もピンキリです。
 人間的がんばりだけで強くはなれません。私達に幸福も、充実も生きる意味も、また批判力や知識の統合なども生まれてはこない。また四苦に完勝することはとてもできかねます。 
 ただし、深い宗教的救いにあずかるには、オウム青年が教えられたように簡単ではないことです。「解脱」には相当の時間と努力がいります。それはたとえば、異物を飲み込んだ真珠貝が、長い血みどろの内的格闘を繰り返すのに似ています。ある日突然、全く思いがけなく、輝くばかりの真珠が光を放っている!この喜びは、地上のいかなるものにも決して比べられない大きなものなのです。それに比べれば、オリンピックに出ることのほうが、ある意味では楽かもしれません。
 しかしそうして与えられたものこそ、新しい日本の精神的土台になるのだ、と思います。  砂上楼閣の国に基礎を据えるに、「せっかち」は禁物なのです。

④ 社会生活の民主化 オウム教団を見ながら、そこになぜか数多くの日本の古いものや封建的で非人間的なものが多くあることに気付きます。
 一方的指示や絶対服従、いじめや虐待、差別や序列意識、きびしいノルマ、不自由な言論、管理統制された情報、軍国主義的上下関係、脱会の禁止・・その他いろいろあります。が、どれもどこかで見聞きしたことのあるもの、私達の家庭も会社も市民生活も・・気付いたところからどんどん改めていく意欲を持ちたいです。

- 最後に オウム青年の迎え方 -
元オウム会員だった人が私達の身近かにいるかもしれません。また刑期を終えた人たちも出てくることでしょう。その際は、できるだけ暖かく迎え入れたいもの。理由はこれまで十分記しました。
彼らは私達の社会が育てた人たちであるからです。
「まだやってるんだって」、と言う人へ。でも考えてみてください。自分のすべてを賭けてきたんです・・・スンナリやめるには困難があり過ぎます。
愛する父親や恋人に手痛く裏切られたようなもの、いやそれ以上でしょう。 また敗戦直後の軍国主義者の心中を想像してみてください。



Posted by 矢沢牧師 at 11:32