C3
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格好良く生きられない牧師のちいさな話
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話が長い、説教じみていると言われることもあります。格好良く生きられない牧師のちいさな話です。
ja
Mon, 27 Jun 2016 18:53:30 +0900
Mon, 29 Dec 2008 12:42:07 +0900
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CLOG
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矢沢牧師
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日本基督教団 荘内教会
山形県鶴岡市本町3-5-37
TEL0235-22-8196
社会福祉法人 地の塩会
荘内教会保育園
山形県鶴岡市本町3-5-36
TEL/FAX 0235-25-7070
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『キリストによるマグマ爆発』 発刊なる
『キリストによるマグマ爆発』をお贈りいたします。
鶴岡 荘内教会 矢澤俊彦
この情報氾濫の時代、時代の流れに掉さす思いで、こんなものを発刊してみました。
みんななんとなく押し黙ってしまっている今の時代に空気も変えていこうではありませんか。
内容は鶴岡在任40年の私の訴えであり、骨子は次のようなものです。
○ I Sその他の事象のために宗教への批判的気分が強い時代です。でも赤子を風呂の水と一緒に捨てるのは愚か。人間にも思想にも芸術などにも、よきものと誤ったものがあります。政治や教育が悪いからと言って、それを捨ててしまうわけにはいきません。宗教も同じでしょう。
○ 逆に良き宗教こそ、今の時代と、私達の人生の様々ないきづまりを突破するエネルギーと知恵を与えてくれるものであること。
○ 人間は光を受けてこそ輝ける存在であること、老いや病や死に勝つ力の源泉、生きる目的を与え、エゴイズムを克服し、他者のために生きる利他心が養われること、震災やあらゆる人生の災難や危険に備える「避難所」を提供すること、など。
○ 日本人が自虐や劣等感に代わり、深い自信と自己肯定感、また明るい情緒をもって積極的に生きる力は、優れた宗教からやってくること。
国家も経済に代わる精神的に豊かな社会づくりを目指すべきこと、エネルギー消費を減らし「小さく生きる」ためにも信仰による生活の充実が前提となること、国家目標を世界平和に定め、諸国をリードするために宗教的確信が必要であること。
○ まず内面にわけの分からない「悶々」をかかえている私達の不健康で不発の大きなマグマを火山爆発のように噴出させ、完全燃焼の日々を生きること。このことが起こるのは、私が知る限りでは、キリストの熱愛を受けることによるほかないのではないか。
本冊子を読んでみたい方に無料でお贈りいたします。
送付先(郵便番号・住所・お名前)を メール または お電話(0235-22-8196)で 矢澤まで御連絡下さい。
http://shonai.n-da.jp/e694743.html
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Mon, 27 Jun 2016 18:53:30 +0900
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来たる4月20日は「復活祭」です
来たる20日は「復活祭」です
クリスマスはよく知られていますが、このイースターはまだなじみが少ないお祭りです。
でも死に勝利したキリストを祝うこの大祭は、とても深い深い意義があります。
それを以下に記しましょう。
そして20日(日)午前10時からの教会の礼拝に、こぞっておいでください。
勝利の人生を歩み始めようではありませんか!
荘内教会牧師・同保育園長
矢澤俊彦
復活祭がやってくる
「永遠の生命」訪れの喜びとは矢澤俊彦
自然の循環からの解放★ もうすぐ「復活祭」がやってきます。今年はきたる4月20日(日)から始まります。「今年は」というのは、このお祭りは、クリスマスと違って、毎年少しずつ移動するからです。即ち、「春分の日のあとに来る満月後の最初の日曜日」、と決められているからです。
★ イースターの到来は、万物よみがえるかのような春の時節と重なります。でもこれは「春がきた」という自然の祭とは違います。自然や季節は、結局同じことの繰り返し、春は夏となり、やがて秋がくるという堂々巡りを無限に反復するだけ。その循環の中に、私達は、いわば閉じ込められている。その循環から立ち上がることも、解放されることもありません。そしてその行き着く先は、「死」でありましょう。人間も自然の一部である、と考えられているからです。
自然のとりこから人間へ★ しかし復活祭というのは、この無限的循環のとりことなっている私達を解放する。そこから立ち上らせて「人間にする」という、最高にうれしい一大フェスティバル、奴隷解放にも似た大祭なのです。それはいったいどういうことなのでしょうか?
飛べない鳥の復活は傷つき倒れ、「飛べない鳥」のような私達。みなどこかで「つばさをください」、と叫んでいます。しかし幾ら待っても、どこからも助けはやってこないようなのです。
そういう人間が本当によみがえり、翼を駆って天空を経巡ることが出来るとすれば、それはどういうときでしょうか。
受容のエネルギーが天から★ 私が本欄でもよく力説するのは、「人は愛で生きる」、「受容」こそ万人を生かすもの、ということです。この自分をどこまでも深く受け入れ、とことん愛してくれる誰かに出会ってこそ、私たちはよみがえるはずです。
しかしどうでしょう。それほど純粋で強い愛に巡り合うことは滅多にありません。自分自身もそういうものからははるかに遠い感じがします。そしてこの世で最良の愛でさえ、どこか不純で、ひ弱であり、変わりやすく永続しません。生身の人間に、そう多くを求めることは無理なのです。
天来の愛の襲来が★ そういう苦しみにあえぐ人類に、復活祭がやってきます。それはまさに私達一人ひとりを、全く無条件に受け止め、受容してくれる、天から下ってくる神の大愛の訪れなのです。それは「死にも打ち勝った」キリストの、強く激しい愛の襲来です。これこそ私達を自然(=死)から立ち上がらせ、(初めて)生きた人間にする強烈無比のエネルギーの迫りなのです。これを受けないうちは、まだ深き眠りのうちに「夢うつつ」の人生を生きて?いるに過ぎない。これがイースターのメッセージの核心です。
十字架上の極悪人も★ この愛の迫りを受けたのは、なんと十字架の上の強盗でした。きっとよほどの悪党だったのでしょう。キリストの隣の十字架にはりつけにされたのです。 人生も土壇場、これ以上追いつめられ、希望なき有様はないでしょう。
さてその状況の中で、強盗は隣の男に目をやりながら、それまで感じたこともない清らかで、なんとも暖かい力が自分に向かってくるのを感じた。
その不思議な強いエネルギーのために、彼の心は激しくゆすぶられ、ついに「オレは何たる悪党だったのか。できることならゆるしてくださらんか」、と叫んだのです。「わかったぞ、きょうのうちに、お前はわしと一緒にパラダイスにおるぞ」の答。心はいつの間にかキリストのように清浄になっていたのです。強盗はこのとき、初めて人間として復活を遂げたのでしょう。すごい話じゃありませんか!
卵の殻から出ないと★ イースターには色とりどりのたまごが用いられます。その意味の一つは・・・私達の命は殻(から)の中にあること。そこは暗く狭く不自由。そしていつまでもいると、そこが墓場になってしまうことです。何としても「飛び出そう」、と必死にならねばなりません。やがて、外から親鳥のつつく音が聞こえてくる。その時を逃さず、「それっ」、と飛び出さねばなりません。するとまあなんと想像も出来なかったような広くさわやかな世界が広がっているではありませんか!
イースターの呼びかけはこれに似ています。固い殻の中に閉じこもって、そこが一番安全だ、と決め込んでいる行き方。これほど危険なことはありません。大いなる世界を、ついに知ることもなく、命の終わりがきてしまうからです。
閉じこもる大男、救いは外から★ そんな大男がいました。素晴らしい大庭を持っていたのに、旅から帰ると、遊んでいた多くの子供たちを追い出し、高い壁をめぐらせて、誰も入れないようにしたのです。が、たちまち不思議なことが起こりました。春だったはずの大庭は冬将軍がいすわり、町は夏や秋になっても寒々とした氷がはりつめ、生きとし生けるものは姿を消してしまったのです。
1年以上もたったころ、男はさすがに自分の非に気づく。でも自分で壁を壊す勇気はないのです。
「救いは外から」訪れます。ある日(塀の下をくぐってでしょう)侵入した子供らの力によって、やっと自分の壁(殻)から脱出できた、という童話があります(オスカー・ワイルド)。木々のすべての小枝にすわる子らがいっせいに手を振る姿に、大男の涙は止まらなかったのです。
永遠と死の狭間での不条理★ 復活祭には二つの解放があります。ひとつは、こういう生きながら死んでいる私達を生き生き人生によみがえらせること。もうひとつは、文字通り「死に勝つ」ことです。後者について少し考えてみましょう。
その天来の力と愛のエネルギーは、私達を支配しているような「死の力」からも自由にし、「永遠の生命」にまで導く、というのです。
人間は動物とは断然違って「死を自覚する」生きものです。また木石(ぼくせき)にあらざる私達は、いつも人間仲間と思いを交わし、願いや夢をもって生きています。そして心の底には、「永遠への思慕」というものを持っているのです。
でもその人生がかくもはかなく、中途半端で未完成、これを私は大きな「不条理」と感じます。人生という括弧の前に大きなマイナス記号がある、とはよく使われてきたたとえです。何だか死刑執行を猶予されてるようなオドオド人生。時にこんな命をつくったヤツは誰だ、とのろいたくもなります。
親は愛する子を滅ぼさず★ しかしイースターは、その巨大なるマイナスを一挙に取り去ってくれる非常なる愛と力の訪れなのです。卵の殻の中で悶々としている人々、十字架上の極悪人、大庭のある家で涙する大男・・・、彼らに思いもかけなかった光が侵入してくる。一瞬にして私達の日々に祝福が訪れるのです。
これが古来「永遠の生命」と呼ばれてきたものでありましょう。
★ 親の愛を考えてみましょう。わが子への思いは海よりも深し。ブランコに乗れたといって喜び、風邪をひいたといって心配します。時におしおきをしても、見放すことはありません。ましてわが子の滅びを見過ごす親はいません。
そういう「天の父」がキリストを墓からよみがえらせ、そのほとばしる命を、私達すべてに与えてくださる。これが復活祭です。この喜びに支えられてこそ、子育てに励むこともできるはずです。
大震災犠牲者にも 私はあの大震災の犠牲者を思います。戦争による犠牲者を思います。そして天の父の大愛が、彼ら一人ひとりをよみがえらせ、天国に住まいを与えられていることを思うのです。この永遠の生命が人類に深まりゆく今年のイースターでありますように。
「蝶(ちょう)一匹飛ぶにも、全宇宙が必要なのです(クローデル)。」
なお4月20日の復活祭には、全国どこの教会でも、午前10時前後からお祝いの集まりがあります。どなたでもおでかけください(鶴岡市本町三丁目 日本キリスト教団荘内教会牧師・同保育園長)。
http://shonai.n-da.jp/e511868.html
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Tue, 15 Apr 2014 09:38:11 +0900
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『心眼』を開きたい私達(下)
『心眼』を開きたい私達(下)
–ワイルドとトルストイの開眼-矢澤 俊彦
死んで気づいた王子様オスカー・ワイルドというアイルランドの作家がいます。この人も、大きな苦しみを経て、ついに心眼が開けたのでした。
彼は、19世紀末の英国の社会的雰囲気の中で、世間から誹謗(ひぼう)中傷を受け、牢に閉じ込められる憂き目に会ったのですが、その獄中で、聖書をむさぼるように読んで、眼が開かれたようです。
出獄後出版したもの、たとえばあの『幸せな王子様』をよく読むと・・・。
あの王子は生きていたときは自分の城の中だけで遊び暮らし、周囲の貧乏人や不幸な人々には全く気づかない「酔生夢死」の生活だった。しかし死んで町はずれに銅像として立てられて、やっとまわりが見え始め、せめて出来る人助けをしたということでしょう。そしてそれはかくも自分は愚かだった、という、ワイルド自身の強烈な自己弾劾(だんがい)が隠されているのです。王子の台座で1泊しようとしたツバメに落ちてきた涙は、そういう自分の過去への悔恨の涙であった、というのが私の解釈です。他人への愛に、自分をささげ尽くすことの幸せに、やっと気づいたのです。
名作をゴミの山に捨てたトルストイ 周囲も世界も見えない不安は、貪欲(どんよく)を生みます。でもたとえ全世界を得たとしても、自分の命を救えないことを体験した人に、あのロシアの文豪レオ・トルストイがいます。彼は自分の「眼の狂い」を、「人はどれだけの土地がいるか」、という有名な小品にまとめています。
ある貧しい農夫が、訪ねていった風変わりな村で、その人が1日、日の沈むまでに歩いて囲みとった土地を、ただ同然の値段でもらえる、という夢のような話を聞いて大張り切り。でも肥大する欲望に負けて、必死で疾走、ギリギリでゴールインすると同時に、心臓が止まってしまい、必要な土地は墓地用地だけだったという、強烈に皮肉で物悲しい話です。
ところが先ほどのワイルド同様、これは、人気絶頂だったこの作家の、やはり深い自己発見と猛反省が背景にある、といわれています。
即ち彼は、ある時突然心眼が開いたのです!あらゆるもの、財産も名声も身にまとっていても、よく見れば自分は全くみじめな「はだかの王様」に過ぎないことに。世界から拍手喝采を受けた作品も、ほどなくして自分に襲い来る死や老いに勝たせてはくれない!「もっと、もっと」と浅ましく地上の財産を囲い込んでも、結局はむなしいものだ、と悟ったわけです。そこでトルストイは、それまで絶賛を受けた作品を、みなゴミの山に捨てる一方で、「くつやのマルチン」などで、信仰による満足と人に尽くす利他の人生を説いたのでした。
利他の道が地球を救う長くなって恐縮でしたが、以上をまとめてみます。
① 私達の眼にはりついているウロコは、自己愛や欲望への執着から生じます。その根本原因は、内心の不安や空虚にあります。
② そういう心に訪れてくれるのが、メサイア(救い主)と呼ばれるキリストです。クリスマスが盛んに祝われるゆえんです。泣きじゃくっていた幼な子に、やさしい母親が出現するようなものです。
③ そこでウロコは落ち、ついに心眼が開く。この感謝と喜びのうちに、世界が初めて見えてくる。そして今度は自分のためでなく、他人と世界のために猛烈に働き始めるのです。それは最高に満足を感じる生き方となるでしょう。生老病死に打ち勝つ人生です。
こうして小さいながらも満足ある生活をする人たちが、地球上にどんどん増えてくること。これが今この世界と人類を救う道だ。私にはこう思われてなりません。トルストイなどの優れた人類の教師にならい、もう愚かな「土地の囲い込み」に終止符を打とうではありませんか。
(鶴岡市本町3丁目 日本キリスト教団荘内教会牧師・同保育園長)。
http://shonai.n-da.jp/e484944.html
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Fri, 15 Nov 2013 17:27:51 +0900
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心眼」を開きたい私達(上)
「心眼」を開きたい私達(上)
–私達にはりついている心のウロコ-矢澤 俊彦
自分は何を見てきたのか?私には実は眼の難病があり、不自由することがよくあります。でもハイテクの発達で、本は前より読めるし、こうした文章も書くことができます。でも7,8年前この発症が知らされたとき、そして不自由さに困惑させられるとき、私も世の多くの悩める人々の仲間入りをさせてもらったような気がしました。これも自分に与えられた試練、負けてはいられない、と自らを励ましてきました。それからというもの、私は「心の眼」ということを考えるようになりました。そして自分に問いかけるのです。お前はこれまでの数十年、いい眼を与えられながら、いったい何を見てきたのか、この世界をたじろがずしっかり見てきたのか、いやその前に、自分自身の姿を見つめることからも逃げまわってきたのではないのか・・と。
そんな私の気持を知ってか知らずか、やってきた娘達は、少しいたずらっぽく「お父さん、これで心眼が開けて、いいお仕事できるかもね」・・・。
我が目をえぐり取った人 それはある「ギリシャ悲劇」の中にあります。衝撃的で、私は忘れることができません。でもそんな考えられないことを、もしかしたら私たちも、何気なくやってのけていそうな気もしてきたのです。それはこういう意味です。
自分の色で染めあげる世界自己中心でうぬぼれの強い私たち。「親の欲目」という言葉も象徴するように、見るものすべてを自分の色(めがね)で染め上げてしまいがち。それで身近かな夫や妻、またわが子ともすれ違ってしまいます。そして自分に不都合なもの、見たくないもの、関係のないものは、なるべく遠ざけている。いわば全世界も、その人の「自己愛の延長」としてしか見えていないのでは・・・。
そうだとすると、これはまさに自分の目を取り去ってしまっている。とにかくこの世界にいるのは自分だけなのですから・・と、これ自体妄想じみたことを思わされるのです。もちろん、世の中には、自分のことなどうち忘れて、他人のために尽くしている人たちが多くいることを私も知っていますが・・。
自己執着からの解放 やはり人類の難病は自分へのとらわれ、自己執着でしょう。自分の欲望や不安が、厚いウロコのようにかぶさっている。そのためにかくも美しい世界が見えない。自分の思いで生きようとするので、すべてが不満のたね。感謝もなく、暗い毎日となります。こんなことが長く続くと生きる元気もなくなり、死にたくもなるでしょう。
でも事実はそれとまったく違っている。この重いウロコさえ落ちるならば、がぜん世界は驚くほど一変、花も咲き、小鳥もさえずり始める。閉じ込められていた自我の牢獄から脱出するからです。私たちの人生もこうならなくては・・・。
そこで昔から優れた宗教者や哲学者などが、この悩みを解決しようとして苦闘してきました。そういう人たちは、我々凡人に代わって苦しみ、答えを出してくれたのです。私達がそんなに苦しまなくてもいいように。実にありがたいことです。仏教でも、「悟り」とか、「解脱(げだつ)」がいわれるのもこのためでしょう。
キリストの最大の使命も、自己執着を転換し、私たちの心眼を開くことにありました。私たちがこれほど自己愛に振り回されるのは、自分が弱く、その内面が空虚で満足がないからです。それは本来満たされるべき「神様の愛」から遠ざかっているからだ、と聖書はいうのです。
それでは次に、何人かの先覚者のたどった道とその訴えに聞いてみましょう。
心眼で生きた鑑真和尚まず紹介したいのは、中国の唐時代の僧侶「鑑真」(がんじんー唐招提寺を建立した人)です。激しい修行の結果、確かに心眼が開いたこの僧は、何としてもこれを大和(やまと)の国(当時の日本)に伝えたいと思い、数度にわたる日本海渡航を試み、ついに難破などのあらゆる危険を乗り越えて渡来に成功。しかしそのために、盲目になってしまった、といわれます。しかし、それに少しもひるまず、非常なる熱心をもって布教したのです。
この不思議なほどの強烈なエネルギーの秘密は・・・・私の想像ですが、自分の恥ずかしくみじめな過去を思うにつけ、心中にマグマのようなものが爆発したためでしょう。
自分の肉眼を失ったことよりはるかに涙したことは、無数の人々が眼をなくして平気でいる、という悲劇に対してだったことでしょう。
(鶴岡市本町3丁目 日本キリスト教団荘内教会牧師・同保育園長)。
http://shonai.n-da.jp/e484943.html
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Fri, 15 Nov 2013 17:26:26 +0900
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今年のアドヴェンと(待降節)・クリスマス(降誕節)の集会予定
今年のアドヴェンと(待降節)・
クリスマス(降誕節)の集会予定(なお日曜日の礼拝は、いつも午前10時から11時15分ころまでです。
★収穫感謝日
11月24日(日)午前10時 終末聖日ともいわれます。
この1年の感謝と、世界の完成を望む日です。
エレクトーンによる伴奏は赤沢朋子さんです。
★待降節第一聖日礼拝 12月1日(日)新年の開始。
クリスマスの始まりです。
奏楽と演奏は、ヴァイオリンの小林 誠さんです。
★待降節第二聖日 12月8日
鶴岡の市民合唱団(江戸川との交流合唱団)30人が来援。
モーツアルトの「戴冠ミサ曲」(一部)を歌ってくれます。
★待降節第三聖日 15日(日)
この日は男声合唱団のデザミ・アンティム約20名が来会。礼拝を力づけてくれます。
湯の浜の老人ホームなどの思恩会でも、この日クリスマス会があります。
★キャロルを歌う会 20日(火)午後7時―8時30分
クリスマスの讃美歌を20曲ほど歌いましょう。
★保育園クリスマス 21日(土)9時―11時30分
★クリスマス(降誕日)礼拝 22日 最も大切な礼拝です。
3名の洗礼式があります。みんなでお祝いの昼食会をします。
★子どものクリスマス(教会学校)23日(月)10時―11時30分
★降誕後第一聖日
12月29日続いて1月4日(栄光祭)となります。1月いっぱいは、クリスマスの喜びが
http://shonai.n-da.jp/e484942.html
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Fri, 15 Nov 2013 17:21:05 +0900
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教会とクリスマスの御案内
教会とクリスマスの御案内
★ここは市役所からわずか南にあるプリテスタントの教会。
いつでも、どなたでも歓迎いたします。
市営プールに向かう途中にある白壁の2階建ての瀟洒(しょうしゃ)な教会。
明るく、民主的で、出入り自由の庶民的教会です。
お話を聞いてもらいたい人、悩みや御相談のある人、特別何もない人も、お気軽にお立ち寄りください。
★これをこうして書いているのは、牧師の矢沢俊彦。
35歳で鶴岡にきて、ちょうど35年を経過しました。
私は20歳のとき、父の急逝に出会い、人生の悲しみと残酷さを味わい、
その結果キリスト教の牧師の道を選んだものです。
★教会の集会は日曜日午前10時から11時15分ころまでです。
いつも大体20-25名の方々が集まっています。
きさくでつきあいやすい人たちです。
くつろいだ雰囲気、きれいな讃美歌や音楽、
分かりやすいメッセージなどが、あなたを魅了できれば幸いです。
★また教会には、あなたの心のかてになりそうな書物が沢山そろえてあります。
お貸しいたしますので、お気軽におたちよりを。
★また隣接の保育園では、今保育士さんを募集しています。
応募してみたい方は、0235-25-7070までお電話ください。
http://shonai.n-da.jp/e484941.html
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Fri, 15 Nov 2013 17:19:15 +0900
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逝きし友を得る道は?
逝きし友を得る道は?
―「目覚めよ、と呼ぶ声あり」―矢澤 俊彦
友を送る深きさびしさ「嵐吹く騒がしき世に 日々友は滅び行く」、というさんびかの一節があります。
「滅び行く」と私は思いませんが、実際多くの友がどんどんこの世を去っていく。ほんの1、2週間のうちにも、私達はどんなに多くの別れを経験させられることでしょう。そのほとんどが実に悲しい。特に年若き者や、思いがけない事故や病気で逝く人々には、送る言葉すら浮かびません。そのたびに自分の命も削られていく思いがします。 まるでこの世界には大洪水が押し寄せてきていて、これに何とかして有効に対処しないなら、その巨大な流れに流され、どこかに連れ去られていってしまう気がします。
保育園と古き墓地先年温海地域に散在する保育園を訪ねたとき、園児たちが日々通う道のすぐ脇に、年を経たお墓が広がっている光景に出くわしました。
私は「はっ」とし、深い感慨に引き入れられ、両者の距離のつかの間であることを悟らされました。そこで思い出したのは、西欧の修道僧の日頃の合言葉です。「メメント・モリ」、即ち、「汝は死ぬべき者であることを覚えよ」です。こう挨拶し合って修行に励んだというのです。
酔生夢死に誘うもの「酔生夢死」(酔ったように生き、夢見るように死んでいく)といわれる人生に陥りがちな私どもです。先にこの世を去った無数の先輩たちも、「メメント・モリ」、と叫んでいるのではないでしょうか? 「きょうの日が汝の終わりの日と思え」、というフランスの賢人モンテーニュの言葉もあります。昔から、哲学というものは、「死の演習」である、とも言われてきました。
でも凡人である私達の多くは、精神的惰眠(だみん)をむさぼり、不注意かつ怠惰です。快楽を追い、面倒なことをあと回しにします。それはどこかに巧みな魔法使いでも隠れていて、私たちの目覚めを妨害しているかのようなのです。 その手口は、我々を夢中にさせ、酔わせてしまうようなものをとりそろえて、次々私たちの周囲に置いておくことです。心地よい季節の移り変わりはじめ、仕事や勉強、恋愛や子育て、得たお金や社会の評価、健康づくりや飲み食いや旅行など楽しい娯楽も。
それ自体すばらしいものであるだけに、それにおぼれ騒いでいるうちに、かけがえのない「時間」というものを、やすやすと盗まれている!お金には代えられない大事な宝を、どんどん盗みまくる怪盗のほくそ笑みが見えてきそうです。
医学発達の皮肉私達がいつまでも生きられるかのように錯覚させるのも、彼らの手のひとつです。数年前なくなった有名な精神医学者土居健郎(たけお)は、現代医学の発達が、人生の短さを気づきにくくさせる皮肉を招いていると述べ、続いて、あの子規や鴎外など、明治の文豪が早熟だったのは、当時の医療事情が悪く、誰もあすのいのちも保障されない境遇を生きていたからだ、と指摘しています。
はたして死を克服できるのかさて、それではどう見ても「負けいくさ」のように感じられるこの人生、ことに容赦なく散らつく死というものに、何らかの仕方で「うち勝つ」ことができるものでしょうか。これが問題です。そしてこれこそ古来、賢人や哲人が、そしてわけてもすぐれた「宗教」というものが今に至るまで格闘を続けている大問題なのです。 そこで私がわずかの紙面でズバリ答えることは到底無理ですが、8月の間に導かれたことを勇気を出して皆さんにお分かちしてみたい、と思ったのです。せめてこの問題と取り組むサワリのようなものを述べてみましょう。
まず必要なのは、「死に勝つ」という道があるならば、自分というものにできるどんな努力も惜しまない、という固い決意が必要です。愛する我が子を失った親は、もし何らかの方法でその子をよみがえらせることができるなら、どんなことにも耐えて求め続けることでしょう。かくいう私も、20歳のときの父の死が悲しく、それから50年、「不滅の命」について毎日のように考えてきました。
心の底を探ることから そこでまず、普段の生活の流れから果敢に抜け出して、自分を深く見つめ、心の奥底にあるものを探ることです。するとまず、次の二つのことが明らかになるでしょう。
一つは自分というものの徹底的孤独と無力です。たとえ今の生活がどんなにうまくいっていても、自分はこの世界と宇宙の中で、何の助けもなく、はだかで放置されている。泣き叫んでも、助けはどこからもやってこない、という絶対の孤独です。
二つには、それにもかかわらず、自分はそういう孤独と死を恐れている。いや少なくも、愛する者との別れには耐えられない。あきらめきれるものではない、という思いです。長寿で大往生だ、といわれて逝くのも、どこかで「不条理」を感じる。本来あってはならないことが起こっている、と感じる。
やはり人間の死は、動物のそれとは大違いではないのか。人類も結局は生物の一種だから、寿命がきたらもうおしまいさ、というのもどこか自分をごまかしている気がするのです。
星空を眺めながら私が思うのは、自分の中には「永遠への強いあこがれ(思慕)」が確かにあることです。私たちの一生があまりにはかなく、中途半端なまま終わるなんて、矛盾じゃないか、という強い抵抗感があるのです。
ああ、日本のどこかで私を・・・・さてそれでは以上のような私達の難題、永遠への思慕を持ちながら現実には絶えずはかなさに脅かされ、振り回されている、という大きな葛藤解決へのヒントになる言葉を紹介してみましょう。
「愛は勝つ、死にも勝つ」、と色々に言われ、物語にも映画にもなっています。「人は愛に生きる、愛こそ永遠」と、歌われてもいます。
多くの場合、それは男女の激しく燃える愛がテーマですが、そういう情熱的な抱擁の中で迎える死なら怖さも逃げてゆくかもしれません。
ここで注目したいのは、そういう激しくて深い「受容(受け入れ合い)こそ、死人を生かすものだ、ということです。
ひとりぼっちで孤独で悲鳴をあげている人は、ひそかに血眼(ちまなこ)になって自分を受け入れてくれる人を探しているものです。 「ああ、日本のどこかで、私を待っている人がいる・・・」(百恵)。
その相手の愛の純度が高ければ高いほど、私達は千里の道も遠しとぜず、地のはてまでも出かけていくことでしょう。
「目覚めよ、と呼ぶ声あり」 ここであの大作曲家J.S.バッハのカンタータの名品に触れましょう。その題名は、「目覚めよ、と呼ぶ声あり」というものです。そこにあなたを待ち続けている人がいる!
何に目覚めるのか。それは、天地世界も、我々人間も大きな愛をもって創られた「神の愛」にです。それを受けるなら、何物にも負けない生命を愉(たの)しむことができる、死人同然の人間も別人のように喜びに満ちた人としてよみがえってくる、とバッハは訴え続けたのです その愛をこの地上に運んできてくれたのが、「メサイア(救い主きりスト)といわれるお方だ、というわけです。
やみの中に陽光がこの人の登場は、いわば隠れていた太陽の輝きが私達の頭上に降り注がれ始めるようなものです。この何ともいえないぬくもり、私達を一人残らず照らし、傷だらけの「ストレイ・シープ(迷える子羊―漱石)をしっかり抱きしめてくれるお方に身をまかせよ、というのです。いわば、この人こそ、人類を襲う「死の洪水」をも飲み干すことのできる怪力の持ち主なのです。ヨーロッパ各地をおおうほどの建築や芸術のすべては、このことを証言しているのです。
失せし友の回復も
そこで結びです。この熱い愛に抱かれ、この生命に包まれて、私達はすべてに勝つ。死も滅びも消え失せていきます。これまでみじめな毛虫みたいだった自分たちも、次第に蝶のように変身していくでしょう。これまで悲しみのうちに見送ってきた多くの親しき人達も、この大きな愛のうちに包まれています。 大きな目覚めの中で、これまで過ごしてきた酔生夢死の人生も取り返せる。無為と回り道のようだったすべての過去も、この喜びのためであった、と自覚されるからです。
最後に。紀元5世紀に、アウグスチヌスという大立者がいました。キリスト教世界が生んだ最大の人物という人もいます。この人が青年時代、最愛の友人を病気でなくし、七転八倒し、何日も泣き続け、こういうのです。あの友を奪い去った神様は、もう全世界を取り去ることもできるに違いない、と。しかしやがて彼の精神は大きな飛躍を遂げて、こういう意味のことを記すのです。神において親しき友を愛する者は、なんと幸いなことか。その人は愛する友をひとりも失うことはないのです」(鶴岡市本町3丁目 日本キリスト教団荘内教会牧師・同保育園長)。
http://shonai.n-da.jp/e469887.html
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Sat, 31 Aug 2013 13:14:01 +0900
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鶴岡江戸川友好交流演奏会
鶴岡江戸川友好交流演奏会
モーツアルトの「戴冠ミサ曲」等近く公演
-壮麗で堂々、深き敬虔が-矢澤 俊彦
「翼をください」と叫びながらも「翔べない鳥」のような私たち。
あるいは「迷子の羊」のようであり、時に「あわれな乞食」のような姿にも感じられる私たち現代人。
そこへあわれみ深い、しかも怪力を持つある人がやってきて、私たちのすべての傷をいやし、慰め、翼さえ与えて、天空を思う存分飛びまわれることができるようにしてくださった。
これまで味わったことのないような感謝と喜びで全身が包まれます。
こういう世界へ私達を導いてくれる方こそ、メサイアと呼ばれる救い主キリストなのです!
「ミサ曲」というものの誕生の背景には、こんなにも不可思議で驚くべき喜びが隠されているのです!
今回上演の「戴冠ミサ」。これは国王とか王様など、上に立つ人の就任をお祝いしながら、与えられた権威を神さまの思し召しに従い、正しく行使できるよう、「主をあわれみたまえ(キリヱ ヱレイソン)、と祈るのです。
今回のミサ曲はモーツアルトの傑作で有名なもの、今から約250年前のドイツの戴冠式で用いられたものです。
モーツアルトは1777年、職を求めて母親と一緒にでかけたパリで、なんと母親が病死、悲しみ癒えざる中で作られたもの。もしかしたら、最愛の母が、天に迎えられ、「王位」に就くことを悲しみのうちに神様にお願いしていたのではないか、と私は思うのです。
25分ほどの作品ですが、荘重と歓喜、そして神に近づく深い敬虔に満ちたもので、聞く人の魂をゆさぶり、慰め高めてくれる名品だと思います。
このたび、江戸川・鶴岡の市民合唱団を中心にした約百名ほどのグループが、この名曲に挑戦されるのは、全く素晴しいこと。
団員たちは、それぞれ仕事や家事などで多忙な中、もうこの1年以上をかけ、毎週のように練習に励んできたようです。
会長の滝沢 元さんが、よくまとめ導いておられます。このもう16回目にもなる催しが大いなる意義あるものとなり、鶴岡や庄内の活性化に資するよう、全市民こぞってでかけようではありませんか。
日取りは、7月28日(日)の午後2時から、鶴岡市文化会館が会場です。
当日は山形交響楽団が出演、独唱者は、東京から来援のテノール宮里直樹さん以外は、地元でオーディションをして選抜された方々です。バリトンは鈴木 集さん、ソプラノは中山祥子さん、アルトは川田麻美さん。
指揮者江上孝則さん。多くの経験の中でも、1995年、バチカンで、「終戦50年平和祈願ミサ」において、モーツアルトの「レクィエム」(死者のために祈る鎮魂ミサ曲)を指揮、その様子はイタリア全土に生中継されたそうです。
合唱団は、鶴岡江戸川交流合唱団の、江戸川第九を歌う会ほか、女声アンサンブルろすまりん、遊佐混声合唱団も出演します。
当時上演のされるその他の曲目(小品)には、以下のものがあります。
★ ドブロゴスの「 ミサ」
★ モーツアルトの「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」 第一楽章
★ ヘンデルの「オンブラ・マイ・フ」
★ 高田三郎による「心の四季」から「風が」
入場前売券は大人2500円(当日は3千円)。
チケットは、NHK文化センター、荘内日報社、八文字屋ヱビスヤ店などで。
問い合わせは22-4349まで。
http://shonai.n-da.jp/e462200.html
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Tue, 23 Jul 2013 17:03:14 +0900
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人間は誰も高貴な存在なのです
人間は誰も高貴な存在なのです
-人助けを願う心こそ-矢澤俊彦
救援で別人のように輝いた人達東日本大震災救援ボランティアたち。
その中には、日ごろ「自分なんか役立たずでお荷物だ」と、嘆いていた人たちがかなりいたようです。
でもあの現場で、自分が求められ、用いられると、もう別人のよう。
自分でも驚くほど、生き生きと働いた。人助けは、大きな生きがい感を与えたのです。
自分のために頑張るもよし。
でも他人に喜ばれる働きからは、もっと強い喜びが生まれるのです。
他人に役立ちたい人間卑近な例ですが、パンやさんや八百屋さんも、お客さんに喜んでもらえることが一番うれしい、という。
大工さんも車やさんも、レストランの御主人も・・・
これはもうどんな人も、口をそろえて言いますね。
逆に、自分が人様の役に立たない、無益な存在だと思うことは、とてもつらい。
生きがいが奪われ、誇りは傷つけられ、自虐的にもなってしまいます。
どうやら私たち人間の心の奥底には、誰かの役に立ちたくて立ちたくてたまらない、人を幸せにしたい・・・という、とても激しい願いや思いが隠されている。
それは「高貴」とさえいえるほど美しいもののようなのです。
人間観の大修正が必要 どうやら私達は、お互いを大変間違った眼で見ているのではないか。人間の悪が目だち、人間性もおかしくなってきたように感じられもする昨今。
でも人間は元来もっともっと美しく清らかなのです。
ただその素晴しさを発揮できないでいるだけなのではないでしょうか。
外から求められることが必要それが十分発揮できるためには、私たちは外から呼びかけられ、求められることが必要です。
震災救援の際には、あのひどい状況やニーズが呼びかけてくれたのです。
すると平穏無事と見える日常の中でも、私たちはお互いになるべく声をかけ合い、求め合い助け合うことが大事になってきます。
でも平穏無事とは一面困ったもので、とかく私たちの元気を萎えさせる。
その中で猛然と生き、絶えず高揚した気分で密度の濃い日々を送ることはとても難しい。
よく見れば、もう国中の人々が様々な見えざる震災や津波に襲われ、もう死にそうになっているというのに。
でも私たちの多くは元気を失い、生きているだけで精一杯という状態に落ち込んでいるのです。
誰からも呼びか出されず、誰に呼びかけもしない毎日。興奮も感動もなく、何ごとも起こらず、しぬほど退屈な人も大勢いるのです。
でもここが肝心。私は心底思うのです。
そういう、言わば「生けるしかばね」のようで、人生のどん底に低迷している人にこそ、人間復活の最大のチャンスがあるということです。
どん底から引き上げられた人こそ古来いつの時代でも、本当に人助けをなし得たのは、そういう底の底から引き上げられた人々でした。
それは日々の無力感挫折感にうちのめされる中で、「天の声」を聞いた人でした。
それはこの苦しみの海のような世界であえぐ人々の背後からの大声でした。
「私にはお前の悔しさがよく分かる。お前の人の役に立ちたい、と願う心こそ最高に尊いのだ。さあ、私が力を貸してあげよう」。
優れた宗教は、どれもこう語り続けています。
それに接するなら誰でも、不思議に満身の傷もモヤモヤも雲散霧消、「内心のマグマ」が爆発し始めるのです。
そして目の色が変わり、猛然と動き始め、学び始め、祈り始めるのです!
高山の谷間で、かれんな花が天に向かって咲き誇るように輝いていくのです。
(鶴岡市本町3丁目 日本キリスト教団荘内教会牧師・同保育園長)。
http://shonai.n-da.jp/e462198.html
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Tue, 23 Jul 2013 17:00:33 +0900
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「お母さん、もっと優しくして」
「お母さん、もっと優しくして」
―優しさの泉はどこに?―矢澤俊彦
深い孤立感ほどつらいものはありません。
お前なんかいらない、という周囲のそぶりを感じるだけで、生きていく元気をなくしてしまう私たち。
ある無差別殺人犯をとらえてみれば、「誰かに相手にしてほしかった」、という。
孤独はそこまで人を追いつめてしまう・・・現代世界のこわい一面を見せられた思いです。
そこまで行かないまでも、人知れぬさびしさをかかえた人が今日どれほど多いことでしょう。
いや多いなんてものじゃない。誰からも本当には相手にされてはいないのだ、という思いは、
たぶん今の時代、誰の心の中にもひそんでいるのでは・・・と感じます。
短冊に託した幼児の願い 今思い出したのは、以前ある幼児が七夕の短冊に託していた願いです。こうありました。
「お母さん、ボクにもっとやさしくして・・・」。
あまりに素直な幼児の訴えに苦笑してしまうのですが、
考えてみれば、これは子どもだけじゃない、老いも若きも、多くの夫や妻も、
口にこそ出しませんが、この男の子と本質的には同じ訴えを隠し持っているのでは・・・?
優しさに飢えた時代「個人の自立」の掛け声の結果、個々人がバラバラにされてしまい、お互いへの深い優しさが持てなくなったこの時代。
それで「もっとやさしくして」とのひそかなる大合唱がどこへ行っても聞こえてくるのです。
ここに現代の大問題があります。即ち、誰もが愛を求めている。
優しさに飢え渇いたおおかみのよう、ほえたけりつつ獲物を求めている・・・
しかしいくら探しても獲物は見つからず、飢えは増すばかり・・・という状況です。
さあ、その「獲物」とは・・と考えてみましょう。
それにも色々レベルや質の違いがあるでしょう。
ほんのわずかなふれあいでも人助けになることができます。
自分の時間や気持を分けてあげるのです。
でもさらにずっと進んで、自分の身も心も与え尽くす人、
全く無条件でありのままの相手を受け止められる人。
その人の目で世界を見、その人の肌で世界を感じることのできる人・・・
いわば、相手が食い尽くすままに自分を与えることの出来る人・・・これはもう最高の愛の持ち主です。
間違わないでください。そこまでいかなくても、ほんの少しの優しさでもすごい意味があります。
行きずりの人のひとことでも、生きる勇気がわいてくることもよくあるのです。
優しさの泉発見をでもそこから進んで、もっともっと優しい力持ちになりたい。そんな人もどんどん出てきてほしいです。
でもそんな人にどうしたらなれるでしょうか?今私の言えるのはただ一つ。
そのためには、その人自身が、そんな深い「優しさの泉」のほとりにいることが必要なことです。
(鶴岡市本町3丁目 日本キリスト教団荘内教会牧師・同保育園長)
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Thu, 09 May 2013 08:51:55 +0900
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2013 復活祭 礼拝 案内
卵の中は居心地いい自己愛の世界。
でもいつまでもいると死んでしまいます!
「さあ、出てきなさい。私が外でからをたたいています」
とキリストの呼び声です。
さあ、このイースターにからを破って、外へ飛び出そう!
復活祭礼拝
3月31日(日)午前10時
・10時に中山祥子さんが賛歌を歌い始め、喜びの礼拝が始まります。
遅くも5分前には着席して心を整えること。
・私たちが「死のとりこ」から解放され、永遠の生命を与えられる礼拝です。
・洗礼式が行われます。みなで祝し、祈り、喜びあいましょう。
・礼拝後、みんなでお祝いの昼食パーティをします
(終了は1時20分の予定)。.
会場は 荘内教会 電話22-8196
牧師は矢澤俊彦です
http://shonai.n-da.jp/e434342.html
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Tue, 26 Mar 2013 17:47:39 +0900
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2013 復活祭 -下-
会者定離の克服として
-天父はこう生かす-
火あればこそ煙朦々たり
★復活否定の科学至上主義者達。しかし、事実は・・「火のないところに煙は立たず」。この2千年の歴史を通じて、実に朦々たる煙が立ちこめ、私達は目もあけておれないほどです。確かに猛烈な火元があるのです!その火に近づくほど、人は生き生きとした「炎の人」とされていく。これは実証的事実です。その火元の実体は証明できませんが・・・。こうなってくると、私達もそこに近づきたくなってきませんか?あるいはいっそ「騙されて」みたくもなりませんか。
愛する人とは再会できる!
★事実、復活という猛火に包まれた人々はみな、その「聖火」を内に燃えたぎらす別人のように変貌しました。それまではいつも死を恐れ、世間や人の眼にオドオドし、病気や災いにビクビクしてばかりいたのに・・・。「自分は愛されている」、「自分は墓に朽ち果てることはないのだ」という喜ばしい確信が強くなっていきます。
★愛する者との別離は、人生最大の悲しみでしょう。愛が純粋で強ければ強いほど、悲嘆は我々をどん底につき落とします。それをどうするすべもありません。この会者定離という岩よりも固い定めを打ち破るのもイースターです。「泣くな、お前は愛する人と必ず再会できるのだ」、が新たな理(ことわり)となります。これまで流されたすべての涙は、そうしてぬぐわれるのです!
痛ましい我らの近視眼
★ここまできて、私どもは初めて、安心して人を愛せるのではないでしょうか?子育てや保育や仕事の前提にも、「愛の永続性」の確立が必要なのです。
★そこで、世の人々よ、大いに安心せよ」と、復活祭は呼びかけます。世界は造物主の愛で満ちています。きょう1日生きているだけでも、もうどれだけの恩恵を受けていることでしょう。私どもはわずかの空気や水滴だってつくれはしない無力そのものの生き物です。でもこうして無償で与えられている途方もなく有力な無数の恵みは、どの一人も深く「愛されている、愛される値打ちがある」ことの誤りなき証拠でなくて何でしょう。そもそもこの世界そのものが、私達の想像をはるかに超えた愛と好意の巨大エネルギーによって支えられているのです。そういう中でこそ、私達のいのちも一瞬一瞬生かされているのです。
★ 人間の親の愛も、海より深く山より高いものです。しかしそれをもう絶対といっていい、それをはるかに凌駕する強靭な好意や善意が、ひとり一人に集中して押し寄せてきているのです!
復活祭の猛火が燃えている
★イースター(墓からのよみがえり)の喜びの火は、猛火となって人々に広がっていった。死に勝った人々は、もはやこの世に恐れるものは何もなかったからです。親しい方々がどんどん去り行く中で、私は読者の皆さんに、こういう人生の可能性が開けていることをお知らせしたく、一筆させていただきました。
★ドイツにあるケルン大聖堂は、ゴシック建築の代表として有名です。157メートルの双塔の尖塔からは、ひたすら天に向かう憧れの大合唱が聞こえてきます。驚くことに、この建築が着手されたのは1248年、竣工は1880年だというのです。この間実に632年が経過している。これはもう「永遠者」相手の大事業です。これに関わり支えた無数の人々の心中に、永遠的な生命が燃えていた。その喜びの歓声、天への叫び、遠い世代への切なる呼びかけ・・などが聞こえてきます。
★でも最後に注意してください。かように、ヨーロッパ各地の豊かな文化に、目を奪われていてはいけません。実はそれらは燃える炎から飛び散った「火の粉」のようなもの、本体から出た「派生物」に過ぎないことに気づかねばならないのです!
★この地にもようやく春が来たり、桜も満開になります。でもたちまちそれは散り行き、夏が来ます。この無限的循環の繰り返しに、救いはありません。天からくだり、私達を燃やしてくれる炎に触れてこそ、「永遠に爛漫たる春」を楽しむことができるのです。
http://shonai.n-da.jp/e434339.html
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Tue, 26 Mar 2013 17:41:01 +0900
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2013 復活祭 -中-
復活祭は妄想にあらず
―泣くな、人は墓で朽ち行かず-
今年は3月31日にやってくる復活祭。私たちの復活のさまは、ときに素朴にも、水中のヤゴがトンボになって広い天空を自由に飛び回るようなもの、ともいわれます。
科学至上主義の浸透
★しかしこの復活を信じ受け入れるのは、現代人一般にはとても困難です。やはりおとぎ話で、そんな馬鹿馬鹿しいことが、といって相手にしないし、興味関心すら持たない人が多い。
★それはなぜかといえば、近代人の意識や価値観が徹底して「科学」というものに浸透されているからです。確かに「死人の復活」は科学的に証明できません。でも証明できないものは存在しないかというと、そんなことはない。たとえば、愛や憎しみや不安・・・これらがどんなに大きなエネルギーを持っているか、これは日々経験が教えてくれています。
★そのように、復活を信じた人たちには強力な愛のエネルギーが注がれ、恐れを知らぬ勇気の人に変貌していった。自分の弱さに泣かされていたペテロという弟子も、先生と同じ十字架では相済まぬ、といって、自ら「逆さ十字架」にかけられた、などと言い伝えられています。
欧州文化は集団妄想の結果か?
★ところで科学的思考をすべてと思う人々は、キリストがよみがえったなんて・・死体を盗んでおいたのでは・・幻影を見たのでは・・に始まり、あらゆる批判と疑問を投げつけてきました。中でも、社会的精神的弱者や奴隷的人間の「願望の投影」だ、というのはその代表的なものです。言わば、復活がほしいという人たちのでっちあげた「集団妄想」の類だ、というのです。しかし・・・。
★そんな大きな妄想があるものだろうか、と私はたとえばヨーロッパの文化を見て思うのです。多くの国のどこへ行っても、町全体が美術館だと感じるほどのスケールで広がっている大聖堂、修道院、絵画や工芸品などの数々。あれはみなこの「復活」なくしては出来なかったものです。そもそも教会というものは、キリストの復活が前提となって成立したものです。
するとこういうことになります。復活否定者は、そういう欧州芸術のすべては、大きな錯覚、いわば巨大なる「集団的妄想」の中にいる、ということになります。
しかし・・・・、そういう錯覚に、人類はかくも長くとりこにされるものでしょうか?
無数の人たちを長くはだませない
★よく言われるように、わずかの人を長くだますことはできる。また多くの人たちを短期間夢中にさせることも可能である。たとえばあのヒトラーや他の独裁者などのように。でもこの2千年もの間、これほど多数の(今でも20数億という)人々が、虚偽と主観的思い込みの犠牲となり続けるなんてことがあるものでしょうか?もしそうなら、彼らはなんと憐れむべき可哀想な人々、生涯をうそ偽りのために棒に振ってしまってた人々・・それが復活信者なのだろうか、と。
★しかしそういう「みじめなる」人々が、嬉々として、たとえば放置されていたハンセン病者などあらゆる弱者に近づき、アフリカの黒人奴隷を助け、他の様々な社会改良に手をつける一方で、あの壮麗なる美術文化の花を開かせ続けている・・・。宗教をすぐ暴力や戦争を思うのは、私はあまりに一面的かつ断片的印象だと感じます。さてこういう卓越した復活信仰の果実を、現代の科学至上主義者はどう解釈するのでしょう?科学ですべてを割り切ろうとする行き方こそ、憐れむべき妄想狂者かもしれないのです。
http://shonai.n-da.jp/e434338.html
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Tue, 26 Mar 2013 17:38:04 +0900
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2013 復活祭 -上-
愛の神は子らを滅ぼさず
―今年の復活祭は3月31日ー
人は死んだらどうなるのか
★私達人間は死んだらどうなるのでしょう?そんなこと考えたって仕方ない、という人がいます。つらいから何かでまぎらわして、考えないようにしている、という人もいます。宗教家の中にも困惑して、誠実そうに、まだ自分は先に行ってないので・・と、口をつぐむ人がいます。
★人は死んだら「ふるさとの山に帰る」のだ、とは広く信じられてきた信仰です。月山のような大きな山のふところに抱かれて眠るというのです。また「草葉の陰」から私達をひそかに見守る、とも言われます。
★また近年は「風」になって私達の周囲を吹き渡る、という歌が共感を集めています。あの歌詞で私がいいと思うのは、愛する人がお墓なんかに眠ってはいない、というメッセージです。メロディも美しくある種の慰めが感じられますが、風などの自然と化すというのは、とても半端なものを感じます。
★確かに死というものは大問題です。皆さんは、あのイスラム教徒が毎日5回も決められた時に、一定のやり方によって礼拝を捧げている姿をテレビなどで御覧になるでしょう。あれは何のためかといえば、ああしてアラーの神様との約束を守って、「天国」に入りたいからなのです。禅の修業僧の厳しい座禅も私達には親しいのですが、イスラムの場合は、あれだけの民衆が・・・王様も乞食も一つになって日々懸命に行じていることに、彼らのすさまじいほどの天国への憧れ」のようなものを私は感じます。
★私達が死んだらどうなるのか、これは確かに私達の「最大の問題」でしょう。この問題を避けて、目先のことに追われる愚かさをじっくり考えてみましょう。
★人生は実に短くはかないもの、たとえ生きてる時に何があろうと、それがどんなに栄光に輝いたものであっても、たちまち霧のように消えてゆく。勢いある青草も、幾日もたたないうちにしぼんで枯れる。たとえ全世界を所有し得たとしても、明日の命の保障がないとすれば、そのための営々たる努力も空しいものではないのでしょうか。
★それでは、人は死んだらどうなるのでしょう。私の信じるところを述べましょう。でも問題が問題だけに、長い間にわたる無数の人の求道と苦しみに満ちた人生の闘いの末に与えられたものです。
★結論を端的に言いましょう。私たちは、キリストのようによみがえって、神様のもとでの新たな生活を楽しむのです。これがイ-スターの喜びです。私達のこの肉体は滅び失せ、煙となり土と化しますが、その後、造物主なる神様から新しい体と心を与えられる。そしてお互いが「ああお前か」、と分かり合う。この地上のそれぞれの個性や性格や苦労や頑張り、また無念や悲しみの思いなど、すべてが生かされ清められた形での新たな人(天使的存在)にされる。生き返ったキリストの手には、打たれたくぎの跡まであった、といわれます。
★そんなおとぎ話のようなことを信じているのか、とあきれる人もいるかもしれません。でも、これだけのことを大真面目で大の大人たちが信じ、人にも伝えてきたのが世界のキリスト教徒です。
★私は先日、白甕社の春の展覧会に行きましたが、「復活」ということを連想させる幾つかの作品に心惹かれました。おそらくそういう事柄を深く考えざるを得ない、今の時代と社会があるに違いありません。
卒園式も終わった今、私は復活祭を目前にしながら、次のことをしきりに考えています。
人間の親というものは、心を尽くし力いっぱい我が子を大事にし、その一人ひとりをはぐくみ育てるものです。小さなケガや事故や病気にも、とても注意深くします。また子供のすべての動作がなんともかわいく、話もこんなに出来るようになった、ブランコにも乗れるようになった、などと大喜びするのが親というものです。
★ところで私達を造られた神様は、天地の大親です。その愛で世界を造られ、その愛を分かち合おうとして人間をも造られたのです。その最高の親である神様が、かわいくて仕方がない人間を、幾ら人間が悪くても、半端で放置したり、滅びるにまかせたりするはずがないではありませんか。
★たとえ子である私達がどんな大罪を犯して、どこかへ逃げてしまったとしても、それを赦し、見つけるまで探そうとする、傷だらけの我が子の状態を知りながら放っておくはずはありません。 もし周囲に迷惑をかけたのなら、どんなに苦しくても、自分が「身代わり」になって、それを償おうとするでしょう。これこそキリストの十字架の意味することです。
★愛はすべてに勝利します。この力ある愛の支配を前提にしない限り、この世の生活も成り立たない。死と滅びという暴君が支配しているんでは、まともに生きてはいけません。私達も死と墓を押しのけて復活するのです。作り話のようにも聞こえる「復活祭」こそ、人間らしい人生と、まことの「希望」ある生き方の大前提ではないでしょうか?
http://shonai.n-da.jp/e434337.html
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Tue, 26 Mar 2013 17:34:40 +0900
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世界最初のクリスマスを祝った人々
世界最初のクリスマスを祝った人々
―羊飼いと博士たちの物語―
矢澤 俊彦
「キング・オブ・キングズ」
★ ヘンデルの「メサイア」でも「キング・オブ・キングズ」(諸王の王)と讃えられてい
るキリスト、クリスマスはこの大いなる王様の誕生日です。今でこそ盛んに祝われるようになりましたが、世界最初のクリスマスは、実はとても静かで、きらびやかな豪華さとは無縁でした。
★ 普通国や民族の王様が生まれるとなると大変です。ずっと前から国民に知らさ
れ、みんな準備をし、大騒ぎをしてその日を迎えます。人々は大喜びするでしょうが、それはそう長く永続するものではありません。そのようにして世界はこれまで無数の王を迎え、送ってきました。そしてそのほとんどは、もう思い出されることもめったにないのです。
その影響力の秘密は?★ でもキリストの場合は不思議です。あれから2000年もたっているのに、今でもその誕生が盛んに祝われるだけでなく、この王の家来として一生を捧げる人々がどんどん出てくる。これは実に不思議違なことではありませんか。でもそれでこそ「諸王の王」と讃えられるゆえんではないでしょうか。
★ この不思議、この永続する大きな影響力の理由はどこにあるのだろうか、と考え
てみたのですが・・・・どうやらそれはほかの王様と違って、キリストが「私たちの心の中に生まれること」、そして私たちの心をやさしい光で包んで、神様のところまで引き上げてくれるからではないでしょうか。
暗闇の中でのたうつような私ども、阿鼻叫喚の巷で叫び続ける私どものところまで降りてきて、どん底であえぐ人々の心深く誕生されるからです。この消息は今も昔と変わっていません。それでは改めて、聖書の記す世界最初のクリスマスを紹介してみましょう。
初めてメシアに出会ったのは?
★ 救い主なる王誕生について、それが「いつ、どこに、どんな風に」お生まれになる
か、は誰にも知らされていませんでした(多分、今でもそうなのでしょう)。世界に布告されていたのは、皇帝アウグストによる人口調査に関するものでした。権力者による非人間的な暴虐の中で、すべての抑圧や圧迫に勝利する力を下さる王が生まれたのです。
★ さて、その誕生の知らせを受けたほは、羊飼いと博士だけでした。一方は、ベツ
レヘム郊外の名もなき人々で、彼らには天使がやってきて、、そして「遠い東の国の博士たちには大きな星の現われによって伝達された、と記されています。それではこの世界最初にクリスマスをお祝いできたこの人たちがどんな人だったか、考えてみました。
羊飼いーこの最底辺の人々
★ まず羊飼いです。当時の彼らの仕事は、今でいう「3K」以上に厳しく、嫌われていました。それだけでなく、彼らは町の人々からはのけ者にされ、神殿への出入りも禁じられ、いわば社会的に徹底して「疎外」され、無視され、押しつぶされている身分なき人たちでした。それにもめげず、彼らは黙々と羊の世話をし、よく野宿しました。
野原は彼らにとって、しっかりモノを考え、人生を省察するのにもってこいの環境だったでしょう。町の喧騒から遠ざかり、暗い静かな長い夜を、瞑想と沈黙と対話のうちに過ごす。彼らには学問も教養めいたものはなかったでしょうが、そうして養われた人生の知恵を豊かに持っていた。そしてそれ以上に、「誰かに来てほしい。俺たちをここから引き上げてくれ」という願いや憧れを深くしていたに違いありません。多くの危険、どうにもならない貧しさ、社会的圧迫と無力感の中で、夜な夜な天を見つめ、心の中で叫び続けてきた・・・・。
★ そんな羊飼いに、天使からの訪れがあった・・・・待っていた救い主が王宮でな
く、宿屋にも入れられず、なんと「うまごや」(家畜小屋)の飼い葉おけに寝かされている、という。それを聞いた彼らは、しばらく考えて合点がいったことでしょう。「その王様こそ俺たちの拝める王様だ」と。「急ぎ行きて拝まずや」、うまやに急ぐ彼らの足取りはどんなに軽く、また喜びに満ちたものだったことでしょう。
博士―すべてに恵まれていたが
★ さて、次は「遠い東の国の博士たち」です。キリストへの贈り物が3つ記されていることから3人だとよくいわれます。彼らが長い苦しい旅をしてベツレヘムまでやってきた、というのです。
この博士たちは羊飼いと違って、その社会でトップにランクされる指導者でした。3人の王だった、という説もあります。その彼らがなぜ、あの困難と危険に満ちた長旅を敢行したのか。これが興味深いところです。
★ 大方の説によると、彼らは星占い師(占星術師)で、その優れた知識技術によっ
て国政に助言し、人々の相談にものっていたといわれます。国民から尊敬もされ、立派な家に住み召使も多く、何不自由ない生活をしていたに違いありません。
しかし星占いという仕事は人生について深く考えさせます。それはちょうど羊飼いたちが毎晩由空を眺めながら、物思いにふけっていたのと似ているようです。それに博士らの魂は自分に誠実で、正直者、ごまかすことは大嫌いでした。
内心の不安と無力感
★ 彼らが自分たちの心の底に見出したものは・・・自分たちは今恵まれた暮らしをしている。仕事や地位や財産や家来もいるしみんなの尊敬も受けている。でも心の底に満ち足りるものがない。このむなしさ、そこはかとない不安、さびしさはどうすることもできない。いったいわしらはどこへ流されていくんだろう?さっぱりわかりはしない。
それにわしらのしてることは、なんとわずかなことか。この社会にうずまく悩みや悲しみ、この混乱や人々の飢え渇きはどうであろう。わしらは結局、大事なことは何も知らず、何をする力も持ち合わせてはいないのだ!
そんな思いがもうどうしようもなく強くなってきたころ、・・・・西の空に不思議に輝く大きな星が現われたのでしょう。彼らは俄然色めきたちました。その意味について触れた旧い予言書を見つけるに及んで、これはなんとしても遠い西の国まで旅をせねば、あの星が導いてくれるに相違ない。
無謀で危険きわまる旅路
★ その旅立ちの決意に、家族はじめまわりの人々はどんなにびっくり仰天したことでしょう。なんという無謀なことを!気でもおかしくなったんじゃないか、あの荒野と砂漠の続く遠路です。天候は不順、道中に追いはぎだけでなく、おおかみなど危険な生き物も出没します。それらにも備える旅支度などできるはずはありません。きっと老博士もいたでしょうし、旅慣れた隊商たちでもないのです。早晩、いくらも行かないうちに倒れ、砂漠に朽ち果てるに違いないのです。
★ しかし・・・それらすべてを知った上で彼らは旅立った。それはなんとしても、この人生のナゾの答えを見出したい、という強烈な思いに燃え立っていたからです。
旅は予想通り、あるいは予想を超えて困難で、かつ難渋を極めるものでした。その中で、それまでの栄光に富んだ博士としての人生は、すっかり過去のものとなりました。彼らはほとんど何も持たない一介の旅人に過ぎなかった。ただ心中深く「この世界の救い主」に会いたい、という一念だけにつき動かされて、一歩一歩ひたすら進んでいったのです。そして彼らの旅は目的地に着くまで、奇跡的に守られたのです。
共通点―「なんとしても」の思い
★ さて、世界で最初のクリスマスに出会った人々。それは羊飼いと博士たち、一方
は社会の最下層に、他方は最上位にいる人たちです。これでもって聖書は、キリスト誕生が、「すべての民に与えられる大きな喜び」であることを示そうとしているのでしょう。
ただ両者にはかなり共通点があります。それは、心の中の底にあるものをじっくり見据え、なんとしても救い主(メサイア)に会いたい、との願いを強めていたこと。そしてそのために「長い苦しい旅」をしたことです。えっ、でも羊飼いはすぐ近くにいたんじゃない?そうですね。でも、彼らの日々の苦しい生活は、そのまま博士たちの砂漠の旅に匹敵するのではないでしょうか?今この時代でも、そういう旅路にいる人々は、クリスマスの喜びまで導かれつつあるのですよ。
http://shonai.n-da.jp/e407544.html
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Fri, 21 Dec 2012 13:02:48 +0900
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オウム真理教はなぜあれほどに?
オウム真理教はなぜあれほどに?
-毒キノコは我らの生活の空虚から-
矢澤 俊彦
前回は、欲望の無限的追求が人を殺す話をしましたが(12月18日)、きょうは問題の舞台を戦後の日本に移してみましょう。国の復興という至上命令のもと、必死で努力を重ねてきた私たちでしたが、そこに問題はなかったでしょうか?
今回は今年思い起こされたあのオウム真理教の青年の声に聞いてみたい、と思うのです。
いったいあのような宗教が、この時代の日本でどうして発生したのか。
1980年代の最盛期には、全国で1万数千の若者の心を捕らえていた、というのは?私見を以下に列挙してみましょう。
① 戦後、長く続いた経済至上主義的日本の中で、精神的に「飢えて死のうとしている」青年たちの、「異議あり」との声のように聞こえます。即ち、彼らの出現の背景は、私達国民の、いわゆる「生活水準」だけをあげようとする一面的価値観と「浮草的」生活だったのでは?
② 人間は動物とは大きく違い、有名な言葉でいえば、「人はパン(=モノや金)だけでは生きられない」もの。精神的充実を欠いたむなしい生活でなく、人間らしく生きたい、との内面的衝動が、オウムに深入りさせていったのではないでしょうか?
彼らの言論を見聞きすると、その心中には、深い意味で、慕うべき父も母も不在、いわば「精神的みなし子たち」であった、と感じられるのです。
③ 日本という国自体も、より快適な生活を、という欲望と、外圧だけに動かされる「漂流船」のようでした。
そういう中で、空虚感や失望や挫折感を深くする者にとっては、この国が次第に憎しみの対象となっていき、ついに現体制の暴力的破壊まで考えるようになっていったのでしょう。今の世の中から、いい思いの代わりに、つらいことばかり受け取っていれば、そうなっていきます。
④ そこへきて教祖麻原は、見せかけとだましにかけては天才的テクニッシャン。頼れる父親と、依存できる母親的教団を演出。飢え渇いた青年たちの心は、海綿のように吸い込まれていってしまったのでしょう!孤独な人たちの「擬似家族的」(ああ、しかし本当の家族とはどれだけ異なっていたことか)共同体もそこにありました。
⑤ 人間というものには、深い宗教的希求があること。それによってこそ、人間の命の真の「充実」が得られるからです。それを満たす健全で力ある宗教が必要なこと。この意味では、我々現在の宗教界は猛反省すべきこと。
また宗教に無知であり、免疫も抗体もない私たち一般国民。
また幼児から大学、また生涯にわたる教育の総反省です。自分の五感を用い、よく考え、真偽を見分ける鋭い批判力をもった成熟した人間を、いったいどうして育てていったらよいのでしょう。
問題の根は、オウムを憎み、教団を消すことにあるのではありません。たとえそうしても、根がある以上、またどんどん出てくるでしょう。そこで私たちとしては、上にあげたいくつかの難問とがっちり取り組みを続けよという、大いなる宿題を与えられました。まず国民各自が一人一人、そして国としても、しっかりした正しい価値観を身につけること。これだけでも大事業ですね。
以上の意味からも、みなさんのまわりにもしかつてのオウム青年がいたら、こわがらず、優しく接し、社会復帰を応援してあげたいものです
http://shonai.n-da.jp/e407543.html
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Fri, 21 Dec 2012 12:58:57 +0900
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ものへの執着は断ち切れるか?
ものへの執着は断ち切れるか?
―文豪トルストイの気づきからー
矢澤 俊彦 今やエネルギー問題や人口爆発や飢餓その他の問題で、「より小さく生きる」ことを求められている我々人類。
しかし、まだモノに振り回され、「もっともっと」の誘惑を振り切れずにいます。
特に土地をめぐっては、大昔から争いが絶えませんでした。
あの文豪トルストイも、この「所有にまつわる迷妄(めいもう)」を、
「人はどれだけの土地がいるか」、という童話的小品にまとめています。
それは・・・ある貧しい農夫が、訪ねていった風変わりな村で、
その人が1日、日の入りまでに歩いて囲みとった土地を、そっくりただ同然の値段でもらえる、
という夢のような話を聞いて大張り切りで挑戦するのですが、もっともっとの欲望に負けて、
必死でゴールインすると同時に、心臓が止まってしまい、
必要な土地は墓地用地だけだったという、強烈に皮肉で物悲しい話です。
ところがこれは、人気絶頂だったこの作家の深い自己省察と
自己弾劾(だんがい)が背景にある、と私は思っています。
即ち、彼はある時突然気づいたのです。あらゆるものを身にまとっていても、
自分は結局みじめな「はだかの王様」であることに。
世界から拍手喝采を受けた作品も、死や老いへの不安には勝てない。
「もっと、もっと」と浅ましく地上の財を囲い込んでも、結局はむなしいものだ、と悟ったわけです。
私たちがものの所有に果てしなく執着するのは、心に安心がないからです。
たぶん全世界をわがものにしでも、不安はますます居座ることでしょう。
しからばどうすればいいのか。もうクリスマスが近いので、きょうははっきりいいましょう。
天から降りてきたメサイア(救い主)を「着る」こと、それで私たちの裸をおおうことです。
そこに大安心あり、生老病死に打ち勝つ大道がある。
そうして「小さく生きる」人たちがどんどん増えてくることが、地球と人類を救う道だと思うのです。
トルストイも、それまでの全作品をゴミの山に捨て、単純な信仰に生きようと決心、
その姿を「靴屋のマルチン」などの分かりやすい民話で示したのです。
http://shonai.n-da.jp/e407541.html
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Fri, 21 Dec 2012 12:56:16 +0900
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戦後日本の精神的空白に悪霊が
戦後日本の精神的空白に悪霊が
-オウム真理教はなぜ出現したかー
丸裸の日本、精神的価値第一に再建を矢澤 俊彦ざんげ これはオウム真理教の全体についてお話するのではありません。それはあまりに大き過ぎる課題です。ただ本日私が記したいと思うのは、なぜああいうものがこの日本に出てきてしまったのか、このナゾに満ちた疑問についての私見です。
しかし、このことと取り組むにあたり、私は宗教者の端くれとして、深くざんげ(懺悔)しなくてはなりません。それは、かくも病む社会と悩む青年たちを前にしながら、私は宗教人として、ほとんどなすところなく過ごしてきてしまったからです。あまりに無力な傍観者であり、与えられた役目も果たせなかったことを、今私は慙愧の念をもって振り返り、何としても「ここで再出発せねば」との思いで、この一文をまとめてみたのです。
大震災はまず、自然災害です。でもオウムの悲劇は明らかに人災です。なぜならこれは、戦後の時代の落とし子だと思われるからです。
第1章 温床-戦後の虚無的生活
「悪しきオウム」を排斥排除すればいい、と思う人がいます。でもそれを育てる「温床」があるとすれば・・・そこから「もぐら」は幾らでも出てくるでしょう。ではその発生源と思われる敗戦後数十年を振り返ってみましょう。
まず私達はあの焼け野原からの復興に懸命でした。この先輩たちの努力には、世界も目を見張るものがありました。しかし経済の高度成長からバブル崩壊まで来て、一見華やかとも見えた私達自身が、ずっと抱えてきた「心の闇(やみ)」の部分が明るみに出された。それがオウム事件だったと考えるわけです。
即ち・・初めはとにかくみな無我夢中で働くばかりだったのは仕方ないけれど、そういう経済的価値を何より重んじる生き方は、修正されることなく、数十年継続されたのです。むろんそれはそれなりに充実感らしきものはあっても、経済至上主義は人間的生活としてはバランスを欠いたいびつで、底の浅いものでした。深みや重みのない「浮き草ぐらし」でした。生きる目的や価値観など、考えるゆとりすら持とうとせず、家族親戚や人々との絆も薄れ、ものはあっても「人間らしい生活」とは言えないままに流されていってしまった。
①虚無の風 それは経済復興の陰で、絶えず「虚無の風」にさらされた「むなしさ」と「さびしさ」が同居していた。その一部は、各時期の流行歌が「痛み止め」をしてくれましたが、精神の大きな空白は絶えずあったと思うのです。したがってそれは目的喪失の漂流船のようで、苦労のわりには、報いが少なく、競争の中でみな懸命なだけ、互いに感謝し合うことも少なかったのです。
②夢はなく 社会が整い、その管理化が進むに従い、多くは夢を失い、思うこと考えることも縮こまり、情熱を傾ける対象も持てなくなっていきました。
テレビで「プロジェクトX」なる番組で紹介された夢ある人たちは、むしろ例外的だったのでは?
③白けた時代 今振り返ってみて、社会的に大きなことといえば、まずは安保闘争、そして赤軍派事件や大学紛争はあったが、総じて「無気力」と「あきらめ」ムードが支配的で、どこかで白けながら流されているうちに年を重ねてきてしまった気がします。
とにかく国民挙って何かに当たる、という感激は皆無に近かったのです。
④四苦に翻弄され 既成宗教の非力もあり、国民一般は仏教でいう「四苦」(生老病死)にさらされ翻弄されながら、「大いなるあきらめ」で包み込んで、がまんするほかはなかったのです。なお各種公害病はあり、いじめ虐待や自殺者やうつ病もふえ、震災が追い討ちをかける、という世の中になってきています。
⑤地球の危機 国際的にみると、冷戦は終結したものの、核戦争や環境汚染、また資源やエネルギー問題で、地球存亡の危機が盛んに言われ、人類全体の上に黒雲がたれ込めているような「不安の世紀」であったことは言うまでもありません。
第2章 オウム青年の「異議申し立て」
多い時で1万数千人といわれた若者たち。その大量出現の温床は、上述の戦後日本、それも数十年後の1980年代でした。
①求めていたものは まず彼らは「精神的価値」の希求者でした。「人はパンのみで生くるにあらず」。
親がかりで苦労知らずのお坊ちゃん達は、物欲の代わりに、もっと深みと真実味のある生き方に憧れていたのです。これを頂門の一針とすべき当時の大人は・・。
②くたびれたおじさんたち 青年の目から見ると・・理想を失い、ただ「金と欲」に引きずられ・・飢えや戦争が世界中にあるのに、みなエゴだけがむきだし・・あれはイヤ、この社会はおかしいぞ・・もっと清浄な世界に住みたい・・。 このピュアな正義感や理想主義。未熟ながらこれは鋭く青年らしい直感です。
③ゆがんだ知性 多くが「優秀」な「知的エリート」といわれた彼らです。でも残念ながら、随分そこに歪みや欠陥がありました。これは事件の調査や裁判の進行とともに明らかになってきたことです。
でもこれは青年たちのせいではありません。
何より欠けていたのは判断力。様々な知識経験を統合して事物を識別する総合力です。これは知識だけを幾ら集めてもダメです。
どうして彼らはあんな教祖に簡単にだまされ、奇怪な教義のとりこになってしまったのか。どうして途中で疑問を感じ、距離を取れなかったのでしょう?
私見では、幼少のころから、自分の感覚を働かせ、自分の頭で考える訓練が少なかったからでしょう。すべてを人から受けるだけの受動的教育の弊害です。指示待ちでマニュアル人間のこわさです。
競争社会の中での劣等感、挫折感、無力感、社会経験の乏しさなども、彼らの「のめりこみ」の拍車となったでしょう。
④父の不在 彼らが求めていたのは、生きるための世界観であり哲学でした。それはこの複雑で混乱しきった世界を明確に整理し、歩く道をつけてくれるものです。 これは本来「父親」の役割なのですが、多分に「会社人間的」であった当時の父たちに、そういう力はなかったことでしょう。
父なき子らは、混沌とした視界ゼロの世界で悶々、もがきつつ過ごすほかはありません。
⑤心の基地もなし 当時の若者にはまた「母も不在」でした。「心の基地はお母さん」という幼児教育の本がありますが、大人になってもその基地なるものは必要です。自分がそこで保護され、徹底して愛され、前進するエネルギーの補給を受ける基地です。
余談ですが、筆者は長野の中学生時代、南極に向かった観測船「宗谷」が、固い氷に阻まれ動けなくなり、当時の国民が挙ってヒヤヒヤ、でもソ連の大型砕氷船オビ号に救助され胸をなでおろしたことを、今もよく覚えています。が、 とにかく基地なき人間は悲劇的なのです。
オウムに惹かれた青年の多くは母的な基地もなく、大抵ひどく孤独で、愛情に飢え、誰かに認められ受容されることを必死で求めていたのです。
愛情にも飢えて 既に少子化時代、大家族生活の楽しさも知らず、友人関係も薄く、情緒的に不満だったのでしょう。
このように、父も母もいないとなれば、さびしさは極限近くつのるばかり、言わばスキだらけの大変危険な状態にあった。そこに、あの時代の「悪の霊」は、いともたやすく侵入していったのです。
⑥宗教体験の「免疫」なし 人一倍真面目でピュアな精神で、この汚辱にまみれた世界脱出への希求。でも、彼らのほとんどは、宗教というもののすばらしさも危険も知らなかったのです。最善のものが堕落腐敗すれば、最悪のものにもなる、といわれます。
たとえば、優れた宗教でも、適切でない指導のもとでは、とかくいつまでも闇の中を迷いつつ、それを救いと錯覚させられ、段々消耗、ついに燃え尽きさせられてしまうことです。また「毒キノコ」のような宗教。見かけと違い、内容は実に「悪魔的」です。信者を解放する代わりに、教祖や教義や教団の奴隷としてしまい、しばらくして会ってみると、人間らしい感情や思考力も奪われて別人のようなのです。 なお少し違いますが、ヒトラーなどの軍国主義や独裁政治も、同様に悪魔的(サタンが自在に暴虐を行っている)と感じます。
第3章 グル(教祖)麻原彰晃の悪魔性
① タイムリーな出現 これまで述べた青年たちの激しい精神的飢え渇きに、実にタイムリーに応える人物が麻原でした。 そこで言わば海綿に水が吸い取られるように、彼らはグルに吸収されていったのです。
② 神でなく悪が でも麻原の心中には、彼らが最も求めていた「真実の神」と反対の「悪霊」であったとは!なんという悲劇でしょう。
彼のうぬぼれや思い込みや権力欲は増幅肥大化し、なんと「救世主」を名乗り、その妄想は、物質主義文明を破壊することが「救済」だと豪語させ、実際地下鉄サリン事件さえ起こしたとは驚くほかありません。
③ 3つの特異技 麻原がどんな修行をしたのか私には分かりませんが、このグルが得ていたのは次の三つです。
まず、あらゆるウソや虚偽を塗り固めて、最良のものと見せかける秀逸なる詐欺師的能力。次に青年を惹きつけ、自分に帰依させ、思うままに操縦しまくるテクニック。そして今の軟弱な日本を(警察なども含め)、言わば「なめてかかる」力です。彼にとってこの国はあまりにうぶでひ弱、精神力も抵抗力も戦闘力もない。なんとも御しやすく、手玉にとるのは簡単そう。
ヒマラヤを下りた彼の心中で、こういう恐ろしい悪の力が増殖を始めたのでしょう。
④ 独裁的教団の恐怖 これについては大分明らかにされつつあるようですが、独裁者のやり方には共通点があります。
たとえば、絶対的服従のおきて、相互監視や密告制度、自由な言論の禁止、脱走者をみせしめに・・・・などなど。
また教団への疑問は心の曇りから生じる、といってそれを封じ込めるなど、手口は巧妙。例の「ポアの論理」などには呆れるばかりです。いわく、「どうせあの人々は積もる悪行のために地獄落ちは必至、ならば事前のその命を天に上げてやったほうがいい」、とこんな論理を弄んで大量殺人を目論んだというのですから・・・。
⑤ 残る疑問 それにしてもまだどうしても不明なのは、いったい麻原彰晃は何を最終目的にしていたのか、という点です。法廷で彼自身が沈黙しているのではかりかねますが、どうやらそれは権力や金や名誉のようなものだけではなさそう、何かこの日本を手玉にとって、ゲーム感覚で弄んでいる感じが私にはしてきます。戦後の大きな「空虚」に入り込んだ悪霊のせせら笑いが聞こえるようで、私は悔しくて仕方ありません。
第4章 この犠牲を無にしない為に-新たなる国づくりに
オウム真理教事件は実に多くの犠牲者を出しました。戦後最大の組織犯罪とも言われます。しかし、この温床が私達の長い戦後の生活であったことを確認しましょう。
これは人為的大災害です。その後の阪神や昨年の東日本大震災と思い合わせると、この国の身も心も、すっかり「丸裸」にされてしまった感じです。それを見据えつつ、青年たちの異議申し立てを受け止め、真の復興とは何かを考えなくては、と思います。
① 精神的価値を第一に これまでの経済価値中心を大転換すること。改めたいのは、休まず考えず走り続けるような生活。いくら掬っても、手のひらからみな落ちていく砂粒のような、空しい生活です。どこを切ってもいのちが飛び出してくる「充実」とは?そこに共同生活の喜びと感動あり、夢も希望もあるゆえに、さすがの「悪霊たち」も手が出せないはりつめた人生とは?
そういう「グレードアップ」された「人間進化」の道です。
② 強くたくましくなる 弱さが目立つ戦後世代。孤独に耐えられない。組織や友人に依存する。自分の足で立てない。・・・でもこれからは、悪をたじろがず見据え、これに抵抗も出来る「主体的人間」が目標です。
③ 判断力・批判力を 自分の頭で考え、それを表現する自信も。
「大義の為の殺人」なんておかしい、と即座に思う感覚や判断力が育っていなかった。受動的記憶中心の学校教育や親の価値観も反省されます。
明るく健康な宗教の探究を 私達はこのたび最悪の宗教を見せられてしまい、もう宗教はこりごりだ、と思う人へ。湯水と一緒に赤子を捨てないこと。人間も芸術も娯楽と同様、宗教もピンキリです。
人間的がんばりだけで強くはなれません。私達に幸福も、充実も生きる意味も、また批判力や知識の統合なども生まれてはこない。また四苦に完勝することはとてもできかねます。
ただし、深い宗教的救いにあずかるには、オウム青年が教えられたように簡単ではないことです。「解脱」には相当の時間と努力がいります。それはたとえば、異物を飲み込んだ真珠貝が、長い血みどろの内的格闘を繰り返すのに似ています。ある日突然、全く思いがけなく、輝くばかりの真珠が光を放っている!この喜びは、地上のいかなるものにも決して比べられない大きなものなのです。それに比べれば、オリンピックに出ることのほうが、ある意味では楽かもしれません。
しかしそうして与えられたものこそ、新しい日本の精神的土台になるのだ、と思います。 砂上楼閣の国に基礎を据えるに、「せっかち」は禁物なのです。
④ 社会生活の民主化 オウム教団を見ながら、そこになぜか数多くの日本の古いものや封建的で非人間的なものが多くあることに気付きます。
一方的指示や絶対服従、いじめや虐待、差別や序列意識、きびしいノルマ、不自由な言論、管理統制された情報、軍国主義的上下関係、脱会の禁止・・その他いろいろあります。が、どれもどこかで見聞きしたことのあるもの、私達の家庭も会社も市民生活も・・気付いたところからどんどん改めていく意欲を持ちたいです。
- 最後に オウム青年の迎え方 -
元オウム会員だった人が私達の身近かにいるかもしれません。また刑期を終えた人たちも出てくることでしょう。その際は、できるだけ暖かく迎え入れたいもの。理由はこれまで十分記しました。
彼らは私達の社会が育てた人たちであるからです。
「まだやってるんだって」、と言う人へ。でも考えてみてください。自分のすべてを賭けてきたんです・・・スンナリやめるには困難があり過ぎます。
愛する父親や恋人に手痛く裏切られたようなもの、いやそれ以上でしょう。 また敗戦直後の軍国主義者の心中を想像してみてください。
http://shonai.n-da.jp/e375338.html
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Fri, 03 Aug 2012 11:32:03 +0900
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戦後世代への頂門の一針
戦後世代への頂門の一針
―被災者への激励の書とも―
―三田照子さんの戦後史出版に寄せてー矢澤 俊彦「格差」や不景気、「閉塞」などと言われながらも、まずは豊かさを享受している今のこの国。この日本がいったいどのようにして出来てきたのか、ここまで来るのにどんな先輩たちの努力や御苦労が隠されていたのか・・・この大事でありながら、とかく忘れ去られがちな事柄を、大変興味尽きない絵巻物のように描いた読みやすい一書が、先月出版されました。
著者は三田(石塚)照子さんという方、庄内は三瀬出身(現在花巻在住)で、本年満95歳になられた心優しきおばあちゃまです。
一応いわゆる自分史の体裁をとり、その名も『ぐるぐる回しー私の戦後史』となっていますが、大きな文字で見やすい230ページほどの絵画的記述の随所に、今の私達が肝に銘じるべき出来事や暮らしの断面、そして味わうべき深いメッセージもサラリと語られています。そこに説教調は全くなく、(彼女は腹話術もよくしておられますが)、読者はこの熟練した語り部によるイメージ豊かな世界に、つい引き入れられてしまう、という感じなのです。以下に、大変不十分ですが、私なりの御紹介を、箇条書き風にさせていただきました。
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① 「感じることは考えることより、はるかに大切です」(レイチェル・カーソン)とよく言われます。この書の魅力と説得力の秘密のひとつは、三田さんの優れた感性に基づいているからでしょう。
とくに女性また母として、感じやすく繊細、でもたくましく、主観や情に流されず、人の何倍も喜怒哀楽を感じて生きた人の証言満載です。
② 頂門の一針 戦後育ちの私どもにはまことに頭の痛い話も多い。でもこうした苦労人の「つめのアカでも煎じて飲む」のはいい薬、読後、お年寄りを違った目で見るようになるかもしれません。
③ 女性の眼 「女には男の想像し得ぬつらさがある。苦しみの中で産まれた子は、母にとって何よりの宝なのです」・・・。
この言葉なんかも、鈍感な私にとってきびしく響いてきました。今では想像しにくい差別や封建制の中で懸命に生きてこられた女性たち。
その多くが沈黙している中で、この人がその本音を、でもまだつつましく語り出してくれている。その勇気に私は深く感じ入り、自然に頭が下がります。
④ 体験の壁? 「戦争体験は伝えられない。世代の厚い壁は越えられない」、とよく言われます。でもそう絶望的にならなくても・・と、この書を読んで思います。これをじっくりかみしめるなら、少なくも戦後史の肝心な部分が、この人の生活の断片から、ありありと感じ取れるのが不思議です・・そういう言葉と表現の力があるのです。 「他人には分かりっこない」と思う「体験至上主義」は誤り。大いに語り、聴くべきでは・・?
⑤ 人間信頼 「人を見たら泥棒と思え(知らないおじさんは危険だ)」というのも、少なくも戦後日本に関しては「誤り」では?人は信頼すべきもの、愛すべきもの・・・という、三田さん御夫妻による「人間信頼」による「勝利の人生ドラマ」がここにあります。
題名の『ぐるぐる回し』とは、周囲の人々の無数の善意や好意に、引き回され導かれ、生かされてきた90年の実感を表わしているのでしょう。御主人の三田善右ェ門さんは稀にみる「利他的精神」の持ち主。
満州で敗戦を迎えたとき、最後まで居残って、悲惨な日本難民のお世話をしたときの前後の事情などは、既に御夫妻の手によって『光陰赤土に流れて』、と題してかなり前に発刊されています。今回の出版は、それに続くものです。
⑥ 最後に・・これは今、大震災や津波、原発で苦しんでいる方々にも、雄々しく生き続ける勇気を与えてくれるパワーがあることをつけ加えたいと思います。これは著者が意図されたことでは決してありませんでしょうが・・・。
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心に残る数々のことばから
① 世界の母よ不戦を叫べ 幾百万の死もて築きしこの平和。そして平和憲法を与えたれた日の感激を。
② 助産婦さんとは―生命誕生の喜びを家族と共に味わう素晴らしい仕事です 。
③ (戦後満州からやっと帰ったとき) 夫の大きくふくらんだリュックに自分の物は靴下のみ。あとは難民の名簿や記録ばかりだった)。
④ 肥桶に糞尿をいれて坂を登る苦しさ.・・・昼食後の休み時間を惜しんでは、中国での体験記を書く。
⑤ 「みんなが食べられないでいるときに、山盛りいっぱいの大根がたべられるんだから幸せだね」
⑥ (満州で、難民救済に出かける夫のことば) 「今日は(お前たちは)死なないだろう。でもこの人たちはオレが手をかけねば死んでしまう人たちばかりなのだ」。
⑦ 「日本の汽車には屋根があるからステキだね」(無蓋車しか見てこなかった子どものことば)。
⑧ 夫は当時、中国体験記を執筆中、書き出すと寸時もペンは止まらず。日曜日は1杯のお茶を口にするだけ。
⑨ (子育ての目標) 「ふまれてもはねかえすたくましい子。正しいと思ったら誰をも恐れずはっきりモノを言える子に」。
⑩ ボロをまといながらも、キラリと光っているような人の価値を見分ける眼をもちたいもの。貧乏していれば他人の苦労が分かります。
⑪ (私の)ふれあう周囲のみんなを、「すぐ友達にしてしまう能力」は、(花巻での商売の)ガソリン・スタンドにはいい・声をかけることで友になる。深夜の給油を婦人がするのはここだけです。でもみんな眠っているときにも仕事をさせてもらうとはありがたい・・自分のことのように心配してくれるお得意様たちは宝でした。
http://shonai.n-da.jp/e375336.html
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Fri, 03 Aug 2012 11:30:28 +0900
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孤児救済に生きた二人の偉人
孤児救済に生きた二人の偉人
七窪思恩園の石井十次賞受賞にあたって
矢澤 俊彦
「このおじさんについておいで」★・・ある初冬の寒い日のことであった。彼はぞうり履きで古川(岐阜県飛騨の山奥の村)の伝道に赴く途中、
とある山道で、しくしくと泣いている少年がいることに気づいた。
「お前はどうしてこんなさびしいところに・・・?親も家もないというのか。・・それはかわいそうに・・・
このおじさんについておいで・・・」。(五十嵐喜廣の伝記より)
明治と呼ばれた時代、日本は貧しく、福祉という考えも弱いうえに、地震などの災害や流行病なども多かった。
そのためにこの国の至る所に「捨て子」や「身寄りのない子(孤児)」が放置されていたのです。
多くの人々が自分たちの生活に追われる中で、そんな子どもたちに偶然に出くわし、
深い同情のためにもう見過ごしにできなくなってしまい、それまでのすべてを打ち捨て、
全生涯を「みなし児の父」として歩んで世に知られるようになった人が東西に少なくも二人います。
その一人は宮崎県高鍋出身で岡山孤児院を開いた石井十次、そして我が庄内の五十嵐喜廣(よしひろ)です。
喜廣は昭和4年、七窪の地に孤児院をつくり、「庄内のミューラー」とも呼ばれました。
G.ミューラーという英国人は、生涯で実に1万人の孤児をひきとったというすごい人です。
さて、七窪の施設はその後幾多の困難と闘いながら創立者の精神を受け継ぎ、
「七窪思恩園」と改称され今日に至っていますが、
開設およそ80年を経た本年春、「石井十次賞」を受けたというのです。
私は奇しくも同じ前人未踏の道を歩んだ東西の偉人が相会して、
喜びと祈りをともにしているような感動が湧き上がってきたのです。
思恩園では5月31日、祝賀会を催して二人の開拓者に思いを馳せる予定ですので、
この機会に、十次の人生の節目になった三つの出来事をごく手短かに紹介してから、
この両者の人まねのできない共通点を記してみたいと思いました。
石井十次の三つの節目とは
★ その1 ふるさと(高鍋)の天神さんのお祭りの日、境内で遊ぶ女の子が泣いている。
貧しくきたない着物とわらの帯をしめているので、みんな遊んでくれないという。
そんな馬鹿なことが・・と十次はさっそく母親の作ってくれた木綿の着物と紬の帯を脱ぎ捨てると、取り替えてやったのです。
★ その二 医学修行中、岡山の郊外の太子堂で遍路乞食の兄弟に出会ったこと。
幼ないふたりはこもをかぶって弱弱しい。朝から何も食べていない。
十次は大急ぎで握り飯をとってくると二人に差し出す。おずおずとのばした手がやせ細っていて痛々しい。
がつがつ握り飯にかぶりつく子らを見る彼の心に怒りと愛が湧き上がってきた。
★その三 孤児の面倒をみようと一大決意をした彼。
ある日、高ぶった思いが抑えられず、長年買い揃えた高価な医学書のすべてを庭に放り出すと、
ランプの石油をふりかけ火をつけたのです。
奥さんは彼が気が狂ったのでは、と泣き出したといいます。
ちなみにこれは明治22年、彼25歳の時でした。
いたずらっ子の劇的変身
★ 他方の五十嵐も波乱万丈の生涯、多くの逸話や伝説めいた話があります。
とにかく郷里湯の浜での少年時代は全く手のつけようもない腕白小僧であったのに、
荘内中学から当時出来たばかりの新潟北越学館で松村介石など
すぐれたクリスチャン教師の感化で劇的に心変わり、
やがて冒頭に記したように飛騨山中で孤児救済の必要を感じると、
もうそれだけに夢中になって生き抜いたのです。
共通点-同情心、感化力、向上心・・・・
★ さてこの二人の伝記を読んでみますと、不思議にも以下のように共通した、
とても優れた資質があると、今回私は思いました。
① 感化力 その人の情熱にうたれて、ついその気になり手伝いたくなってしまう。
心に熱い炎が燃えていて、接する人にそれが燃え移るのでは・・と感じます。
② 発奮する みじめな現実から逃げず、自分のふがいなさを思うと、「よーし、なんとかしよう」と思う。
社会を責めるだけでなく、自分が求められている、と思うのです。
それからは向上心と努力の鬼と化すほどです。今の時代にほしい資質ですね。
③ 同情心と純真な魂
人の不幸を見過ごしにできない、泣く者とともに泣ける人なんです、やさしさの泉が二人の心から湧き出しています。
利他の精神でいっぱいなんです。
そして「邪念」がこれっぽっちもない。ごまかしもやましさが一切ない、この純真さにはみな参ってしまうのでしょう。
④ 気宇壮大 考えること思うこと、そしてやることもでっかいのです。
誇大妄想だなんていう人もいたでしょうが、この平成の時代、
お互いにすっかり人間的ケールが小さくなり、自分の身の安全ばかり志向する傾向の中で、
私達は彼らのつめのアカでもせんじて飲みたい、と思うほどです。
さらにたくいまれな実行力で、多くの夢を実現させたのです。
(鶴岡市本町3丁目 日本キリスト教団荘内教会牧師・同保育園長)
http://shonai.n-da.jp/e360108.html
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Fri, 01 Jun 2012 16:20:27 +0900