2010年12月28日

エッセイ 死線を歩む日本の教会

死線をさまよう日本の教会
              ―黄泉のドロ沼から脱出の方向は?―
                            荘内教会牧師 矢沢 俊彦

★ 鑑真  先日あの唐招提寺の鑑真和尚が里帰りした、というニュースを見ておも
いました。あの鑑真のエネルギーが欲しいものであると。数度にわたる渡航失敗にもめげず、何としても大和やまと)の国に伝道せねば、と命をかけた唐の僧侶。。ついに盲目となりながらも不退転の闘志でその志を遂げた・・・・あのエネルギーはどこから、と考えました。それを与えられて、今度は私たちが中国伝道で「恩返し」ができれば、と思いつつ、さまざまなことが私の脳裏に浮かびました。

★ 一大発見  それは素朴にいえば、自分自身について一大発見をしたからでは
ないでしょうか?これは今誰も気づいていない。これを伝えねば・・・、という強烈な使命感でしょう。
それは近代では、たとえばオスカー・ワイルドの「王女様の誕生日」で踊り狂いながら、自らの醜悪な姿にまるで無知だった森の生き物のあまりにも悲しい自己発見に似ているかもしれません。幸い鑑真の心臓は止まらず、どん底から這い上がることが出来たのです。

★ どろ沼  平成の日本人の課題は、そういう心の奥底に深く降ることです。その
底でくみ取った真理のみが、現代の相対主義のドロ沼で苦悶する無数の人々の光となるのではないか、と予感されます。その意味で、この日本にチャンスありです。今の宣教の行き詰まりは、神様の格別深いみ心が隠されているように思えてなりません。

★ 黄泉での叫び  今の我が同胞はまるで「黄泉(よみ)の国の住人のよう。まる
はだかで日々かげろうのように、やっと生きてるだけ。讃美の声をあげるどころか、ほとんど声すら出ていません。まさに旧約の「哀歌」の世界です。空騒ぎと空虚と擬装と死が支配しています。この底に下りて叫ぶ人がやってくるのを、うずくまり悶えながら必死で求めています。それさえもはや、かき消されそうなのです。

★ 宙吊りの教会  同じく黄泉に深く沈む教会は、その中でも「最もあわれむべき」
ものです。「この世のものを持たず、天国のもにいまだ接せず」(鑑三)、言わば何ひとつ持たないで宇宙空間に宙吊りされたまま。「世は彼を卑しむれど、彼は世に勝つの
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能力(ちから)を有せず」。さてここから偉大なる救済のドラマが始まるでしょうか?
★ 死線を往来  ここまで追い込まれているのが、我が日本の伝道戦線だと、私
は見てい 24ます。それは「死線を行き来する」世界、死屍累々ともいうべき世界です。地のはてなる世界と言っても言い過ぎではない。多くの牧師や家族たちが「獄にいます」。でも誰も見舞う人はいないし。友人たるべき人々も、同じところで呻いているからです。

★ 青年を騙すなかれ  こんなところに、やたら人を近づけてはいけない、青年を
誘惑してはいけないのです(それはた易いことです)。神学校入学を軽々に勧めてはいけない、と私は思う、それが親切というものです。
入れば(導かれて)「何とかなる」なんてものじゃありません。そうでなく、やがて彼らはだまされたことを知って向き直り、「オレの人生を返してくれ」と抗議の叫びをあげることでしょう。青年に来てもらうには、その前に教団や学校としてもやるべきことが沢山あるはず。たとえば争いをやめること、うわべでない喜びのある教会にすること、経済的助け合いのシステム・・・。

★ 信者の身勝手  ついでに言いましょう。伝道らしいこともしていない長老や信徒たちが、ウチの教会にだけはいい牧師が欲しい、などと望むのは身勝手も甚だしい
のではないでしょうか?こう言ったところでゆめ誤解しないで下さい。私自身神学校のお世話になり、その発展と日本伝道の進捗を衷心から願っているものであることを。  

★ 影と本体 自己反省 持っていると思いこむ擬装や錯覚に注意したい。真理
の断片や形骸を手にして争うことは避けたい。きれいなことばや概念でがんじがらめになっていなかったか?「みことば」の中に隠れ、その背後にたてこもる、自由のつもりで惨めな奴隷ではなかったか?「出来事」(解放)を起こさない「ことば」のむなしさ。
やはり昔人の指摘通り、自分は洞窟にほのかに映る本体の影ばかり見てきたのではなかったか?

★ 小さき者に  しかし、たとえそうであっても、いや、それらに気づいてこそ、クリス
マスを祝うことができます。天地万物を創造統御していたもう想像を絶する「巨大なる神様」が、なんと小さきものになられたことでしょう。こんなにも小さき者を生かすためにです!  メリー・クリスマス!
 「ちょう(蝶)一匹が飛ぶだけにも、実に全宇宙が必要なのです(クローデル)
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Posted by 矢沢牧師 at 12:54