スポンサーリンク

上記の広告は、30日以上更新がないブログに表示されています。
新たに記事を投稿することで、広告を消すことができます。  

Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2010年12月28日

新年に 「平和のとりで」を

            築け、平和のとりでを、汝の心中深く
           恒久平和への国民的悲願を想起しよう
                                  矢沢 俊彦

1本の鉛筆があれば
   1本のエンピツがあれば 戦争はいやだと書きたい・・・
     1枚のざら紙があれば 8月6日の朝と書きたい・・ 

 御存知の方も多いでしょう。これは美空ひばりの「1本のエンピツ」という彼女のものとしては、とてもユニークな歌。でも私はこれを聴くたびに、心の内側からどーとこみあげてくるものを感じるのです。1本のエンピツを与えられている私たち・・・今沈黙していていいのでしょうか?これだけの豊かさを享受しながら、かえって精神的に閉塞沈滞し、かつてあった希望も理想も失い勝ちであるとすれば・・・こんなに申し訳ないことはありません。

               「終戦」でなく「新日本誕生の日」
 誰に申し訳がたたないか?それはまずこのたびの戦争で儀性となったおびただしい数の人々です。その中には日本が侵略した中国やアジア諸国の人達も含まれます。そのどの一人にも愛する家族があり、将来への夢も希望も持っている人々でした。私たちと同じように、生きる権利も資格もある人々。ああ、なんと無残なことを。

 猛暑の中で8月15日も過ぎ、8月も過ぎました。でも引き続き考えてみたいと思います。8月15日とは何であるかと・それは、あのような大きな悪を行い罪を犯した日本の過去と断固決別し、全く新しい国づくりを始めた日です。即ち、8月15日は「新日本誕生の日」です。それを「終戦」という言い方をするのは責任や意志が不明で正しくない、と私は思ってきました。もしまだ終戦と呼ぶなら、それは「戦争が終わった日」ではなく、戦争を終わらせた日」という思いを込めるべきでしょう。実際それもまぎらわしいので、私はやはり「新日本誕生の日」(ちょっと長いですが)を用いることを提唱したい、と思います。

犠牲者達の最深の思いは
 そこで私たちは繰り返し問うのです。あのおびただしい戦没者や犠牲者たち・・・彼らは今も私どもに語りかけているに違いないのですが・・は、私たちに何を望み願っているか、という点です。  それは自分たちの命をむなしくしないでくれ、みんな世界の人々とともに戦争はもうやめ、幸せに暮らしてくれ、ということではないでしょうか?そのために戦後掲げた恒久平和実現の大理想の牽引車となって生きることでは?
 このことをしっかり自覚せず、あるいは十分知らされることもなく、多くの命の犠牲の上に与えられた戦後社会の中で浮かれているとしたら、なんという恩知らずでしょう。現代の豊かな社会という大きな家の基礎には、戦争のために声も出せずに消え去っていった人々がいることを、繰り返して銘記せねば、と思います。

               悲願あらわな憲法前文
それではここで戦後の日本人の使命を要約しているものと私が思う有名な宣言をふたつ、改めて御紹介しましょう。
 ひとつは憲法前文の次の一節で、私はこれを涙なしには読めないのです。即ち、「我らは・・専制と隷従、圧迫と偏狭を、地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」のくだりです。
 私の読み解き方・・・私たちは大失敗をしてしまった。残念だが、「専制と隷従、圧迫と偏狭」に屈従した歴史だった。これを深く謝罪したい。でもなんとか国際社会の赦しの中で、この過去と決別したあゆみをさせていただきたい。そしてみなさんの中でそれを認めてもらえるようになるまで・・・・私たちはこれを「国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」(前文末尾)ことを世界に約束したのです。

                  心に平和の砦を
 もうひとつはやはり戦後できた国際連合の目的達成に欠かせないものとして創設されたユネスコ(国連教育科学文化機構)憲章冒頭の一節です。
即ち、 「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなくてはならない」というものです。
 けだし名言、これを思いついたのはどなたか私にはわかりませんが、あの世界大戦の惨禍の深い深い反省に立った呼びかけに間違いありません。
 「平和のとりで」とは不思議な表現です。普通とりで(砦)は戦いのために築く要塞です。しかしそうでなく、戦争を消し平和を生み出すとりでを私たちの心中深く築けという。その意味を掘り下げてみる必要を感じます。

・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
               平和に生きるための6ヶ条
 以上を踏まえて、私たち日本人が平和のとりでをもち、恒久平和に貢献するために、なお必要なことを考えてみました。
1 国としての責任を明確に 各種式典などで、政府国民の「平和を願う気持」は十分確認されてきましたが、日本国家としての戦争責任がまだ不鮮明です。
明治維新以来、幾多の困難と闘いつつ国づくりに励んでこられた先輩たちへの敬意を、私は十分もっているつもりですが、この戦争はやはり憲法前文のいう「専制と隷従、圧迫と偏狭」のゆえであったことを、改めて明らかにすべきであると思います。
たとえば、あの大正昭和「治安維持法」が間違いであったことを、国はまだ認めていませんし、被爆者救援にももっと本腰を入れるべきでしょう。ドイツなど、戦争責任を国がはっきり認めている国がいくつもあります。

 2 外向き人間に 国民の「内向き体質」のようなものをさらに改めて、世界の国や文化を積極的に理解しよう、と努めること。情報の多量の流入にもかかわらず、まだ多くの人々は世界と向き合おうとせず、「文化的鎖国状態」に近い状態と感じます・義務教育の英語学習なども、この点での効果をあまり生んではいないようです。

 3 主体的学習を 記憶中心になり勝ちな傾向を改めて、自分の考えをもち、発表討論ができるようにする。特に批判的能力や判断力を身につけ、自己批判の力をつける。日本人も民族的自己愛に熱しやすい国民であることに十分注意したい。権威主義に代わる民主主義、精神主義を抑制する科学的精神を。マスコミ批判も大事です。

 4 歴史学習 ことに近代の戦争の歴史をしっかり学ぶ。できるだけ客観的に、事実に即して、自分でよく考えながら。何が戦争の原因となり、あそこまで進んでしまったのか?過去に学ばない人は、また同じ間違いをする危険がありましょう。

 5 自由な言論を  自由なはずなのに、多くの人が押し黙っています。タブーも色々ある。してはならない遠慮がある。すべき主張がわがままとする「体制翼賛体質」がありそう。国民の主権があまり生きていない。国民的討論の不在のさびしさ。江戸時代以来、抑えられてきた言論の自由。まだ無意識的抑圧の強い環境の中ですが、もうそろそろ楽しく自由な言論の沸き立つ社会にしていこうではありませんか!!

6 復讐を控える精神を  とりでに飛んでくる火矢や銃弾。やられたらやり返したくなるのは人間の自然。でも「平和のとりで」は、さらに高いあり方を示します。
それは憎しみねたみ、或いは不当な攻撃を受けても、それをそのまま返さない、「復讐は神にまかせよ」、「汝の敵を愛せよ」(聖書)との宗教的境地でもあります。
この心をみんなが身につけることは困難でしょうが、人々の上に立つ指導者のうちにこれが備えられるなら・・・・・国際平和にとっては無類の力になるに違いありません。刺激挑発に弱く、民族的自己愛や復讐心に富んだ人が責任者としてそこにいては、営々たる諸国民の努力も台無しになってしまうからです。(鶴岡市本町3丁目5-37 日本キリスト教団荘内教会牧師・同保育園長)












  


Posted by 矢沢牧師 at 13:45

2010年12月28日

私の見たアメリカ

私の見たアメリカ人
(私はさる6月、機会を得てアメリカのミシガン州グランド・ラピッズ市に滞在、そこで教会や神学校や町の人々と交流してきました。以下はその印象記の一部ですが、とにかくアメリカの教会は元気で生きていますー矢沢俊彦。)
★ なぜアメリカを見たいか ① 米国は日本人にとってとてもよい「鏡」である。自分の姿を知る大切さ ② アメリカを知ることは大事。諸外国を知らないで、共に生きていくことはできない。「鬼畜米英」などと言い出した歴史。目隠しして歩く危うさ  ③ 聖書に学んできた国 民主主義を戦いとってきた歩み。生きている教会を体験して励ましと元気を与えられることは確実。
★ よく互いに話す。紹介しあう。笑顔で人を迎える。他人とであう機会が多い。議
論も質問もする。社交性が大変よく訓練されている。  
★ 自分の声を出す 欲求や情緒もよく人前で表現する 自分の考えを持たせるのがアメリカの教育 記憶中心の日本とは随分違う 
★ 親密感のある人間関係 まずすぐファーストネームでよびあう。家族に個人が
隠れるようなことはない。肩書きや地位、出身地や階層などに左右されない人間の平等意識が徹底されているのは見事。差別撤廃も進む。
★ ゆったりしておおらか 生き方に自信が感じられる。 みな機嫌がよかった。文
化の力を感じた。ゆとりを持って生活を愉しんでいる。助け合い精神が旺盛である。 自主独立が基本であるが、いつでも助けを必要としている人に手をさしのべる構えがあるように見えた。
★ サマースクールはじめ、教会学校が盛んです。一見の価値ありです。
  


Posted by 矢沢牧師 at 13:34

2010年12月28日

私の見たアメリカ

私の見たアメリカ人
(私はさる6月、機会を得てアメリカのミシガン州グランド・ラピッズ市に滞在、そこで教会や神学校や町の人々と交流してきました。以下はその印象記の一部ですが、とにかくアメリカの教会は元気で生きていますー矢沢俊彦。)
★ なぜアメリカを見たいか ① 米国は日本人にとってとてもよい「鏡」である。自分の姿を知る大切さ ② アメリカを知ることは大事。諸外国を知らないで、共に生きていくことはできない。「鬼畜米英」などと言い出した歴史。目隠しして歩く危うさ  ③ 聖書に学んできた国 民主主義を戦いとってきた歩み。生きている教会を体験して励ましと元気を与えられることは確実。
★ よく互いに話す。紹介しあう。笑顔で人を迎える。他人とであう機会が多い。議
論も質問もする。社交性が大変よく訓練されている。  
★ 自分の声を出す 欲求や情緒もよく人前で表現する 自分の考えを持たせるのがアメリカの教育 記憶中心の日本とは随分違う 
★ 親密感のある人間関係 まずすぐファーストネームでよびあう。家族に個人が
隠れるようなことはない。肩書きや地位、出身地や階層などに左右されない人間の平等意識が徹底されているのは見事。差別撤廃も進む。
★ ゆったりしておおらか 生き方に自信が感じられる。 みな機嫌がよかった。文
化の力を感じた。ゆとりを持って生活を愉しんでいる。助け合い精神が旺盛である。 自主独立が基本であるが、いつでも助けを必要としている人に手をさしのべる構えがあるように見えた。
★ サマースクールはじめ、教会学校が盛んです。一見の価値ありです。
  


Posted by 矢沢牧師 at 13:28

2010年12月28日

北インドで人間回復

北インドで人間的感覚がよみがえった!
   ―概念の奴隷からの解放と新生がー
荘内教会ではここ数年、教団のインド派遣宣教師、三浦照男さんを物心両面で応援してきました。無論私共もゆとりあってのことではありませんが、この活動によって多くのものを与えられてきました。その中から二つのことを述べてみます。

★ 窓が外に開く 第一はインドとの関わりを通して、内向きになりがちな私たちの
目がいつも外に向けられるようになったことです。それはインドだけでなく、途上国といわれる国々のことが自然に気になりだしたのです。その国々の人々の生活だけでなく、キリスト教宣教についても感心が強められています。みなさんの中には、日本宣教がこんなに低迷してるのに、ほかに注ぐエネルギーはない、と思う方がいるかもしれませんが、そんなことはありません。インド宣教の現実も歴史も面白く、他宗教との接触からも多くを学ぶことができます。
★ 概念こわし  現地にでかけていって貧しい人々に触れることは、私たちに大きな衝撃となりました。それを「概念こわし」と、私は呼びたい、と思います。これは絵画や心理学で用いられる用語で、型にはまったような絵(概念画)しか描けないようになっている時、いろんな工夫をしてその先入観念を打ち壊すことです。 

★ 奴隷解放 今私達の生活も、言わば色々な「型」や既成概念にはめ込まれています。 仕事や生活スタイルや人間関係もマンネリ化し、新鮮な感動を失いがちです。生命のない無数の概念が、私達を取り巻き、私達をがんじがらめにしています。
でも、インドの貧民とのふれあいは・・・・・その死んだ概念の奴隷のような私たちを解放し、目も耳も生き返らせ、世界を初めて感動をもって眺めるように、私たちを生き返らせてくれるのです。
★ 目の色も変わる 飢えに苦しむ人達が、人間の生活や世界について、一
番根源的なことを教えてくれる。自分はこれまで何をしてきたのだろう、と激しく揺さぶられ、すべてが反省させられ、初めてモノを考え悩み、目の色も変わって猛烈に学び始める・・・こういうすばらしいドラマが待っていたのです!・・・・・・・・・・・・・・
★ 以上のような思いと期待をもって、私たちは4回目のツアーを来年1月に行ないます。私は網膜色素変成症という目の難病で、数メートル先の人物の判別も困難なのですが、ぜひもう一度インドの土を踏み、あの空気を吸いたい、と願っています。
★ 描画の初体験 参加者の多くは教会に隣接している保育士さん達で、今回で延べ8人が参加、子らの初めてのお絵かき体験のお手伝いもしています(矢沢)。。
              8






 








  


Posted by 矢沢牧師 at 13:19

2010年12月28日

ペスタロッチのことばから

内面に沈潜、深みからの統合へ
   -真理の形骸で闘争してはならない!-
                     協議会長 矢沢 俊彦
  純粋に我々の奥底からくみ取った真理は、その形骸7のために争う幾千もの闘争者の間を統一するであろう。
                     ペスタロッチ『隠者の夕暮』より
この11月に私共の保育園舎の増築工事が終わりました。今ではすべてが美しく整い、新鮮な木の香りに包まれた子らの家はどこを見ても輝きにみちています。
 でもここに至る数ヶ月間の工事現場はそうではありませんでした。もう沢山の資材や道具機械が置かれ、多数の人々が出入りし、あたり一面は(業者は絶えず整理整頓をするのですが)、やはりすべてが雑然とし、カオスに近い騒然とした混沌の世界でした。しかし今やそれは一変した実に麗しき秩序のうちに息づいているのです。これまでの大小すべての動きや働き、作業や労働が一つも無駄にされることなく、この完成作品に生かされていることを思うとさらに感動的です。

 そこで自然に思いが及ぶのが、我々の世界の混沌、我が教界の混乱、そして自分の内部のカオスです。これらもやがて見事に秩序づけられるのでしょうか?この現場にも隠れた「棟梁」が監督しておられるのでしょうか?
 ペスタロッチによると、その大いなる方に出会うには、自分の心の奥底におりていくことが必要だという。空騒ぎをやめ、内面に出来るだけ深く降ること、そこでの出会い、そこでの発見洞察が、自分の痛ましい有様を明るみに出してくれる、私はこのように理解しました。

「何ということだ、真理のために戦っていたオレのつかんでいたのは、わづかにその「形骸」に過ぎなかったのか。数千もの「形骸同士」が激しく闘争しているというのか・・これはこわい、油断は出来んぞ。もっともっと深く下りていかねば・・。でも無数の分裂が少しづつ統一されていくこの心地よさ甘美さはどうであろう・・・・」。        
  


Posted by 矢沢牧師 at 13:12

2010年12月28日

羊飼いと博士 クリスマスに

                 羊飼いと博士たち
              ―世界最初のクリスマスを祝った人々―ー
                                   矢澤 俊彦
                「キング・オブ・キングズ」
★ ヘンデルの「メサイア」でも「キング・オブ・キングズ」(諸王の王)と讃えられてい
るキリスト、クリスマスはこの大いなる王様の誕生日です。今でこそ盛んに祝われるようになりましたが、世界最初のクリスマスは、実はとても静かで、きらびやかな豪華さとは無縁でした。
★ 普通国や民族の王様が生まれるとなると大変です。ずっと前から国民に知らさ
れ、みんな準備をし、大騒ぎをしてその日を迎えます。人々は大喜びするでしょうが、それはそう長く永続するものではありません。そのようにして世界はこれまで無数の王を迎え、送ってきました。そしてそのほとんどは、もう思い出されることもめったにないのです。
                 その影響力の秘密は?
★ でもキリストの場合は不思議です。あれから2000年もたっているのに、今でもそ
の誕生が盛んに祝われるだけでなく、この王の家来として一生を捧げる人々がどんどん出てくる。これは実に不思議違なことではありませんか。でもそれでこそ「諸王の王」と讃えられるゆえんではないでしょうか。
★ この不思議、この永続する大きな影響力の理由はどこにあるのだろうか、と考え
てみたのですが・・・・どうやらそれはほかの王様と違って、キリストが「私たちの心の中に生まれること」、そして私たちの心をやさしい光で包んで、神様のところまで引き上げてくれるからではないでしょうか。
暗闇の中でのたうつような私ども、阿鼻叫喚の巷で叫び続ける私どものところまで降りてきて、どん底であえぐ人々の心深く誕生されるからです。この消息は今も昔と変わっていません。それでは改めて、聖書の記す世界最初のクリスマスを紹介してみましょう。
               初めてメシアに出会ったのは?
★ 救い主なる王誕生について、それが「いつ、どこに、どんな風に」お生まれになる
か、は誰にも知らされていませんでした(多分、今でもそうなのでしょう)。世界に布告されていたのは、皇帝アウグストによる人口調査に関するものでした。権力者による非人間的な暴虐の中で、すべての抑圧や圧迫に勝利する力を下さる王が生まれたのです。
★ さて、その誕生の知らせを受けたほは、羊飼いと博士だけでした。一方は、ベツ
レヘム郊外の名もなき人々で、彼らには天使がやってきて、、そして「遠い東の国の博士たちには大きな星の現われによって伝達された、と記されています。それではこの世界最初にクリスマスをお祝いできたこの人たちがどんな人だったか、考えてみました。
                 羊飼いーこの最底辺の人々
★ まず羊飼いです。当時の彼らの仕事は、今でいう「3K」以上に厳しく、嫌われていました。それだけでなく、彼らは町の人々からはのけ者にされ、神殿への出入りも禁じられ、いわば社会的に徹底して「疎外」され、無視され、押しつぶされている身分なき人たちでした。それにもめげず、彼らは黙々と羊の世話をし、よく野宿しました。
野原は彼らにとって、しっかりモノを考え、人生を省察するのにもってこいの環境だったでしょう。町の喧騒から遠ざかり、暗い静かな長い夜を、瞑想と沈黙と対話のうちに過ごす。彼らには学問も教養めいたものはなかったでしょうが、そうして養われた人生の知恵を豊かに持っていた。そしてそれ以上に、「誰かに来てほしい。俺たちをここから引き上げてくれ」という願いや憧れを深くしていたに違いありません。多くの危険、どうにもならない貧しさ、社会的圧迫と無力感の中で、夜な夜な天を見つめ、心の中で叫び続けてきた・・・・。
★ そんな羊飼いに、天使からの訪れがあった・・・・待っていた救い主が王宮でな
く、宿屋にも入れられず、なんと「うまごや」(家畜小屋)の飼い葉おけに寝かされている、という。それを聞いた彼らは、しばらく考えて合点がいったことでしょう。「その王様こそ俺たちの拝める王様だ」と。「急ぎ行きて拝まずや」、うまやに急ぐ彼らの足取りはどんなに軽く、また喜びに満ちたものだったことでしょう。

               博士―すべてに恵まれていたが
★ さて、次は「遠い東の国の博士たち」です。キリストへの贈り物が3つ記されていることから3人だとよくいわれます。彼らが長い苦しい旅をしてベツレヘムまでやってきた、というのです。
  この博士たちは羊飼いと違って、その社会でトップにランクされる指導者でした。3人の王だった、という説もあります。その彼らがなぜ、あの困難と危険に満ちた長旅を敢行したのか。これが興味深いところです。
★ 大方の説によると、彼らは星占い師(占星術師)で、その優れた知識技術によっ
て国政に助言し、人々の相談にものっていたといわれます。国民から尊敬もされ、立派な家に住み召使も多く、何不自由ない生活をしていたに違いありません。
 しかし星占いという仕事は人生について深く考えさせます。それはちょうど羊飼いたちが毎晩由空を眺めながら、物思いにふけっていたのと似ているようです。それに博士らの魂は自分に誠実で、正直者、ごまかすこたは大嫌いでした。
                  内心の不安と無力感   
★ 彼らが自分たちの心の底に見出したものは・・・自分たちは今恵まれた暮らしをしている。仕事や地位や財産や家来もいるしみんなの尊敬も受けている。でも心の底に満ち足りるものがない。このむなしさ、そこはかとない不安、さびしさはどうすることもできない。いったいわしらはどこへ流されていくんだろう?さっぱりわかりはしない。
それにわしらのしてることは、なんとわずかなことか。この社会にうずまく悩みや悲しみ、この混乱や人々の飢え渇きはどうであろう。わしらは結局、大事なことは何も知らず、何をする力も持ち合わせてはいないのだ!
 そんな思いがもうどうしようもなく強くなってきたころ、・・・・西の空に不思議に輝く大きな星が現われたのでしょう。彼らは俄然色めきたちました。その意味について触れた旧い予言書を見つけるに及んで、これはなんとしても遠い西の国まで旅をせねば、あの星が導いてくれるに相違ない。
                無謀で危険きわまる旅路
その旅立ちの決意に、家族はじめまわりの人々はどんなにびっくり仰天したことでしょう。なんという無謀なことを!気でもおかしくなったんじゃないか、あの荒野と砂漠の続く遠路です。天候は不順、道中に追いはぎだけでなく、おおかみなど危険な生き物も出没します。それらにも備える旅支度などできるはずはありません。きっと老博士もいたでしょうし、旅慣れた隊商たちでもないのです。早晩、いくらも行かないうちに倒れ、砂漠に朽ち果てるに違いないのです。
★ しかし・・・それらすべてを知った上で彼らは旅立った。それはなんとしても、この人生のナゾの答えを見出したい、という強烈な思いに燃え立っていたからです。
 旅は予想通り、あるいは予想を超えて困難で、かつ難渋を極めるものでした。その中で、それまでの栄光に富んだ博士としての人生は、すっかり過去のものとなりました。彼らはほとんど何も持たない一介の旅人に過ぎなかった。ただ心中深く「この世界の救い主」に会いたい、という一念だけにつき動かされて、一歩一歩ひたすら進んでいったのです。そして彼らの旅は目的地に着くまで、奇跡的に守られたのです。
                共通点―「なんとしても」の思い
★ さて、世界で最初のクリスマスに出会った人々。それは羊飼いと博士たち、一方
は社会の最下層に、他方は最上位にいる人たちです。これでもって聖書は、キリスト誕生が、「すべての民に与えられる大きな喜び」であることを示そうとしているのでしょう。
 ただ両者にはかなり共通点があります。それは、心の中の底にあるものをじっくり見据え、なんとしても救い主(メサイア)に会いたい、との願いを強めていたこと。そしてそのために「長い苦しい旅」をしたことです。えっ、でも羊飼いはすぐ近くにいたんじゃない?そうですね。でも、彼らの日々の苦しい生活は、そのまま博士たちの砂漠の旅に匹敵するのではないでしょうか?今この時代でも、そういう旅路にいる人々は、クリスマスの喜びまで導かれつつあるのですよ(鶴岡市本町3丁目5-37日本キリスト教団荘内協会牧師)。
  


Posted by 矢沢牧師 at 13:04

2010年12月28日

エッセイ 死線を歩む日本の教会

死線をさまよう日本の教会
              ―黄泉のドロ沼から脱出の方向は?―
                            荘内教会牧師 矢沢 俊彦

★ 鑑真  先日あの唐招提寺の鑑真和尚が里帰りした、というニュースを見ておも
いました。あの鑑真のエネルギーが欲しいものであると。数度にわたる渡航失敗にもめげず、何としても大和やまと)の国に伝道せねば、と命をかけた唐の僧侶。。ついに盲目となりながらも不退転の闘志でその志を遂げた・・・・あのエネルギーはどこから、と考えました。それを与えられて、今度は私たちが中国伝道で「恩返し」ができれば、と思いつつ、さまざまなことが私の脳裏に浮かびました。

★ 一大発見  それは素朴にいえば、自分自身について一大発見をしたからでは
ないでしょうか?これは今誰も気づいていない。これを伝えねば・・・、という強烈な使命感でしょう。
それは近代では、たとえばオスカー・ワイルドの「王女様の誕生日」で踊り狂いながら、自らの醜悪な姿にまるで無知だった森の生き物のあまりにも悲しい自己発見に似ているかもしれません。幸い鑑真の心臓は止まらず、どん底から這い上がることが出来たのです。

★ どろ沼  平成の日本人の課題は、そういう心の奥底に深く降ることです。その
底でくみ取った真理のみが、現代の相対主義のドロ沼で苦悶する無数の人々の光となるのではないか、と予感されます。その意味で、この日本にチャンスありです。今の宣教の行き詰まりは、神様の格別深いみ心が隠されているように思えてなりません。

★ 黄泉での叫び  今の我が同胞はまるで「黄泉(よみ)の国の住人のよう。まる
はだかで日々かげろうのように、やっと生きてるだけ。讃美の声をあげるどころか、ほとんど声すら出ていません。まさに旧約の「哀歌」の世界です。空騒ぎと空虚と擬装と死が支配しています。この底に下りて叫ぶ人がやってくるのを、うずくまり悶えながら必死で求めています。それさえもはや、かき消されそうなのです。

★ 宙吊りの教会  同じく黄泉に深く沈む教会は、その中でも「最もあわれむべき」
ものです。「この世のものを持たず、天国のもにいまだ接せず」(鑑三)、言わば何ひとつ持たないで宇宙空間に宙吊りされたまま。「世は彼を卑しむれど、彼は世に勝つの
                     3
能力(ちから)を有せず」。さてここから偉大なる救済のドラマが始まるでしょうか?
★ 死線を往来  ここまで追い込まれているのが、我が日本の伝道戦線だと、私
は見てい 24ます。それは「死線を行き来する」世界、死屍累々ともいうべき世界です。地のはてなる世界と言っても言い過ぎではない。多くの牧師や家族たちが「獄にいます」。でも誰も見舞う人はいないし。友人たるべき人々も、同じところで呻いているからです。

★ 青年を騙すなかれ  こんなところに、やたら人を近づけてはいけない、青年を
誘惑してはいけないのです(それはた易いことです)。神学校入学を軽々に勧めてはいけない、と私は思う、それが親切というものです。
入れば(導かれて)「何とかなる」なんてものじゃありません。そうでなく、やがて彼らはだまされたことを知って向き直り、「オレの人生を返してくれ」と抗議の叫びをあげることでしょう。青年に来てもらうには、その前に教団や学校としてもやるべきことが沢山あるはず。たとえば争いをやめること、うわべでない喜びのある教会にすること、経済的助け合いのシステム・・・。

★ 信者の身勝手  ついでに言いましょう。伝道らしいこともしていない長老や信徒たちが、ウチの教会にだけはいい牧師が欲しい、などと望むのは身勝手も甚だしい
のではないでしょうか?こう言ったところでゆめ誤解しないで下さい。私自身神学校のお世話になり、その発展と日本伝道の進捗を衷心から願っているものであることを。  

★ 影と本体 自己反省 持っていると思いこむ擬装や錯覚に注意したい。真理
の断片や形骸を手にして争うことは避けたい。きれいなことばや概念でがんじがらめになっていなかったか?「みことば」の中に隠れ、その背後にたてこもる、自由のつもりで惨めな奴隷ではなかったか?「出来事」(解放)を起こさない「ことば」のむなしさ。
やはり昔人の指摘通り、自分は洞窟にほのかに映る本体の影ばかり見てきたのではなかったか?

★ 小さき者に  しかし、たとえそうであっても、いや、それらに気づいてこそ、クリス
マスを祝うことができます。天地万物を創造統御していたもう想像を絶する「巨大なる神様」が、なんと小さきものになられたことでしょう。こんなにも小さき者を生かすためにです!  メリー・クリスマス!
 「ちょう(蝶)一匹が飛ぶだけにも、実に全宇宙が必要なのです(クローデル)
                       4

  


Posted by 矢沢牧師 at 12:54

2010年12月28日

トルストイとメサイア

            トルストイとメサイア
                   -人の心には巨大隕石跡がー
           2010年クリスマス・メッセージ          矢沢 俊彦
「私ははだかで母の胎を出た。またはだかでかしこに帰ろう。
主(神)が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」
              所有を巡る人類の迷妄
 これは旧約聖書にある有名な言葉で、ヨブという人物が、突然、子どもや持ち物はむろん、自分の健康すらも奪われたとき、思わすあげた叫び声です。 これは深い言葉で、人生の極意、あるいは「悟り」の境地」が示されている、と言えそうです。
 しかし、普通私達はモノにとらわれ振り回され、「もっと持ちたい」と思い、「これだけあれば」と安心したりします。物の所有ということを巡る人類の迷妄は深いのです。
 その代表的なものは多分「土地」というもの。「領土」といってもいい。これをめぐって、私たちも国家も人類も、古来どれだけの争いや戦争を繰り返してきたことでしょう。今でもそんな愚かさから脱却できていない、それは日々新聞なども伝える通りです。
         トルストイの「人はどれだけの土地がいるか」
 19世紀のロシアの文豪、レオ・トルストイの有名な民話に、「人はどれだけの土地がいるか」というのがありますね。 主人公である農夫は、日頃から「もっと広い土地があればなあ」、と思っていた。ある日旅の人がきて、ずっと北のほうに、とっても広い土地を、びっくりするほどの安値で分けてくれる村があるという。そこですぐさま勇んで出かけてみると、はたして大歓迎され、土地の話を切り出すと、「1日千ルーブルでは・・」という。意味が分からず尋ねると、こういう答えがかえってきた。
 「明日朝、お前は日の出とともに歩き出す。そして欲しいだけの土地を囲いこんだところすべてがお前のものになる。千ルーブルでいい。ただし、あの地平線に日が沈むまでに出発点に帰ってこなかったら、すべてはオジャンになっちゃうから、十分気をつけてな」。
 聴いたこともない不思議で心躍る話に寝つけない農夫。でも翌朝誰より早く起き、日の出とともに歩き出す。夢心地だ。つい足速になる。と、いい牧場や湖や森がある。欲張っては危ない、と思いながら、ついそっちへ向かってしまう。段々時間がなくなる。それに午後の太陽の足も速い。夕暮れが近づき、もう狂わんばかりになって必死に走る。村人の声援が聞こえた。死に物狂いでゴールイン、「やったぞ、大変な土地を手にいれたぞ」との歓声。でも・・・助け起こそうとすると・・・もう息は耐えていた。・・やがて墓堀人が来て・・結局彼が使うことができたのは、小さな墓地だけだった。
何とも強烈な皮肉で、もの悲しい物語。でもこの主人公の愚かさを私たちは笑い飛ば
                     12
せるでしょうか?物にとらわれ、もっともっと、と満足を知らない私たち。欲望を際限もなく追求しがちな我々。もしかしたら死ぬまで走り続けているのかもしれません。
                   文豪の気づきと苦悶
 ここで私の胸に去来するのは、トルストイはいったいどんなつもりでこの民話を書いたのか、ということです。もしかしたら、いや、多分まちがいなく、これは「自分自身に向かって、慙愧の思いで激しく投げつけた」ものではなかったか。
 それ以前に彼は「戦争と平和」や「アンナ・カレー二ナ」などの大作で、もう世界の大文豪として、その名声をほしいままにしていました。しかし、そのさ中で、トルストイは「何か重大なことに気づいたのです。そしてかなりの間、苦悶のうちに陰鬱な日々を送った。自殺衝動も起こるので、刃物を目に触れないようにしておいた、といわれています。         自分は「はだかの王様」であった
 それからです。彼の作風がすっかり変わってしまったのは。その後期トルストイの精神を端的に物語っているのが、先ほど紹介した民話(集)なのです。
 彼は結局何に気づいたのでしょう?・・・・それは自分の「内なる空虚(むなしさ)」であった。世界中の賞賛や名声に囲まれながら有頂天だった自分。でも気づいてみれば、それらは実にむなしい。過ぎ行く風のようなもの。空騒ぎにうつつをぬかしていた愚かな年月。そこで生み出した作品とて、自分の「はだか」をどうすることもできない。それらは世間を欺く「偽装」の手立てに過ぎない。人間は結局、財産であれ、名誉であれ、そういう「物質的精神的持ちもの」を、いくら積み上げたところで、それで生きることはできない。迫り来る死や病にうち勝てない。それで「内なるむなしさ」を満足させることはできない、と悟ったのではないか。
                 全作品をゴミの山に廃棄す
 それゆえでしょう。トルストイはそれまでの多くの作品を、「虚偽の芸術」としてゴミの山に捨て去ってしまった。そして書いたのが、「人はどれだけの土地がいるか」、というような分かりやすい警世的なものです。自分の愚かだった過去を、大いなる懺悔とともに、断固決別した。ここまで来るのに、彼の経験した内面的な闘いは、どんなにすさまじいものだったことでしょう。
                心の中に大きな穴が
 そこで私たちは考えるのです。それではいったいどうして、ものを持つことで、人間の心は満足できないのでしょう?いや、持つことがさらなる欲望をかきたて、迷妄はさらに深くなっていく・・・いったいどうして?どうしたらいいの?・・・というわけです。
さてその答えは?そしてこれこそトルストイが悩みの中で、ついに達した貴重な洞察なのですが、・・。みなさんはテレヴィなどで、「巨大隕石(いんせき)の跡」を見た
                 13
ことがあるでしょう。何千年も前に落下したその直径何百メートルという大きな穴です。さて、私たちの心の中には、実は、あの隕石落下跡のような大きな穴がぽっかりとあいてしまっている。それはあまりに大きくて深いので、世界中からもう何を持ってきてもそれを埋めつくすことはできない!大金持ちになろうが、天下を取ろうが、それでどうにかなるものではない。それほど「巨大なる空虚」というものを抱え込んでしまっているからです。         創造者の抜けた空虚
さて、その次です。それではいったいどうしてそんなみじめなことになってしまったのか、これこそ究極の問題ですが、それは人類が、かつて共にいた創造者である神を、自分の中から追い出してしまったからです。その神様の抜けたあとの穴があまりに大きく深いので、どんな人間でも、どうにもならないさびしさやむなしさ、暗く、うつろで、どうしようもない孤独にさいなまれるようになった。そのために、どんな代用品を持ってきても、それで得る満足感は、一時的、部分的、断片的なものでしかない。財産・名誉・友人・恋人・趣味道楽や飲み食い・・その他、いかなるものをもってしても、この空虚を満たすことはできない・・・・。これこそトルストイの偉大な気づきであったのです。しかしこういう悲痛な経験を、私たち自身も、どれだけ繰り返してきたことでしょう。
               メサイアが神を連れてきてくれる
 しからばこの悲惨から掬われる道はあるのでしょうか?賢明な読者はお分かりでしょう。かの文豪によれば、自分のうちから追い出した創造主に、なんとかしてもう一度来てもらい、人類一人ひとりの心を満たしていただくほかはない、という。
しかしいったいどうしたら・・・・どうしたらそんな難しいことができるでしょうか?途方に暮れる私たちに、その道を示してくれるお方がやってきた・・・そしてその人こそ「メサイア」と呼ばれる「救世主」なのだというのです。
この人は「メシア」とも「キリスト」とも呼ばれ、人類に広く受け入れられてきました。大作曲家ヘンデルの「メサイア」も、世界中で演奏されています。鶴岡でも、来たる12月12日午後、江戸川との友好交流でこの曲が演奏されますが、このことの淵源をたどっていけば、以上長々と述べてきた人類の悲痛な体験と、そこから脱出の喜びという、大いなる背景が隠されているわけです。

そして、このメサイアを心に迎えるのが「クリスマス」であるわけです。この救い主を新たに迎えたトルストイの作風は、すっかり変わりました。生活面では私有の財産を放棄しようとして家族と衝突するなど、晩年は不遇な面がありましたが、彼の心は、きっといつも青空のように、さわやかに晴れ渡っていたことでしょう。「はだかで神のもとに帰った」人類のすぐれた教師の一人であります。
                   14



  


Posted by 矢沢牧師 at 12:48