2011年04月30日

子育てのヒントから

   子育てのヒントから (園長発)   2011年4月28日
                        荘内教会保育園長矢澤俊彦
 昨日(5月26日)の保護者の集まりでお話したことの要約です。子育ての困難なこの時代です。私としても、奮闘中のお家のみなさんに何かヒントになるものはないか、と考えた結果です。長いお話ではなく、ちょっとしたキーワードのようなものから、考えをめぐらしてみるのもいいのでは、と思っています。「子育てはもう関係ない」、という方にも、人とのコミュニケーションという点で、何か参考になるかもしれません。

1 味方になりたい 園や職員は、みなさんともっと親しくなりたい、と思っています。皆さんの本当の味方になって、子育ての応援をしたい、と思っています。遠慮なくお互いにモノが言える関係を結びたい、と思っています。

2 400人が必要なのです 一人の子供が人間らしく成長していくには、親たちがどんなにがんばったって、それだけで決してうまくはいきません。まず400人くらいの村人(周囲の人々)全体の力が必要だという。これはあのヒラリー・クリントンのことばです。遠慮なく、みんなの助けを求めましょう。

3 けなげな適応 すばらしい適応力 みなさんのお子さんの力はすごい。心配だった保育園生活にも、すっかりなれてきています。家庭と違うこの広くて大きい世界に、けなげにも自分を適応させている。彼らの小さいけれど、しっかりした心を抱きしめてあげてください。それに比べると、私たち大人の方が、そういう力や、仲間づくりの能力は「退化」していませんか?

4 泣く子は愛されている 母親などから離れるとき、泣いてしまうのは当たり前。それだけ「愛着関係」ができていたことを喜んでください。母親としっかり結ばれることから安心感が育ち、段々まわりの人や友達に興味が出てくるんですよ。
 ご機嫌です もうみなさんのお子さん、とても機嫌がいい。いい笑顔をしてます。よく笑ってくれます。先生たちも気分がいい。それはお家の方が懸命に愛情を注いでいるからです。ありがたいことです。

5 生命力がインプットされて 胎児が成長しこの世界に生まれ出る。そして「誰も教えないのに」笑い、泣き、眠り、ことばを発し、寝返りをうち、手足を動かし、はいはいをし、ついに歩くようになって・・・・。この生命の不思議さ。実に感動的です。驚き、感嘆し、拍手を贈るばかりです。神様の備えられたこの力があればこそ、赤ちゃんは成長していく。あせることはありません。その姿をじっくり見て楽しもうではありませんか。

6 親は「庭師」(園丁) 子育ては草花や作物を育てるのに似ている(保育学の父フレーベルのことば)。よく観察する。あせらない。時のくるのを待つ。そしてその育ちのひとつひとつの段階を楽しむのです。むろん、水をあげたり、日光や風に当てたり、細かい心配りは必要ですが・・いわゆる「放任」(ただほおっておくこと)とは違います。
お花なんか、狭い場所でも育てていると、何かヒントが得られるかもしれません。

7 少ないほどいいもの 号令、命令(口調)、行動の指示、うるさい注意、禁止、しかること、おどし、威圧、こわい顔つき・・・これらがよくはないことはおわかりでしょう。イソップ物語の「北風」のようでなく、「太陽」のように、さんさんと暖かな光を注ぎかけることができたら・・・もう子育ては大成功です。
 貝と塩水 懸命に伸びようとしている小さな命に、大人の側からあまり「介入」しないことです。内部には、神秘的ないのちが躍動しています。貝を塩水につけておくと、自然に口を開きます。でも力であけようとすると、体をこわしても、絶対に開きません。

8 自主性と指示待ち人間 やかましく口を出し、手を出し過ぎていると、その子の内面性がそこなわれます。自分で考え、自分で行動することができなくなります。「よかれ」と思ってする親心がアダになる。いわゆる「自主性」のない人間になってしまいます。言われたことしかしない大人になる危険性大です。
見かけはぐずでも ぐずでのろまのように見えても、待ってあげてください。彼らの内部はしっかり動いているのですから。

9 自由保育というもの この保育園では、子らにできるだけ「自由」を与えています。遊びの選択、遊べる環境、十分な時間空間、遊びの相手選び・・。それをできるだけ保証してあげる。内側から出てくる思い、欲求や衝動を大事にしてあげるわけです。先生が「これからこれして遊びましょう」と設定してかかるのではありません。こういうやリ方を「自由保育」とか「子供中心保育」と呼んでいます。これには多くに知恵や工夫、注意深さが入用なので、そう感単にできるものではありません。

10 自信ある人間に どうしたら堂々たる自信をもって大事な生涯を送ることができるでしょうか?これはすべての親の願いでありましょう。当園の答えは。子らに最大の自由を与え、周囲世界を探検させよ。自分の目や耳、五感を駆使して面白いと思うものにぶつかて遊びこませよ。。興味関心をひくものがたくさんある環境をととのえよ。自然も遊具も友達も・・。そういう経験を通して、まず自分の目や耳や味覚などに自信を持たせるのです。
そうしてそれをことばや絵画や政策物などで、力強く表現していく。こういうことを積み重ねていくことです(当園の絵画造詣保育の考え方の基本)。

11 いたずらのすすめ 幼児は面白いことしかしません。自分で発見した興味あることしかしたがりません。彼らには「いたずら」とか「迷惑をかける」という概念はありません。そう思うのは、子供の遊び心を忘れてしまった大人だけでしょう。心がハラハラどきどきしてたまらない環境を用意してあげましょう。テレビなんかに見向きもしない子になったらしめたものです。
「困った子」 こう思うのも、大人だけです。何か困ったことをしている姿を見つけたら、注意したりする前に、「何がいったいそんなに面白いんだろう」、と少しながめてみてください。

12 共感する 子供の思いが「あー、なるほど」とわかり始めると、段々彼らの世界がわかりはじめます。楽しくて面白くて仕方ない世界に、あなたも入門し始めたのです。そうなればますます彼らは自分の世界を開き示してくれる。そういう人に近づき、なつき、表情も変わり、楽しくてどうしようもない、という顔つきになる、大人と子供の間に、「響きあう共感の世界」が生まれたのです!

13 「母性神話」 そういう用事や子供の心を読み取る力は、彼らとしっかりつきあいながら、次第次第に身につけていくもの。子供を産めば「母親」にすぐなれるのでもありません。
母性というものが女性には備わっているもの、と考えるのは間違い。そう思う父親がいたら、大いに改める必要がありましょう。たいていの父母は、わが子でも「時々愛し、時々憎らしく思うもの」(ある虐待問題の専門家の話)くらいに考えるのが現実的です。
 保育士さんだって同様です。出来上がった人なんかいません。日々何時間も幼児とかかわりながら、試行錯誤を繰り返しながら、段々それらしくなっていく。ここら辺は、保護者の皆さんも、優しく見守ってくださるとありがたいです。

14 子供こそ大人の教師 考え方の根本的転換が必要です。子供たちこそm私たち大人が、「人間らしく生きる」に必要な実に多くのものを差し出し与えてくれています。
たとえば・・・すなおでまっすぐ飾らない心、豊で楽しい遊びの精神、穢れなき友情、ユーモアやおどけや笑いの世界、のびやかな感性・・その他、たいていの大人がもうどこかに捨ててきてしまった貴重なる数々のものをふんだんに持ち合わせている。
彼らを妙に「しつけて」、つまらない大人のように(「都会にはよくそういう「小さな紳士淑女」がいます」してしまったのでは・・・どうしようもないじゃありませんか。
 私たちは人間社会について、眼前の小さな子より、よく知っている、と勘違いします。でも事実は、彼らこそが私たちを導いてくれる先生なんですね。

15 大建築の基礎 建物の基礎工事の念入りさを、私なんかも感心して見入ることがあります。人生最初の3年間、6年間は、まさにそういう基礎づくりの時期です。ここをどう過ごすか・・・、場合によっては「人間になりそこなう危険」があります。親たちもしっかり考え合って、適切な応援をするなら、やがてすばらしい建物がそびえ立つようにもなるでしょう。

16 夫婦仲良く これが大事であることは明らか。父母がいがみあうことが多くては、子供の心は想像以上に傷つき、情緒の発育も阻害されるでしょう。でも実際これほど困難なこともないかもしれませんね。

17 ここでキリスト教が 「あなたは(神様から)愛されている」という実感が与えられます。相手を受け入れるゆとりが生まれます。感謝の気持ちが生まれます。恵まれなかった幼児期を取り戻すことができます。

 しっかりした宗教の力は偉大です。人をして「新しく生まれさせる」ほどの力があります。私たちはキリストによってあやされ、背負われ、遊びこみ、飲み食いし、人間らしく「育てなおし」をしてもらう。これが「母なる教会」のありがたい役割です。やがて死にも打ち勝つ、たくましい人間となっていくでしょう。

こういう支えなくして、今度の震災が示すような「危険いっぱい」の世界を渡っていくことはこんなんではないでしょうか。ちなみに、日曜礼拝は午前10時から(私も2,30分のお話をします)。小学生は午前9時からです。学校教育に欠けている大事な教えと心を養う時間で。                       (続 く)



Posted by 矢沢牧師 at 09:33