2008年10月01日

日本宣教の困難の背景と理由は?

       「伝道難の連続」の背景には何が?
         -大きな魅力が欠けていたー ① 
                           矢澤 俊彦                                 
A この教会の歩みを100年余り見てきて、まず印象深いのは、歴代牧師や宣教師の實に真摯にして粘り強い宣教への努力です。これはもう各章で詳述した通りですが、それにもかかわらず、その歩みは難渋を極めたものでした。外での集会をすると、好奇心も手伝ってか、結構多くの人々が集まるのに、肝心の日曜日には一握りの人しか姿を現わさない、ということが、もう明治大正年間を通じての特徴です。・・・・・・(中略)・・・・・
B そういう意味では「とにかく伝道難でした。それはその後も・・・・いや現代もなお一層そうでしょう。興味関心をある程度持つ人はかなりいても、重い過去を捨て寺を去って入信し、生涯をそれで貫く人が余りに少ないことです。どうしてかくも困難なのか、宣教史を回顧すると、いよいよ考え込んでしまいますね。
A まず最初に言えることは、とにかく300年近くの間、迫害され、厳しく取り締まられ、蛇蝎のように嫌われ遠ざけられてきた「邪教」という強烈なイメージ払拭に、ほとんど100年くらいはかかってしまったことでしょう。
B さあ、そのほかにこの大変な伝道難の背後にはどんなことがあるのか、思いつくだけ挙げてくださいませんか?
A いやあ、それ自体難題ですが・・・・今思いつくことをお話して、読者の声を引き出すきっかけになれば、ということでおゆるしください(続く)。



Posted by 矢沢牧師 at 23:50