2009年04月10日

イースター 御案内とメッセージ

  今年の復活祭礼拝は4月12日(日)10時からです

     花の命は永遠の生命を覗く窓
       ―イースターの大きな喜びー
                              矢沢 俊彦
★ 今年の復活祭は4月12日の日曜日で、キリスト教の浸透した国
では1週間前後も祝日となる大きなお祭りです。これはイエス・キリストが墓からよみがえって死に打ち勝ち、私達にも死後の豊かな生命を保証してくれるという、本当にこれ以上の喜びは地上にはない、と言えるような・・・この世に生きる感謝も感激もここに窮まる、という大祭なのです。
★ おりしも梅が咲き、桜も咲き始め、山も野原も色とりどりの花々で春爛漫。私達を優しく包んでくれます。素晴らしき時節の到来です。
しかしその色香に酔い、うっとりしているだけなら、四季の移ろい、この世の移ろいに流されていくだけになります。いわゆる酔生夢死の人生になりましょう。花の美しさもひとときだけ。そのように人の命もはかなさを免れることはできません。
★ しかし復活祭が見据えるのは、花の美しさの奥にある永遠の美、その命の
躍動の奥の永遠の命です。満開の桜をめでながら、過ぎ去り行くことのない永遠の春を感得するのです。
  「幼児画は子供の心を覗(のぞ)く窓」という言葉があります。意味は明瞭でしょう。そのように、この世の生命や美の一切は、それを通してその贈り主である神(造物主)を想い、やがて与えられる永遠の生命に想いをはせる「窓」なのです。過ぎ去り行くものすべては、決して滅びない大いなる命のシンボルなのです。これを見てあげなくては、すべてに申し訳がたたないのではありませんか?
★ キリストは言われました。「きょう生えていて明日は炉に投げ入れ
られる野の草でさえ、神はかくも美しく装ってくださる。まして汝ら人間をや。だから明日のことを思い煩うな」、と。。
★ 親の子への愛情は深いものです。この世界も人間も偶然に存在す
るのでなく、産みの親・養い親がいる。そうならはかないと見える人の命も、決してこの世で終わるものでない。我が子を滅ぼす親はいません。必ずや、完全なもの、永遠なるものとして仕上げてくださるに違いありません。
イースターはそんなことを思い巡らす日々なのですね。
(鶴岡市本町3丁目5-37 日本キリスト教団ッ荘内教会牧師)
     花の命は永遠の生命を覗く窓
       ―イースターの大きな喜びー
                              矢沢 俊彦
★ 今年の復活祭は4月12日の日曜日で、キリスト教の浸透した国
では1週間前後も祝日となる大きなお祭りです。これはイエス・キリストが墓からよみがえって死に打ち勝ち、私達にも死後の豊かな生命を保証してくれるという、本当にこれ以上の喜びは地上にはない、と言えるような・・・この世に生きる感謝も感激もここに窮まる、という大祭なのです。
★ おりしも梅が咲き、桜も咲き始め、山も野原も色とりどりの花々で春爛漫。私達を優しく包んでくれます。素晴らしき時節の到来です。
しかしその色香に酔い、うっとりしているだけなら、四季の移ろい、この世の移ろいに流されていくだけになります。いわゆる酔生夢死の人生になりましょう。花の美しさもひとときだけ。そのように人の命もはかなさを免れることはできません。
★ しかし復活祭が見据えるのは、花の美しさの奥にある永遠の美、その命の
躍動の奥の永遠の命です。満開の桜をめでながら、過ぎ去り行くことのない永遠の春を感得するのです。
  「幼児画は子供の心を覗(のぞ)く窓」という言葉があります。意味は明瞭でしょう。そのように、この世の生命や美の一切は、それを通してその贈り主である神(造物主)を想い、やがて与えられる永遠の生命に想いをはせる「窓」なのです。過ぎ去り行くものすべては、決して滅びない大いなる命のシンボルなのです。これを見てあげなくては、すべてに申し訳がたたないのではありませんか?
★ キリストは言われました。「きょう生えていて明日は炉に投げ入れ
られる野の草でさえ、神はかくも美しく装ってくださる。まして汝ら人間をや。だから明日のことを思い煩うな」、と。。
★ 親の子への愛情は深いものです。この世界も人間も偶然に存在す
るのでなく、産みの親・養い親がいる。そうならはかないと見える人の命も、決してこの世で終わるものでない。我が子を滅ぼす親はいません。必ずや、完全なもの、永遠なるものとして仕上げてくださるに違いありません。
イースターはそんなことを思い巡らす日々なのですね。
(鶴岡市本町3丁目5-37 日本キリスト教団ッ荘内教会牧師)
     



Posted by 矢沢牧師 at 17:58