2009年07月21日

天国を激しく襲え -お盆にー

          天国を激しく襲え   =この時節に思う=
         「拉致状態」に似た人類からの脱出を
                                     矢澤 俊彦
友を送る深きさびしさ
★ 「嵐吹く騒がしき世に 日々友は滅び行く」という讃美歌の一節があります。
「滅び行く」とは決して言いたくありませんが、さまざまな仕方で、多くの友がこの世を去っていく、これはもう大変なものです。ほんの1週間を過ごすだけで、私達はどんなに多くの別れを告げねばならないことでしょう。そのほとんどが実に悲しい。特に年若き者や思いがけない事故や病気で逝く人々には、送る言葉すら浮かばない。そのたびに自分の命も削られていく思いです。まるでこの世に大きな洪水が起こっていて、私達はよほど注意しないと、その巨大な流れに流され、どこかに連れ去られていってしまう、そんな恐ろしさを感じます。

                 保育園脇の古き墓地
★ 先日温海地区に散在する保育園を訪ねたとき、園児たちが日々出入りする道
のすぐ脇に、あるいは遊び場の隣に、大きな墓地が広がっている光景に、何箇所も出くわし、「はっ」とし、深い感慨に引き入れられました。そうか、そうなんだ、両者の距離のつかの間であることを悟らされたのです。西欧の修道僧の日頃の挨拶として有名なものに、「メメント・モリ」というのがあります。これは、「汝は死ぬべき存在であることを覚えよ」という意味です。私は温海でそのことを実感させられました。

                酔生夢死に導く魔法使いが?
★ 「酔生夢死」の人生に陥りがちな私どもです。先に逝った無数の人々が、メメン
ト・モリを一大合唱している、あの人もこの人も、最後に遺してくれたメッセージの一つはこのことだったというのに。「今日の日が汝の終わりの日と思え」という賢人モンテーニュの言葉もあります。昔から、哲学というものは、「死の演習」である、と言われてきました。
でも凡人である私達の多くは、この世で眠りこけやすい。私どものまわりには実に巧みな魔法使いがいて、私どもをいろんなものに夢中にさせ、酔わせてしまう。素晴らしい季節の移り変わりも、結構あぶない。無論、仕事や恋愛、また子育てなども、時を忘れさせる最たるものでしょう。そして私どもの頭を普段占領しているものは、お金や健康、また食べ物や旅行のことなど・・・・・そしてある日突然気づけば、光陰は矢のように過ぎ去ってしまっているのです。

               現代医学発達の皮肉
★ 最近なくなった有名な精神医学者の土居健郎氏は、現代医学の発達が、人生
の短さを気づきにくくさせている、と洞察しています。いわく正岡子規など、明治の文豪達が早熟だったのは、当時の医療事情も悪く、誰も明日のいのちも保障されない境涯を生きていたからだ、と。
★ どうして私達はこんな状態に低迷しているのでしょうか?それは問題が簡単
でなく、容易には解けないように思われることに加え、私達の存在自体が大きな「不安」にとりまかれているからです。先のことを考えるのが怖いのです。

               眠ってる間に知らない島に
 いわゆる「拉致問題」は未解決の大問題ですが、パスカルという哲学者は、人類というものは、いわば「拉致状態」じゃないか、と一大覚醒を促しています。即ち、私達はみんな眠っている間に、全く知らない島に連れてこられたような存在ではないか。しかもいったいどこから来たのかも分からなくなり、これから先のことも知らないのだから。そうだとすれば、これは何という重大事態でしょうか。それは特定の人だけのことではない。我々みんなに降りかかってきている大きな事件なのです。それなのに、騒いでいる人は、ほとんどいないかのようなのが、実に不思議です!
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                目覚めよ、と呼ぶ声あり」
★ さて、これからが「解決編」です。優れた宗教には、それぞれこの点で十分教
えるところがあると思いますが、キリスト教である私が教えられているところを記してみます。大作曲家バッハのオラトリオに、「目覚めよ、と呼ぶ声あり」という名品があります。何に目覚めるかというと、天地創造の「父なる神の愛」にです。私はいつも思います。この世界を支えている基本は、やはり父母の愛でしょう。親は子供のために命を使い尽くすのです。世界を支配しているのは、この愛の原理なのです。これを疑うなら、もうこの世界は立ちゆかないでしょう。そういう不思議に強い親の思いを授けてくれたのが、「天の父」だという、それに気づかせようとして、バッハは多くの作品を作ったといえるでしょう。

                天地に満ちる天父の愛
★ 天地の創造主は、人間の親がはるかに及ばない大きな愛で私達を包んでい
てくれている。失われた1匹の羊のために、天が総力をあげて探し出すという有名なたとえがあります。だからもう大いなる安心のうちに生きていいのです。ですから人間は死んだら、毛虫が蝶のように、やごがトンボのようになる、といってもいいのです。天空を自由に飛び交うトンボは、水の中の苦しかったときのことっを、どう感じていることでしょう。
★ 確かにこの世はつらく苦しいものです。まさに漱石も聖書を借りて言った「ストレ
イ・シープ(迷える羊)です。ちょっと先も見えず、体中傷だらけ、息も絶え絶え。でもそういう私達を抱きあげ介抱し、いやし、生命を吹き込んでくれる方がいる。その人こそ、天父の愛のメッセンジャーであるメシア(キリスト)なのです。

              「死人の中から立ち上がれ」
★ このことに気づくには世の流れにのまれていてはいけません。はっとして
敢然として起き上がり、立ち上がらねばなりません。「死人の中より立ち上がれ」と聖書にあります。
また「天国を激しく襲え」ともあります。私はかつての米国のゴールド・ラッシュの大騒ぎを思い起こしました。でも天国には宝は無尽蔵です。人を押しのけて進む必要はありません。でも急ぐ必要があるのは、初めに述べた人生の事情があるからです。
そうすれば、やがて「1日は千年のようである」との祝福された境涯が開けてくるでありましょう(鶴岡市)本町3丁目5-37 日本キリスト教団荘内教会牧師・同保育園長)。





Posted by 矢沢牧師 at 17:44