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Posted by んだ!ブログ運営事務局 at

2010年12月28日

北インドで人間回復

北インドで人間的感覚がよみがえった!
   ―概念の奴隷からの解放と新生がー
荘内教会ではここ数年、教団のインド派遣宣教師、三浦照男さんを物心両面で応援してきました。無論私共もゆとりあってのことではありませんが、この活動によって多くのものを与えられてきました。その中から二つのことを述べてみます。

★ 窓が外に開く 第一はインドとの関わりを通して、内向きになりがちな私たちの
目がいつも外に向けられるようになったことです。それはインドだけでなく、途上国といわれる国々のことが自然に気になりだしたのです。その国々の人々の生活だけでなく、キリスト教宣教についても感心が強められています。みなさんの中には、日本宣教がこんなに低迷してるのに、ほかに注ぐエネルギーはない、と思う方がいるかもしれませんが、そんなことはありません。インド宣教の現実も歴史も面白く、他宗教との接触からも多くを学ぶことができます。
★ 概念こわし  現地にでかけていって貧しい人々に触れることは、私たちに大きな衝撃となりました。それを「概念こわし」と、私は呼びたい、と思います。これは絵画や心理学で用いられる用語で、型にはまったような絵(概念画)しか描けないようになっている時、いろんな工夫をしてその先入観念を打ち壊すことです。 

★ 奴隷解放 今私達の生活も、言わば色々な「型」や既成概念にはめ込まれています。 仕事や生活スタイルや人間関係もマンネリ化し、新鮮な感動を失いがちです。生命のない無数の概念が、私達を取り巻き、私達をがんじがらめにしています。
でも、インドの貧民とのふれあいは・・・・・その死んだ概念の奴隷のような私たちを解放し、目も耳も生き返らせ、世界を初めて感動をもって眺めるように、私たちを生き返らせてくれるのです。
★ 目の色も変わる 飢えに苦しむ人達が、人間の生活や世界について、一
番根源的なことを教えてくれる。自分はこれまで何をしてきたのだろう、と激しく揺さぶられ、すべてが反省させられ、初めてモノを考え悩み、目の色も変わって猛烈に学び始める・・・こういうすばらしいドラマが待っていたのです!・・・・・・・・・・・・・・
★ 以上のような思いと期待をもって、私たちは4回目のツアーを来年1月に行ないます。私は網膜色素変成症という目の難病で、数メートル先の人物の判別も困難なのですが、ぜひもう一度インドの土を踏み、あの空気を吸いたい、と願っています。
★ 描画の初体験 参加者の多くは教会に隣接している保育士さん達で、今回で延べ8人が参加、子らの初めてのお絵かき体験のお手伝いもしています(矢沢)。。
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Posted by 矢沢牧師 at 13:19

2010年12月28日

ペスタロッチのことばから

内面に沈潜、深みからの統合へ
   -真理の形骸で闘争してはならない!-
                     協議会長 矢沢 俊彦
  純粋に我々の奥底からくみ取った真理は、その形骸7のために争う幾千もの闘争者の間を統一するであろう。
                     ペスタロッチ『隠者の夕暮』より
この11月に私共の保育園舎の増築工事が終わりました。今ではすべてが美しく整い、新鮮な木の香りに包まれた子らの家はどこを見ても輝きにみちています。
 でもここに至る数ヶ月間の工事現場はそうではありませんでした。もう沢山の資材や道具機械が置かれ、多数の人々が出入りし、あたり一面は(業者は絶えず整理整頓をするのですが)、やはりすべてが雑然とし、カオスに近い騒然とした混沌の世界でした。しかし今やそれは一変した実に麗しき秩序のうちに息づいているのです。これまでの大小すべての動きや働き、作業や労働が一つも無駄にされることなく、この完成作品に生かされていることを思うとさらに感動的です。

 そこで自然に思いが及ぶのが、我々の世界の混沌、我が教界の混乱、そして自分の内部のカオスです。これらもやがて見事に秩序づけられるのでしょうか?この現場にも隠れた「棟梁」が監督しておられるのでしょうか?
 ペスタロッチによると、その大いなる方に出会うには、自分の心の奥底におりていくことが必要だという。空騒ぎをやめ、内面に出来るだけ深く降ること、そこでの出会い、そこでの発見洞察が、自分の痛ましい有様を明るみに出してくれる、私はこのように理解しました。

「何ということだ、真理のために戦っていたオレのつかんでいたのは、わづかにその「形骸」に過ぎなかったのか。数千もの「形骸同士」が激しく闘争しているというのか・・これはこわい、油断は出来んぞ。もっともっと深く下りていかねば・・。でも無数の分裂が少しづつ統一されていくこの心地よさ甘美さはどうであろう・・・・」。        
  


Posted by 矢沢牧師 at 13:12

2010年12月28日

羊飼いと博士 クリスマスに

                 羊飼いと博士たち
              ―世界最初のクリスマスを祝った人々―ー
                                   矢澤 俊彦
                「キング・オブ・キングズ」
★ ヘンデルの「メサイア」でも「キング・オブ・キングズ」(諸王の王)と讃えられてい
るキリスト、クリスマスはこの大いなる王様の誕生日です。今でこそ盛んに祝われるようになりましたが、世界最初のクリスマスは、実はとても静かで、きらびやかな豪華さとは無縁でした。
★ 普通国や民族の王様が生まれるとなると大変です。ずっと前から国民に知らさ
れ、みんな準備をし、大騒ぎをしてその日を迎えます。人々は大喜びするでしょうが、それはそう長く永続するものではありません。そのようにして世界はこれまで無数の王を迎え、送ってきました。そしてそのほとんどは、もう思い出されることもめったにないのです。
                 その影響力の秘密は?
★ でもキリストの場合は不思議です。あれから2000年もたっているのに、今でもそ
の誕生が盛んに祝われるだけでなく、この王の家来として一生を捧げる人々がどんどん出てくる。これは実に不思議違なことではありませんか。でもそれでこそ「諸王の王」と讃えられるゆえんではないでしょうか。
★ この不思議、この永続する大きな影響力の理由はどこにあるのだろうか、と考え
てみたのですが・・・・どうやらそれはほかの王様と違って、キリストが「私たちの心の中に生まれること」、そして私たちの心をやさしい光で包んで、神様のところまで引き上げてくれるからではないでしょうか。
暗闇の中でのたうつような私ども、阿鼻叫喚の巷で叫び続ける私どものところまで降りてきて、どん底であえぐ人々の心深く誕生されるからです。この消息は今も昔と変わっていません。それでは改めて、聖書の記す世界最初のクリスマスを紹介してみましょう。
               初めてメシアに出会ったのは?
★ 救い主なる王誕生について、それが「いつ、どこに、どんな風に」お生まれになる
か、は誰にも知らされていませんでした(多分、今でもそうなのでしょう)。世界に布告されていたのは、皇帝アウグストによる人口調査に関するものでした。権力者による非人間的な暴虐の中で、すべての抑圧や圧迫に勝利する力を下さる王が生まれたのです。
★ さて、その誕生の知らせを受けたほは、羊飼いと博士だけでした。一方は、ベツ
レヘム郊外の名もなき人々で、彼らには天使がやってきて、、そして「遠い東の国の博士たちには大きな星の現われによって伝達された、と記されています。それではこの世界最初にクリスマスをお祝いできたこの人たちがどんな人だったか、考えてみました。
                 羊飼いーこの最底辺の人々
★ まず羊飼いです。当時の彼らの仕事は、今でいう「3K」以上に厳しく、嫌われていました。それだけでなく、彼らは町の人々からはのけ者にされ、神殿への出入りも禁じられ、いわば社会的に徹底して「疎外」され、無視され、押しつぶされている身分なき人たちでした。それにもめげず、彼らは黙々と羊の世話をし、よく野宿しました。
野原は彼らにとって、しっかりモノを考え、人生を省察するのにもってこいの環境だったでしょう。町の喧騒から遠ざかり、暗い静かな長い夜を、瞑想と沈黙と対話のうちに過ごす。彼らには学問も教養めいたものはなかったでしょうが、そうして養われた人生の知恵を豊かに持っていた。そしてそれ以上に、「誰かに来てほしい。俺たちをここから引き上げてくれ」という願いや憧れを深くしていたに違いありません。多くの危険、どうにもならない貧しさ、社会的圧迫と無力感の中で、夜な夜な天を見つめ、心の中で叫び続けてきた・・・・。
★ そんな羊飼いに、天使からの訪れがあった・・・・待っていた救い主が王宮でな
く、宿屋にも入れられず、なんと「うまごや」(家畜小屋)の飼い葉おけに寝かされている、という。それを聞いた彼らは、しばらく考えて合点がいったことでしょう。「その王様こそ俺たちの拝める王様だ」と。「急ぎ行きて拝まずや」、うまやに急ぐ彼らの足取りはどんなに軽く、また喜びに満ちたものだったことでしょう。

               博士―すべてに恵まれていたが
★ さて、次は「遠い東の国の博士たち」です。キリストへの贈り物が3つ記されていることから3人だとよくいわれます。彼らが長い苦しい旅をしてベツレヘムまでやってきた、というのです。
  この博士たちは羊飼いと違って、その社会でトップにランクされる指導者でした。3人の王だった、という説もあります。その彼らがなぜ、あの困難と危険に満ちた長旅を敢行したのか。これが興味深いところです。
★ 大方の説によると、彼らは星占い師(占星術師)で、その優れた知識技術によっ
て国政に助言し、人々の相談にものっていたといわれます。国民から尊敬もされ、立派な家に住み召使も多く、何不自由ない生活をしていたに違いありません。
 しかし星占いという仕事は人生について深く考えさせます。それはちょうど羊飼いたちが毎晩由空を眺めながら、物思いにふけっていたのと似ているようです。それに博士らの魂は自分に誠実で、正直者、ごまかすこたは大嫌いでした。
                  内心の不安と無力感   
★ 彼らが自分たちの心の底に見出したものは・・・自分たちは今恵まれた暮らしをしている。仕事や地位や財産や家来もいるしみんなの尊敬も受けている。でも心の底に満ち足りるものがない。このむなしさ、そこはかとない不安、さびしさはどうすることもできない。いったいわしらはどこへ流されていくんだろう?さっぱりわかりはしない。
それにわしらのしてることは、なんとわずかなことか。この社会にうずまく悩みや悲しみ、この混乱や人々の飢え渇きはどうであろう。わしらは結局、大事なことは何も知らず、何をする力も持ち合わせてはいないのだ!
 そんな思いがもうどうしようもなく強くなってきたころ、・・・・西の空に不思議に輝く大きな星が現われたのでしょう。彼らは俄然色めきたちました。その意味について触れた旧い予言書を見つけるに及んで、これはなんとしても遠い西の国まで旅をせねば、あの星が導いてくれるに相違ない。
                無謀で危険きわまる旅路
その旅立ちの決意に、家族はじめまわりの人々はどんなにびっくり仰天したことでしょう。なんという無謀なことを!気でもおかしくなったんじゃないか、あの荒野と砂漠の続く遠路です。天候は不順、道中に追いはぎだけでなく、おおかみなど危険な生き物も出没します。それらにも備える旅支度などできるはずはありません。きっと老博士もいたでしょうし、旅慣れた隊商たちでもないのです。早晩、いくらも行かないうちに倒れ、砂漠に朽ち果てるに違いないのです。
★ しかし・・・それらすべてを知った上で彼らは旅立った。それはなんとしても、この人生のナゾの答えを見出したい、という強烈な思いに燃え立っていたからです。
 旅は予想通り、あるいは予想を超えて困難で、かつ難渋を極めるものでした。その中で、それまでの栄光に富んだ博士としての人生は、すっかり過去のものとなりました。彼らはほとんど何も持たない一介の旅人に過ぎなかった。ただ心中深く「この世界の救い主」に会いたい、という一念だけにつき動かされて、一歩一歩ひたすら進んでいったのです。そして彼らの旅は目的地に着くまで、奇跡的に守られたのです。
                共通点―「なんとしても」の思い
★ さて、世界で最初のクリスマスに出会った人々。それは羊飼いと博士たち、一方
は社会の最下層に、他方は最上位にいる人たちです。これでもって聖書は、キリスト誕生が、「すべての民に与えられる大きな喜び」であることを示そうとしているのでしょう。
 ただ両者にはかなり共通点があります。それは、心の中の底にあるものをじっくり見据え、なんとしても救い主(メサイア)に会いたい、との願いを強めていたこと。そしてそのために「長い苦しい旅」をしたことです。えっ、でも羊飼いはすぐ近くにいたんじゃない?そうですね。でも、彼らの日々の苦しい生活は、そのまま博士たちの砂漠の旅に匹敵するのではないでしょうか?今この時代でも、そういう旅路にいる人々は、クリスマスの喜びまで導かれつつあるのですよ(鶴岡市本町3丁目5-37日本キリスト教団荘内協会牧師)。
  


Posted by 矢沢牧師 at 13:04

2010年12月28日

エッセイ 死線を歩む日本の教会

死線をさまよう日本の教会
              ―黄泉のドロ沼から脱出の方向は?―
                            荘内教会牧師 矢沢 俊彦

★ 鑑真  先日あの唐招提寺の鑑真和尚が里帰りした、というニュースを見ておも
いました。あの鑑真のエネルギーが欲しいものであると。数度にわたる渡航失敗にもめげず、何としても大和やまと)の国に伝道せねば、と命をかけた唐の僧侶。。ついに盲目となりながらも不退転の闘志でその志を遂げた・・・・あのエネルギーはどこから、と考えました。それを与えられて、今度は私たちが中国伝道で「恩返し」ができれば、と思いつつ、さまざまなことが私の脳裏に浮かびました。

★ 一大発見  それは素朴にいえば、自分自身について一大発見をしたからでは
ないでしょうか?これは今誰も気づいていない。これを伝えねば・・・、という強烈な使命感でしょう。
それは近代では、たとえばオスカー・ワイルドの「王女様の誕生日」で踊り狂いながら、自らの醜悪な姿にまるで無知だった森の生き物のあまりにも悲しい自己発見に似ているかもしれません。幸い鑑真の心臓は止まらず、どん底から這い上がることが出来たのです。

★ どろ沼  平成の日本人の課題は、そういう心の奥底に深く降ることです。その
底でくみ取った真理のみが、現代の相対主義のドロ沼で苦悶する無数の人々の光となるのではないか、と予感されます。その意味で、この日本にチャンスありです。今の宣教の行き詰まりは、神様の格別深いみ心が隠されているように思えてなりません。

★ 黄泉での叫び  今の我が同胞はまるで「黄泉(よみ)の国の住人のよう。まる
はだかで日々かげろうのように、やっと生きてるだけ。讃美の声をあげるどころか、ほとんど声すら出ていません。まさに旧約の「哀歌」の世界です。空騒ぎと空虚と擬装と死が支配しています。この底に下りて叫ぶ人がやってくるのを、うずくまり悶えながら必死で求めています。それさえもはや、かき消されそうなのです。

★ 宙吊りの教会  同じく黄泉に深く沈む教会は、その中でも「最もあわれむべき」
ものです。「この世のものを持たず、天国のもにいまだ接せず」(鑑三)、言わば何ひとつ持たないで宇宙空間に宙吊りされたまま。「世は彼を卑しむれど、彼は世に勝つの
                     3
能力(ちから)を有せず」。さてここから偉大なる救済のドラマが始まるでしょうか?
★ 死線を往来  ここまで追い込まれているのが、我が日本の伝道戦線だと、私
は見てい 24ます。それは「死線を行き来する」世界、死屍累々ともいうべき世界です。地のはてなる世界と言っても言い過ぎではない。多くの牧師や家族たちが「獄にいます」。でも誰も見舞う人はいないし。友人たるべき人々も、同じところで呻いているからです。

★ 青年を騙すなかれ  こんなところに、やたら人を近づけてはいけない、青年を
誘惑してはいけないのです(それはた易いことです)。神学校入学を軽々に勧めてはいけない、と私は思う、それが親切というものです。
入れば(導かれて)「何とかなる」なんてものじゃありません。そうでなく、やがて彼らはだまされたことを知って向き直り、「オレの人生を返してくれ」と抗議の叫びをあげることでしょう。青年に来てもらうには、その前に教団や学校としてもやるべきことが沢山あるはず。たとえば争いをやめること、うわべでない喜びのある教会にすること、経済的助け合いのシステム・・・。

★ 信者の身勝手  ついでに言いましょう。伝道らしいこともしていない長老や信徒たちが、ウチの教会にだけはいい牧師が欲しい、などと望むのは身勝手も甚だしい
のではないでしょうか?こう言ったところでゆめ誤解しないで下さい。私自身神学校のお世話になり、その発展と日本伝道の進捗を衷心から願っているものであることを。  

★ 影と本体 自己反省 持っていると思いこむ擬装や錯覚に注意したい。真理
の断片や形骸を手にして争うことは避けたい。きれいなことばや概念でがんじがらめになっていなかったか?「みことば」の中に隠れ、その背後にたてこもる、自由のつもりで惨めな奴隷ではなかったか?「出来事」(解放)を起こさない「ことば」のむなしさ。
やはり昔人の指摘通り、自分は洞窟にほのかに映る本体の影ばかり見てきたのではなかったか?

★ 小さき者に  しかし、たとえそうであっても、いや、それらに気づいてこそ、クリス
マスを祝うことができます。天地万物を創造統御していたもう想像を絶する「巨大なる神様」が、なんと小さきものになられたことでしょう。こんなにも小さき者を生かすためにです!  メリー・クリスマス!
 「ちょう(蝶)一匹が飛ぶだけにも、実に全宇宙が必要なのです(クローデル)
                       4

  


Posted by 矢沢牧師 at 12:54

2010年12月28日

トルストイとメサイア

            トルストイとメサイア
                   -人の心には巨大隕石跡がー
           2010年クリスマス・メッセージ          矢沢 俊彦
「私ははだかで母の胎を出た。またはだかでかしこに帰ろう。
主(神)が与え、主が取られたのだ。主のみ名はほむべきかな」
              所有を巡る人類の迷妄
 これは旧約聖書にある有名な言葉で、ヨブという人物が、突然、子どもや持ち物はむろん、自分の健康すらも奪われたとき、思わすあげた叫び声です。 これは深い言葉で、人生の極意、あるいは「悟り」の境地」が示されている、と言えそうです。
 しかし、普通私達はモノにとらわれ振り回され、「もっと持ちたい」と思い、「これだけあれば」と安心したりします。物の所有ということを巡る人類の迷妄は深いのです。
 その代表的なものは多分「土地」というもの。「領土」といってもいい。これをめぐって、私たちも国家も人類も、古来どれだけの争いや戦争を繰り返してきたことでしょう。今でもそんな愚かさから脱却できていない、それは日々新聞なども伝える通りです。
         トルストイの「人はどれだけの土地がいるか」
 19世紀のロシアの文豪、レオ・トルストイの有名な民話に、「人はどれだけの土地がいるか」というのがありますね。 主人公である農夫は、日頃から「もっと広い土地があればなあ」、と思っていた。ある日旅の人がきて、ずっと北のほうに、とっても広い土地を、びっくりするほどの安値で分けてくれる村があるという。そこですぐさま勇んで出かけてみると、はたして大歓迎され、土地の話を切り出すと、「1日千ルーブルでは・・」という。意味が分からず尋ねると、こういう答えがかえってきた。
 「明日朝、お前は日の出とともに歩き出す。そして欲しいだけの土地を囲いこんだところすべてがお前のものになる。千ルーブルでいい。ただし、あの地平線に日が沈むまでに出発点に帰ってこなかったら、すべてはオジャンになっちゃうから、十分気をつけてな」。
 聴いたこともない不思議で心躍る話に寝つけない農夫。でも翌朝誰より早く起き、日の出とともに歩き出す。夢心地だ。つい足速になる。と、いい牧場や湖や森がある。欲張っては危ない、と思いながら、ついそっちへ向かってしまう。段々時間がなくなる。それに午後の太陽の足も速い。夕暮れが近づき、もう狂わんばかりになって必死に走る。村人の声援が聞こえた。死に物狂いでゴールイン、「やったぞ、大変な土地を手にいれたぞ」との歓声。でも・・・助け起こそうとすると・・・もう息は耐えていた。・・やがて墓堀人が来て・・結局彼が使うことができたのは、小さな墓地だけだった。
何とも強烈な皮肉で、もの悲しい物語。でもこの主人公の愚かさを私たちは笑い飛ば
                     12
せるでしょうか?物にとらわれ、もっともっと、と満足を知らない私たち。欲望を際限もなく追求しがちな我々。もしかしたら死ぬまで走り続けているのかもしれません。
                   文豪の気づきと苦悶
 ここで私の胸に去来するのは、トルストイはいったいどんなつもりでこの民話を書いたのか、ということです。もしかしたら、いや、多分まちがいなく、これは「自分自身に向かって、慙愧の思いで激しく投げつけた」ものではなかったか。
 それ以前に彼は「戦争と平和」や「アンナ・カレー二ナ」などの大作で、もう世界の大文豪として、その名声をほしいままにしていました。しかし、そのさ中で、トルストイは「何か重大なことに気づいたのです。そしてかなりの間、苦悶のうちに陰鬱な日々を送った。自殺衝動も起こるので、刃物を目に触れないようにしておいた、といわれています。         自分は「はだかの王様」であった
 それからです。彼の作風がすっかり変わってしまったのは。その後期トルストイの精神を端的に物語っているのが、先ほど紹介した民話(集)なのです。
 彼は結局何に気づいたのでしょう?・・・・それは自分の「内なる空虚(むなしさ)」であった。世界中の賞賛や名声に囲まれながら有頂天だった自分。でも気づいてみれば、それらは実にむなしい。過ぎ行く風のようなもの。空騒ぎにうつつをぬかしていた愚かな年月。そこで生み出した作品とて、自分の「はだか」をどうすることもできない。それらは世間を欺く「偽装」の手立てに過ぎない。人間は結局、財産であれ、名誉であれ、そういう「物質的精神的持ちもの」を、いくら積み上げたところで、それで生きることはできない。迫り来る死や病にうち勝てない。それで「内なるむなしさ」を満足させることはできない、と悟ったのではないか。
                 全作品をゴミの山に廃棄す
 それゆえでしょう。トルストイはそれまでの多くの作品を、「虚偽の芸術」としてゴミの山に捨て去ってしまった。そして書いたのが、「人はどれだけの土地がいるか」、というような分かりやすい警世的なものです。自分の愚かだった過去を、大いなる懺悔とともに、断固決別した。ここまで来るのに、彼の経験した内面的な闘いは、どんなにすさまじいものだったことでしょう。
                心の中に大きな穴が
 そこで私たちは考えるのです。それではいったいどうして、ものを持つことで、人間の心は満足できないのでしょう?いや、持つことがさらなる欲望をかきたて、迷妄はさらに深くなっていく・・・いったいどうして?どうしたらいいの?・・・というわけです。
さてその答えは?そしてこれこそトルストイが悩みの中で、ついに達した貴重な洞察なのですが、・・。みなさんはテレヴィなどで、「巨大隕石(いんせき)の跡」を見た
                 13
ことがあるでしょう。何千年も前に落下したその直径何百メートルという大きな穴です。さて、私たちの心の中には、実は、あの隕石落下跡のような大きな穴がぽっかりとあいてしまっている。それはあまりに大きくて深いので、世界中からもう何を持ってきてもそれを埋めつくすことはできない!大金持ちになろうが、天下を取ろうが、それでどうにかなるものではない。それほど「巨大なる空虚」というものを抱え込んでしまっているからです。         創造者の抜けた空虚
さて、その次です。それではいったいどうしてそんなみじめなことになってしまったのか、これこそ究極の問題ですが、それは人類が、かつて共にいた創造者である神を、自分の中から追い出してしまったからです。その神様の抜けたあとの穴があまりに大きく深いので、どんな人間でも、どうにもならないさびしさやむなしさ、暗く、うつろで、どうしようもない孤独にさいなまれるようになった。そのために、どんな代用品を持ってきても、それで得る満足感は、一時的、部分的、断片的なものでしかない。財産・名誉・友人・恋人・趣味道楽や飲み食い・・その他、いかなるものをもってしても、この空虚を満たすことはできない・・・・。これこそトルストイの偉大な気づきであったのです。しかしこういう悲痛な経験を、私たち自身も、どれだけ繰り返してきたことでしょう。
               メサイアが神を連れてきてくれる
 しからばこの悲惨から掬われる道はあるのでしょうか?賢明な読者はお分かりでしょう。かの文豪によれば、自分のうちから追い出した創造主に、なんとかしてもう一度来てもらい、人類一人ひとりの心を満たしていただくほかはない、という。
しかしいったいどうしたら・・・・どうしたらそんな難しいことができるでしょうか?途方に暮れる私たちに、その道を示してくれるお方がやってきた・・・そしてその人こそ「メサイア」と呼ばれる「救世主」なのだというのです。
この人は「メシア」とも「キリスト」とも呼ばれ、人類に広く受け入れられてきました。大作曲家ヘンデルの「メサイア」も、世界中で演奏されています。鶴岡でも、来たる12月12日午後、江戸川との友好交流でこの曲が演奏されますが、このことの淵源をたどっていけば、以上長々と述べてきた人類の悲痛な体験と、そこから脱出の喜びという、大いなる背景が隠されているわけです。

そして、このメサイアを心に迎えるのが「クリスマス」であるわけです。この救い主を新たに迎えたトルストイの作風は、すっかり変わりました。生活面では私有の財産を放棄しようとして家族と衝突するなど、晩年は不遇な面がありましたが、彼の心は、きっといつも青空のように、さわやかに晴れ渡っていたことでしょう。「はだかで神のもとに帰った」人類のすぐれた教師の一人であります。
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Posted by 矢沢牧師 at 12:48

2010年04月04日

復活祭讃歌

人生に一大「どんでん返し」が起こる
死人がよみがえる復活祭の喜び
                   矢沢 俊彦
     我らの嘆きと疑問の数々
○ 「春が来るのはありがたいが、どうも時間ばか りが過ぎていくようで
どこか面白くない。自分の内面がついていかないような時のめぐりです」。
○ 「求めてきた幸せとは何だったんだろう?これでもうすぐ人生が終わる
なんてなんともわびしい。どこかおかしいような思いがします。わたしたち何も悪いことはせず、ひたすら懸命に生きてきたんですが・・・・」。
○ なんだか世の中めちゃくちゃで神も仏もいない感じがよくします。
正直者が報いられないし、災害は絶えないし、社会は矛盾だらけ。あの戦争犠牲者たちも浮かばれてはいないし・・・このまますべて済んでしまってはならない、と強く思います。この人生をあきらめきれないんです。何かがないと、心がおさまらない」。
○ 時々自分はここで生きていてはいけない人間のような気がします。
結局誰からも本当には愛されてはいないし、誰からも必要とされてはいないのでは・・・・」。
○「年をとっていよいよ我が人生が迷路に入ったように思う。この先い
ったいどこへ行くのか・・・・いくら考えても分からない・・・・・・でもとても不安である。長旅のあと、帰るに家なし、というさびしさです」。
○「ダメな人間なんていない、とか色々励ましてくれる人はいるけど
私の心には届きません。あの人たちはいいな、なんてうらやましく思ってばかりいます」。         
途方もないどんでん返しが・・
★ さて、こんなあなたの悩みはまったく正当なものです。またこう
ういう限りもない私どもの嘆き、これらはもう全世界をおおうばかりです。これらは真実の声であり、こんな世界と人生は本当におかしいのです・・・・ただし、もし以下のような「どんでん返し」がなかったらです。
★ それは私たちは気づかないけれど、偉大なる光がこの地上の人間
一人一人の内面深くまで差し込んできている・・・こういう想像もしなかった事実です。これこそ「復活祭の光」です。少しの罪もないのに極悪人として処刑されたキリストが墓からよみがえって「死に勝利し」、その大きな力をすべての人に分け与えてくれる、という。ここでその消息をくわしくは記せませんが、こういう途方もないどんでん返しが誰にでも起こる、これがイースターの喜びなのです。でも、それがどうしたら自分にも起こるか、少しだけお話しましょう。
自分の中の砂漠から叫ぶ
★ それにはまず自分う深く見つめ、結局自分がいかに空虚な器であるか」を知る
ことから始まります。渇ききった砂漠である、沢山のもので「偽装」し他人を欺いているかもしれないが本質は「はだかの王様」ではないのか?家族友人や、思想や使命感などから元気をもらって頑張ってきたが、結局は「乞食」であり「生けるしかばね」である・・・・・こういう自己認識が進んでくると、もう一途(いちず)に命の命であるイエス・キリストに入ってきてもらいたくなります。「主よ、我がうちに来たり給え」が切なる祈りになります。多分このあたりは仏教でも同じだと思います。それを何日も何百日も何年も祈り続ける・・・・、いや、たった一度でも「心から」そうすればいいのかも・・・・・・するとやがて上次にしたような驚くべき変化が起こってくる。喜びと満足と元気ではちきれんばかりになる。それからなんです。実は本当の人生が始まるのは。
            悲しい奴隷がリッチな王様に
★ 長い長いそして暗いトンネルを抜けると、パツと視界が広がり、そこはもう明るい広野原。ちょうも舞い、鳥たちも飛びかう素晴らしい世界。そこで疲れもいやされた私たちにも、いつの間にか「翼」が与えられています。思う存分大空を駆けまわるときがきたのです。つらく苦しかったかつての日々がうそのような昔物語となります。
★ 朝起きるのが楽しくて、ふとんをけるようにして立ち上がります。空気も音楽もラジオの語りかけも、みんなかつてと違って感じられる。生きていること、それ自体がうれしく、神様からのエネルギーであふれてくるのです。誰彼の区別なく、「おはよう」と語りかけたくなる。まるで世界にも何人もいないリッチな王様になったような気分なのです。かつては生きるのが重苦しく、いやいやながら「義務的に」生き、周囲の機嫌をうかがう「奴隷」みたいでした。それがこんなにも変えられるのです。
            帰るべきマイホームがある我ら
★ さらに私たちには「帰る家」がある。長くはないこの地上の旅を終わると、用意さ
れているすてきなホームがある。であればこそ、この世界をもう縦横に旅行できるんです。もしみなさんが自宅から旅に出たのに、帰る家がなくなってしまったとしたら、たちまちパニックになりませんか?人間死んだらそれっきり、なんてことは、本気で言えることではないと思います。素晴らしい天国は間違いなく与えられます。しかも上記のように、今ここでそれは始まっているんです!
★ 復活祭とはこういう世にもまれな「バージョン・アップされた新しい人間誕生」の
お祝いです。死刑囚が無罪放免され、先の世までも楽しめるようになる・・・・こんなにうれしいことはありません。漱石の「ゆうつ」は吹き飛び、心の空には雲ひとつありません。心待ちしていた「永遠の春」がとうとうやってきたのです。私たちも少年ダビデ、罪と死と圧迫と不安をもたらす巨人ゴリアテは、見事になぎ倒されたのです。
なお、今年の復活祭(イースター)は、きたる4月4日です。
 (鶴岡市本町3丁目5-37 日本キリスト教団荘内教会牧師・同保育園長)

  


Posted by 矢沢牧師 at 03:00

2010年02月23日

試練は自我の牢獄脱出のチャンス


        人生の試練は目覚めのチャンス
     自己から脱出しないと危険な人間
                                      矢沢 俊彦
             死線を越えてこそ見えてくる
★ 大きな試練にあって初めて目がさめることがあります。人生というものはどこか意
地悪で、誰もが願う「平穏無事」の中では、とかく眠りこけやすい。もし幸福のうわっつらだけを泳ぐような毎日となったら、かけがえのない時間だけを失うことになりましょう。悲しみがドカンと押し寄せてきてあたふたさせられて初めて、「この人生って何なの?自分は何をしてきたんだろう?・」などと悶々(もんもん)とし始める。追い詰められ、時に死線を長くさ迷ってこそ、やっとのことで見えてくるこの世の真実があるように思われます。それだけ私たちの眼にかかる「うろこ」が厚いのかもしれません。すぐれた文学者や芸術家、宗教家の多くも、思いがけぬ大試練や苦悩と闘い続けた人達なのです。いつかテレビで百歳の女流画家が、カンバスに向かいながら、「まだまだ見えてこないんですよ」、とぼやいていた光景を思い起こします

                お城を出てみて大衝撃
★ 代表的なひとりに青年時代のお釈迦様がおられます。彼はある国の王子で、
若い日を恵まれたお城で、何不自由ない日々を送っていました。でも外のことが気になったのでしょう。ある日意を決して従者も連れず外出したとき、よぼよぼでやせこけ、やっと杖にすがっている「老人」という存在に初めて会った。これが自分のみならず、すべての人が例外なくたどる道なのか、と思ったとき彼を刺し貫いた大きな衝撃。その大きさは、青年のその後で分かります。ほどなくして彼は妻子を捨て城を出ると(29歳)、苦行と瞑想に何年も日を送ったのです。ここがとにかく釈迦の偉いところです。私たちも日頃、与えられる出来事にとにかく注意していてごらんなさい。とんでもない大発見をするかもしれません。その結果、もしかしたら、たとえば「毛虫が蝶(ちょう)にもなる大変身を遂げてしまう人が出てくるかもしれないのです。

               気づいたのは死後だった王子様
★ 同様に、住んでいたお城を出た王子がいました。でもそれはなんと「死後」のこと
だった。彼はその宮殿の町はずれに銅像として建てられ、その高みから見おろしているうちに気がついたのは、この町にはなんと不幸で泣いてる人が多いか、ということです 。もっともこれは有名な童話に出てくる人物ですが。不思議なことに、彼の目と心臓だけは死後でも生きていた、という設定です。
 そこで王子は、偶然近づいたツバメの助けを借りて、見つけた不幸な人々に身につけているすべてを、最後は両岸まで与えつくす、という「他者愛」に徹するのですが・・・・それは彼の後悔とざんげの物語である、と私は読んでいます。
生前、自分は長くお城でぜいたくに遊び暮らしていただけ、なんという愚か者だったか、という痛烈な反省です。以上はよく知られた「幸わせな王子さま」といわれる物語で、一般にその徹底した自己犠牲的愛が高く評価されていますが、王子は終始自分の愚かさに涙していたのでは・・・、自分は天国にいく資格などない、と思っていたに違いありません。

              世間の拍手喝采に有頂天に
★ この童話作者オスカー・ワイルドは、19世紀末アイルランドで活動していました
が、同性愛だ何だと世間の不評を買い、かなり長く獄中生活をしいられたのですが、そこで彼は聖書をむさぼるように読み、それまでの自分と徹底的に向き合ったらしいのです。出獄してから作風も変わり、出版した童話集にある以下のもう一つの作品に、彼自身が投影されてるように私には思われるのです。入獄もきわめて有益だったのです。
★ それは「王女様の誕生日」という作品です。王宮でのパーティに、森から連れて
こられた小人、その姿は世にもまれな奇妙きてれつなもの、ひと目見ただけでみな吹き出してしまうような格好です。でも彼が踊り始めると、満場はげらげら、大うけで大喝采、王女様も花束を投げる。すると自分を気にいってくれたんだと思い、さらに必死で踊り続けるのです。でもこの生き物の一番面白いのは、どうやら彼は自分の姿に気づいていないらしいところでした。
★  でもやがて破局がきます。王女様の部屋を探して宮殿内を巡るうちに、ある氷
のように固いガラス板の前でギクリ、度肝をぬかれる。なんだ、この怪物は?」・・・・鏡というものの前でやがてすべてを悟った小人の悲しみと衝撃の深さ。世間の喝采や賞賛ばかり求めていい気になっていたオレの実像はこれだったのか・・・・あまりのショックでそのまま心臓は停止してしまったのです。

                バージョンアップの生き方とは
★ なんだかとてもかわいそうだけでなく、笑えない話のような気がします。ワイルド
は自分の反省を込めて、慙愧(ざんき)の思いでつくったのかもしれません。私たちも無関係じゃない・・・と思うとき、ほしいと願うのはその2幕目です。それは醜い自分に徹底して直面しながら、そのすべてをゆるされ立ち上がっていく、というバージョンアップされた人生です。そこではもはやこの世の毀誉褒貶(評価)などには決して動かされない充実を楽しむことができるでありましょう。誰ひとり認めてくれる人がいなくても平気、美しい高山に、天のみ相手に咲いていれば、心はいつも高揚感であふれてくるでしょう。
★ 以上の2,3の例のように、私たちの脱皮再生のためには、しばしば「死線をくぐ
るような試練が必要なのです。どうしようもなく悲しくつらいときこそ、新しい命誕生のまたとないチャンスかもしれないのです。どうしようもない悲しみの中で初めて、執着してきた小さな自分自身が壊(こわ)されるかも知れないビッグチャンス。時至って、たまごからひよこが生まれ出るようなもの。逆に自己から脱出せず、いつまでもぬくぬくとお城の中にいてはとてもあぶないのです!
でもひとことつけ加えるなら、そういうときの飛躍のためにも、平穏な日々において、すぐれた文学や芸術、宗教などにしっかりふれていることが大事だということでしょう。
(鶴岡市本町3-5-37日本キリスト教団荘内教会牧師・同保育園長)。
  


Posted by 矢沢牧師 at 22:38

2010年02月22日

輝くばかりのイエス様(幼児へ)

      イエスさまの魅力はすごい!    2010年2月22日
      
★イエス様にはいつも大勢の人々がついてきます。老若男女、いろんな人達がい
つもイエス様をとり囲んでいるんです。中にはネコや犬もまぎれこんで、前に出ようと懸命みたい。彼らにも悩みやストレスがあるんでしょうか。
★ どうしてそんなに人気があるんでしょう?不思議でなりません。そこでね、先生も
あの群集の中にまぎれこんでみたんです、えっ、そんなことできるかって?それができるんです。秘密な方法があるんです。もしかしたら、みんなもできるかもしれないよ。

★集まっている人達、それはどんなだったでしょう。小さい子からお年寄りまで、男
も女も疲れきっていました。ボロを着て、体もやせこけている。きっとたくさんムリをしてやっと生きてきたんでしょう。・・・・でもみんな目を血走らせて必死に「イエスさまあ」と叫んでいる。とてもすごい光景で、先生はびっくり仰天してしまった。

★ 大勢いるのは目が見えなかったり、耳が聞こえなかったり、出血がとまらない病気やいろんな難病の人、みかけだけではよくわかりませんが・・・。それに手足がきかない人たちも目立ちます。もうみんな何十年も悩んできたのでしょう。イエス様のうわさを聴くと、もうなにもかもかなぐり捨てて、この野原までやってきた。いや、タンかでかつがれてきた人もいるし、それこそ地べたをはうようにして、何日もかけてきた人も大勢です。
★ 「みなさん、このお花をみてください。こんなにきれいなのは、天の神様が心にか
けて育ててくださるからです。ここにいるどのひとりだって、神様が大事にしていてくれない人はいない。君もあなたも神様の特別な秘蔵っ子。もう大丈夫。何の心配もいりませんよ」。
★ そういうイエス様はどんなだったでしょう?背は高く、大きな目をして
とっても優しいお顔なのは分かるでしょう。でもそうだけじゃない。もう体中からまぶしい太陽の光が輝き出しているよう。神様の力が周囲にどんどん放出されている。見つめられただけでも、もう病気も空腹も忘れ、ひたすら光を浴びているようなのです。そっと肩に手をおいてもらい、「もう安心だよ」、といわれると、目や手足の悪かった人もその障害を忘れ大喜び。タイムスリップしてイエス様に近づいた先生も、もう夢中になってイエス様と握手。すると心の空は晴れわたり、つらい悩みも重荷もどこかへいってしまい、品本当に生まれ変った人間になったんです。イエス様はすごい人です。
  


Posted by 矢沢牧師 at 15:24

2010年02月09日

カラスに話した白鳥の教え

 2010年2月8日
      カラスに放しててくれた白鳥の教え
      (月曜礼拝 カードNO.44   お話 安希子先生)
★ みんなカラス知ってるでしょう。このごろよく見ますね。あの鳴き声ね、みんなで鳴いてるとうるさいんだけど、ひとりの声を聞くとね、とってもさびしそうで、涙でも出してるんじゃないかって思うんです。
でも先生ね、その中でなんだかとっても元気がいい仲間がいることに気がついたんです。そこで先生ね、魔法使いのおばさんに頼んでね、カラスに変身させてもらったんです!ほんとだよ。するとすぐ「カーカー・・・・」、悲しそうな声の中にいるその元気のいいやつに近づいて聞いたんです。「ねえ、君はどうしてそんなに元気がいいの?よかったら聞かせて」「そう、ぼくの話聞いてくれるなんてうれしいなあ・・」、そういって、こんな話をしてくれたんです。

★ ・・・・・君も仲間だけど、ぼくの羽根をよく見てくれよ。仲間も黒いけど、ぼくのは特別真っ黒なんだ。ぼくはどうしても好きになれない。友達も自分が黒いくせにクロちゃんなんてバカにする。バカなんて怒鳴っても色は変らない。
 池で泳いでいるとみじめなんだよ。いろんなきれいな水鳥が泳いでるでしょ。白鳥さんがキラキラ光ってゆうゆうと泳いでいる。青い鳥、赤い小鳥、緑や黄色や小麦色の水鳥たちがワイワイいいながら楽しそう・・・そしてボクをチラチラ見て、クロちゃんってバカにしてるみたいなんだ。ぼくはそんなとき、水からあがると、天に向かって叫んだ、「神様のバカー」って。

 ★ それを聞いたきつつきさんが木からおりてきてこう言ったんだ。「なにをそんなに悲しんでるの。ぼく知ってるよ。君がどんなに家族思いかってこと。こないだの嵐の日だって、あの雨にもまけないで、エサをさがしてきてみんなに食べさせてた。あのときは本当にずぶ濡れだったの見てたんだ。ぼくの仲間も感心してたんだよ」
 そこへ、ふくろう君もおりてきて低い声を張り上げました。「そうそう、ぼくも見たよ、君は目もいいし、記憶力抜群だ。だから食べ物がどこにあるか、もうすぐ見つけるじゃない?みんなうらやましがってるんだよ」。
★・・・・それを聞きながら、なんだかぼくはとてもうれしくなった・・・・
でもダメなんです。次の日、お池に行くと、やっぱりみんながこっちを見てクロクロなんて言ってる。言ってはいないかもしれないけど、そんな気がする。それでもとの木阿弥。それであるとき、水に浮いてる鳥たちのいろんな羽根をひろってぼくの体につけたんだ。そしたらどうなったと思う?みんなよってきて、「あきみは何者?」といって茶化され、ますます悲しくなった。

★ でもね、そんなある日、森の入り口近くで泣き声が聴こえる。すぐ行ってみると、なんと白鳥さんがワナにひっかかっておなかにおおけが、血が出ていて死にそうなんです。ぼくは森のお医者さんにすぐきてもらおう、待っててね、というと、小さな声で白鳥さんがこう言ったんです。
 「ぼくはもうダメかもしれない。でもこれだけは君に言いたい。君はとっても親切で仲間思い。それを知ってて、クロちゃんなんていってごめん。本当にすまないと思ってる。ぼくは白くてきれいなんて、どこかで思っていばっていた。すまん。
けがをしてから考えてたんだけど、天の神様は不公平じゃない。君にはこんなにやさしい気持や仲間家族を大事にするあったかい心がある。それに目も耳も記憶力も抜群。それはみんな神様の贈り物だっていうことがやっと分かったんです。ぼくは、ただいばっていただけ。このけがは、神様からのおしおきなんです・・・いたた・・・ぼくはもう死ぬかもしれないけど、これだけは君に言っておきたかった・・・」。そういい終わると、白鳥はもうぐったり、静かになってしまったんです。

・・・それからぼくは白鳥さんのお言葉を何度も心の中で繰り返しました。・・・それからです、ぼくが元気になったのは・・・もう黒いことなんか気にしない。神様がいつも守っていてくれることが分かったからです。・・
  


Posted by 矢沢牧師 at 10:03

2010年01月31日

自分の意地悪に泣いたまいちゃん

       自分の意地悪に泣いたまきちゃん   2010年1月25日
    (弱い人を大事にされる神様 NO.42 お話 敦子先生) まとめー園長)
★ 保育園の子供達は皆元気、その中でもまきちゃんは声も大きく活発、運動
も出来るし面白い遊びをするので、まきちゃんのまわりにはお友達がいっぱいです。
★ さて保育園にあかねちゃんという女の子がいました。いつもニコニコしてかわいい
んですが、耳があまり聞こえないんです。補聴器というものを耳につけているので、ある程度は聴こえるんですが、少し小さい声になると聴こえないようなのです。でもみんなまあ親切で遊んでくれてるみたいだったんですが、ある遠足の日のことです。
★ 月山牧場に行ってかくれんぼをしていたとき、まきちゃんはあかねちゃんが一
人ぼっちでいることに気づきました。なんだかさびしそうにポツンとしてるのをみたんですが、「まあいいや、早く隠れなくちゃ・・」、と駆けていってしまいました。・・・・   また二人乗りの三輪車のりをしていたときも、相手がいない。まきちゃんは「あかねちゃんと組むと遅くなっちゃうから・・しょうがないね」、と見過ごしています。

★ たくさん遊んでから、まきちゃんがいいました。「ああ、のどがかわいた。誰か水く
れない、あたしの水筒カラんなっちゃったもん・・・」。でも誰もくれそうな人はいません。みんなのどがかわいて飲んじゃったんでしょう。
そのときです、大きなふたに入れた水を持ってきた女の子がいました。そう、あかねちゃんです。まきちゃんがみると、あかねちゃんはかわいくニコニコ笑いました。それをみて、まきちゃんはなんだか心がズキンと苦しい感じがしたんです。でも平気な顔をして、「どうもありがとう」といってその水を飲んだのですが・・・
・。
★ それからです、まきちゃんが悩みはじめたのは・・・・あたし知らなかったわ。あか
ねちゃんにあんなにやさしい気持ちがあったなんて。たぶん「心で感じるすごい耳」があるんじゃないかなあ。そういえば、あかねちゃん、いつもみんなのことじっとよく見てるもんね。あたしなんか、ただみんなと騒いでるだけ・・・目も耳もやさしい心も、もうずっとあかねちゃんのほうがいい。神様がちゃんと大事に大事に育て守ってくれてる。それなのにあのとき、あたしは平気な顔をしてた・・。そう思うととても悲しくなって涙が出てきてとまりません。いつのまにか神様にこうお祈りしてました・・・・「神様、意地悪で自分のことばり考えてきたあたし。つめたかったあたしをゆるしてください。あかねちゃんおような、いい耳、いい目、やさしい心をください、お願いです・・・・」。。・・・。
★ その翌日からまきちゃんの遊び方が変りました。そしてみんなの遊び方もすっか
り変わったのです。え、どう変ったって。それが分からないみんなじゃないでしょう。
  


Posted by 矢沢牧師 at 16:24

2010年01月25日

(園礼拝) 意地悪な自分に泣いたまきちゃん

       自分の意地悪に泣いたまきちゃん   2010年1月25日
    (弱い人を大事にされる神様 NO.42 お話 敦子先生) まとめー園長)
★ 保育園の子供達は皆元気、その中でもまきちゃんは声も大きく活発、運動
も出来るし面白い遊びをするので、まきちゃんのまわりにはお友達がいっぱいです。
★ さて保育園にあかねちゃんという女の子がいました。いつもニコニコしてかわいい
んですが、耳があまり聞こえないんです。補聴器というものを耳につけているので、ある程度は聴こえるんですが、少し小さい声になると聴こえないようなのです。でもみんなまあ親切で遊んでくれてるみたいだったんですが、ある遠足の日のことです。
★ 月山牧場に行ってかくれんぼをしていたとき、まきちゃんはあかねちゃんが一
人ぼっちでいることに気づきました。なんだかさびしそうにポツンとしてるのをみたんですが、「まあいいや、早く隠れなくちゃ・・」、と駆けていってしまいました。・・・・   また二人乗りの三輪車のりをしていたときも、相手がいない。まきちゃんは「あかねちゃんと組むと遅くなっちゃうから・・しょうがないね」、と見過ごしています。

★ たくさん遊んでから、まきちゃんがいいました。「ああ、のどがかわいた。誰か水く
れない、あたしの水筒カラんなっちゃったもん・・・」。でも誰もくれそうな人はいません。みんなのどがかわいて飲んじゃったんでしょう。
そのときです、大きなふたに入れた水を持ってきた女の子がいました。そう、あかねちゃんです。まきちゃんがみると、あかねちゃんはかわいくニコニコ笑いました。それをみて、まきちゃんはなんだか心がズキンと苦しい感じがしたんです。でも平気な顔をして、「どうもありがとう」といってその水を飲んだのですが・・・
・。
★ それからです、まきちゃんが悩みはじめたのは・・・・あたし知らなかったわ。あか
ねちゃんにあんなにやさしい気持ちがあったなんて。たぶん「心で感じるすごい耳」があるんじゃないかなあ。そういえば、あかねちゃん、いつもみんなのことじっとよく見てるもんね。あたしなんか、ただみんなと騒いでるだけ・・・目も耳もやさしい心も、もうずっとあかねちゃんのほうがいい。神様がちゃんと大事に大事に育て守ってくれてる。それなのにあのとき、あたしは平気な顔をしてた・・。そう思うととても悲しくなって涙が出てきてとまりません。いつのまにか神様にこうお祈りしてました・・・・「神様、意地悪で自分のことばり考えてきたあたし。つめたかったあたしをゆるしてください。あかねちゃんおような、いい耳、いい目、やさしい心をください、お願いです・・・・」。。・・・。
★ その翌日からまきちゃんの遊び方が変りました。そしてみんなの遊び方もすっか
り変わったのです。え、どう変ったって。それが分からないみんなじゃないでしょう。
  


Posted by 矢沢牧師 at 15:09

2010年01月20日

山形の奥地 豪雪のなかの教会訪問記

    新たな挑戦を続ける我が「兄弟教会」
―雪深き神社の町で気を吐く宮内教会訪問記―
       
2010年1月17日       矢沢 俊彦(鶴岡)

厳寒の季節の祝福の中を
★ 山形から米沢方面に向かう途中にある赤湯温泉駅。そこからさらに車で30分
近くも奥に入った山地近くに宮内という町がひっそりと息づいていました。
この日は大寒のさなか、前日まで降り積もった雪が、街路や周囲の木々のみならず、連なる農家のどの屋根も真っ白く飾っています。素晴らしい山水画の対象にもなる光景が一面に広がっている、絶景です。
寒風は吹きすさいでいるけれど、やはりこの時節に来てよかった。この冬景色を見てこそ、宮内の教会の厳しい戦いの歩みも分かろう、という気がしたからです。

           鳥居の中にあった先祖達の教会
★ 宮内というのは、「宮の内」に育くまれた門前町という意味でしょうか、とにかく
大きな熊野神社の中にすべてがある、という意味では、庄内の羽黒の町に似ているかもしれません。その大鳥居に囲まれるようにして、我がキリストの教会があった。そこで辺りを払うように元気な呱々の声をあげ、さまざまな風雨や障害にめげずして、確かに光を放ちつつ、今日まで成長を続けていたのです。
その草創期に力あった人々は、私たち鶴岡の群れとは実に親しき方ばかり・・・吉田亀太郎、門間清次郎、笹原 周、三浦鉄造・・・・、本当に我が祖先の家に立ち戻ったかのような思いがこみ上げてきます。

            会堂のつくりに仰天す
★ この思いは会堂の内部を拝見して、「あつ」という驚きとともに強く増幅された
のです。どうしてって、その構造のほとんどすべてや雰囲気が、私たちがなじんでいた鶴岡の旧会堂そっくりだったからです。
講壇と背後の壁、左右の入り口、大きなガラス窓の流れるような形、さらには会堂を仕切る後の板塀は、今ならこんなに美しく丁寧には決して作らないであろうきめ細かなデザインは、全く我が教会のものと寸分違わない。まるで同じところから切り出した材木で、同じ大工さんが建てたと思われるくらいなのです。これには全くびっくり、親近感が何倍にもふくれ上がりました。

         信仰のルーツは全く同一なり
★ そして長い歩みを導いてこられた粟野治夫長老のお話で、「なるほど」と、
合点がいきました。鶴岡と宮内の礼拝堂建築は、昭和7年と8年、ほとんど同じ時期だという。それなら、と私は確信しました、これはもう確実に同じミッション(米国のドイツ改革派)と宣教師(クリーテやヌージェントさんたち)の指導と支援によって建てられたのです。それは多分、彼らミッショナリーたちのふるさとの会堂に似せてデザインされたものに違いない、もしかしたら彼らの出身地には今でもこんな会堂が残されているかもしれないのです。
鶴岡では、戦時中の管理が行き届かないで、昭和28年に取り壊されてしまいましたが、ここ宮内には、まだ80年近い風雪に耐えた神様の家がそのまま用いられている。なんという感動でありましょう。両教会はこうして実に因縁の深い兄弟教会であることが確証されたのでした!
          
         伝統の見える感激の大いなる礼拝
★ 定刻の10時15分、詩篇100篇の招きの言葉とともに、礼拝が始まりました。
感激の時間です。ああ、こうしてここで90年を超える長い間、休むことなく主の日の礼拝が続けられてきたのか・・・・歴代の伝道者や信徒たちの戦い、この礼拝にかけた並々ならぬ思い・・・これを想像するだけで名状し難い感激です。
司会の木村綾子さん。足の手術を7,8回も受けつつ、体のみならず、「心をあずける」ことを修練してきた人。真心のこもった司会ぶりに感動しました。
また、オルガニストの鈴木さん、前奏はバッハだったか、しぶいしっかりした音色が会堂にマッチしている。讃美歌もちょうどいい流れ方で、とても歌いやすい。そのリードで、私も思い切り讃美の声を上げることができました。
伺えば、このオルガンそのものも昭和一けた時代からのものだそうで、大事に大事に用いられてきたもの。これまた感激の事実でした。
彼女はこの教会の教室で弾き方をマスターしたというから、さらに嬉しい御奉仕。先生の井上和子さん?も、どんなにか大きな働きをして下さったか、を思いました。こうした歴代のみなさんの、隠れた多くの積み重ねが生きている、これこそまことのキリストの教会です。

並み居る歴代信徒らが見えた
★ 説教はみなさん、とてもよく傾聴してくださいました。私は目が悪いので、おひ
とり一人の表情まではよく見てとれませんでしたが、みな懸命に聴いていてくださるのが心地よく、つい予定よりおしゃべりをしてしまいました。
それにマイクやスピーカーが会堂にうまく適合していて、とても話しやすかったこともあります。余計なことかもしれませんが、これがなかなかうまくない場合が結構あるんです。すると、話す方も聞く方も難儀させられてしまう。このことに無頓着ではいけない、と私はよく思います。この点、宮内の設備は天下一品でした!
大きな喜びとともに捧げた礼拝。会衆は10名ちょっとだったけれど、がっしりし
た古い長椅子には、無数の歴代信徒牧師たちが居並び讃美の声を上げているようで、それはそれは大いなる礼拝でありました。

            初対面とは思われぬうれしさ
★ その後、開かれた愛餐会。これも忘れ難い時間でした。この日のために、み
なさん大いに力を合わせて、手作りのおいしいお昼。これも感激でした。みなさんの暖かな思いが集められていた。こうしてこれまでも幾度となくお迎えした先生方をおもてなししてこられたに違いありません。こうした熱き思いを、主が軽しめられるはずはありません。
★ 食後の語らいは圧巻で、出席者のお話はとても深く考えさせられるものばかり
でした。私は今回ここに出向くのに1987年に出された『70年の歩み』を読んでおいたのですが、当時の投稿者の幾人かが20数年をへてたのに、しっかりしたお姿でお目にかかることができ、初対面という気がせず、とてもうれしかった。この長い時間と戦って、信仰や求道を続けてこられたのですねえ。主が何よりお喜びでしょう。
幼稚園の石山さんもそのお一人でした。ここでの長い歩みの一端を離してくださいましたが、この方は今、園の主任さん。大所帯をきりもりするのはさぞ大変なことだろう、とその御苦労がしのばされます。
船中さんは、病と闘いながら信仰を深めていったお母さん(竹田さん)譲りの信者。この方は、実は私と同じ眼の難病を患っておられ、もう20年になられる、と知らされ、「同病相憐れむ」の思いが噴出。「網膜色素変成性」という名前がついていて、緩慢ながら網膜の機能が次第に弱まっていくという困った疾患です。どんなにか御不自由でしょうに、それにめげず、御奉仕に精励されているのを見て、大いに激励された私でした。
             主にある交わりによる力おおいなり
★ 木村さんは「どうも自分は疑い深くて」と、と正直に告白されましたが、私はむしろ共鳴の思いがしました。とことん疑うべきは疑ってみて、最後の本音のホンネの部分で、しっかり逆転勝利を収められればしめたもの。キリスト教を本当に自分のものにするのは、もともとたやすいことでは決してない。大いなる苦しみを経由してこそ、本ものに出会えると思うからです。無論ただ優柔不断で迷ってばかりいられません。決然と「賭け」に出ることも大事でしょうが・・・・・。
 近藤牧師の夫人、こう呼ばれるのが嫌いな光子さん、でもよく牧師を支えておられます。「私は田舎向きなの」の言葉に、信者のみなさんの内なる安堵の念があ見えるようです。都合で先に帰られた求道者の阿部さん、玄関先で、私の話した「1日は千年のよう」の言葉が心に残った、といわれました。
 以上の会員たちをしっかり仕切っておられるのが大長老の粟野治夫さんです。彼はもう骨のずいまで宮内教会を愛しています。それは備えられた夫人美代子さんとの素晴らしい二人三脚による結果でもありましょう。今回も終始とても行き届いたお世話をしてくださいました。
ここに来る少年時代のきっかけは、家がすぐ近くだったので、いろいろ教会に来る機会があったから、という。昭和20年代、娯楽や楽しみもない時代、しかもこの地域であってみれば、この人が教会に飛び込んだこと、それは自然の成り行きだったかもしれませんが、ここにとどまり続けられたことは、向上心の強いこの方の気宇壮大さといいますか、求めるところの大きかったことゆえでしょうし、そこにはかり知られぬ主の摂理の働きが感じられてならないのです。

                脳裏に残るすがすがしさ
 ★ それにしても近藤国親先生、定年までのお仕事のあと、神学校での6年間の学びを経て、この地に赴任されて4年、実に尊く見上げたお働きです。それは必ずや、将来豊かな実を結ぶことでしょう。
 こうして厳寒の時節におこなわれたこのたびの「山形「交換講壇」は、多くの豊かな思いへと、私ども(同行してくれた妻京子も同じく)を導いてくれました。宮内の地と、そこでの礼拝と宣教の業に賭ける人々に触れて、大変すがすがしい気分で帰ってきたことでした。この旅の鮮やかな印象は、いつまでも私の脳裏にとどまり続けるに違いありません。

なお、前夜宿泊させていただいたすぐ近くの「新世界旅館」。名前にもかかわらず、内部は古色床しきものでしたが、長い廊下を通って、一番奥の、多分最高のお部屋に通され、昔風の日本家屋をじっくり味わわせてもらいました。ここは宮内教会のお客さんの定宿と伺いましたが、多分、昔の宣教師さんたちも、珍しいたたみや、こういうコタツに長い足を投げ出しながら、あるいは「火鉢」に凍えそうな手をかざしながら、集会の準備などしていたのでしょう。


  


Posted by 矢沢牧師 at 23:58

2010年01月09日

私たちを復活させてくれる幼児の絵

     (園実践報告) 児童画は鏡、診断書、そしてかわいい訴え
       ― 保育者の危機から「生き直し」へ ー
                         荘内教会保育園長 矢沢 俊彦

 子どもの絵は愉しい。でもこわくもある。私たちのあらゆる貧しさがあらわにされ、泣かされます。でも自らの「生き直し」を励ましてもくれます。
それは幼児の心を映す鏡、保育と園生活の診断書、また半端な私たちへの無邪気な訴えかもしれません。幼年美術の研究は、障害児保育に似て、すべての保育教育の原点であり、その実践は、今日本に必要な主体的人間を創造します。

★ 殺伐化から救う もしこの世界から美術というものが消えてしまったら・・多分すべての音楽を失うに等しく、殺伐としたものになるでしょう。
もし子どもたちが絵を奪われ、すべての造形活動から遠ざけられたとしたら・・・・考えただけでもゾッとしますね。多分多くが人間になりそこなうでありましょう。

★ サルを人間にする活動 でもそれに近いのが今の大人たちの世界です。砂漠にいるようなさびしさにあふれています。小さくなって押し黙っている人たち。たまに大声で訴える人がいても、こだますら返ってこない・・・。ところが絵画造形遊びは違います。その原形であるどろんこや水遊び。それは外の世界に手足で働きかけ、思うようによごし、縦横に変化させ、それを肌で確かめ味わう。それはそれはエキサイティングな体験です。子どもらが大好きなわけです。
絵画造形活動で、子らは「世界に向かって心を開き」、それを楽しむ。生きる意欲や感性や、人まねでなく行動する創造性などを獲得していく。サルをして人間にまで高めるもの、「疎外なき労働」だ、といわれるゆえんです。

★ 貧しかった私たち でも私どもの園のかつての実践は、とても低いものでした。あの頃はただ経験とカンにだけ頼ったもので、絵画保育の本質や方法論にほとんど無自覚でした。それだけにある時、京都の園の実践に触れた衝撃は、大変なものだった。彼らの表現との落差は、あまりに決定的なものだったからです。

★ 興奮して学んだ その後の幼児絵画の勉強。それがどんなに新鮮で面白く、心ときめくものだったか。これはぜひみなさんにもお分かちしたいと願うものです。
その方法論のポイントは末尾に記しますが、要するに、幼児画は大人の絵と全く違うものであることの認識、発達にしっかり即応させること、導入活動の大切さ、形を教えないことなどですが、最大のことは、「イメージ」というものの重要性です。

★ イメージ力の不思議 それはものについての印象を、感覚にしっかり刻みつけること。その対象がなくても、頭の中でそれを再生産し、言葉や想像力で膨らませることができる・・・こういう不思議な人間的能力です。
3歳以上児は、このイメージで絵を描く。大人はこの力で目的を持って外界に働きかけ、仕事や恋愛をし、あらゆる文化芸術活動をするのです。
私どもの保育目標である主体的人間形成も、いかにしてこのイメージ力を強め、情緒や意志や表現力に結びつけていけるか、にかかっている、そしてその条件として、子らと私たちが、世界を恐れず、がっぷり取っ組み合うことが必要となります。

★ 萎縮している私たち しかしこうした学びを続けるうちに、私たちは段々「こわく」なってきたのです。それは例えばカウンセリングの学習が進むときのように、次第に自分たち自身の姿が見え出したからです。それは悲しく、気落ちさせられました。ひと言でいうと、私たちの萎縮(いしゅく)に気づいたこと。内面や生活、その表現においてどんなに縮こまっていることか。
幼な子を支援しようとする私どもが、彼らよりずっと消極的で無気力で自信がない。実際、自分の声すら出せない日常がある。ぜひ人に伝え主張したいたいと思うものが、自分の中にない!なんという情けなさ申し訳なさであろう!これで幼な子の先生であったとは!困った、どうしてこんな自分に?各自の育ちや環境、さらに鶴岡の風土なども思いが及びました。悶々とした日々。でもやがて気づいたこと・・・。

★ 幼児期からの宿題が それは、自分自身が丸ごと受け入れられ、大きな自由の中で、安心して自分を出し切って遊び、自分を表現できるような育ち方が欠けていたからでは?即ち、幼年美術の宿題が、そのままに放置されていたからでは?

★ どうして這い上がれたか? その助けは子どもたちからやってきました。私たちは突然気づいたのです。半端で未熟で誤りだらけの接し方をしている私どものすべての貧しさにもかかわらず、それらをかいくぐるようにして、彼らは実にのびのびと遊び、自分をさまざまに表現しているんです。私たちは愕きつつ目を見張りました。

★ 子らこそ太陽だ なんてすごいんだろう、この生命力の力強さや抵抗力、その意欲や創造力は!教えられなくても、ピカソ顔負けの表現をする子がいる!これでは全く立場逆転です。彼らこそ保育者、私たちにとって「小さな太陽」なのです!
 それから私たちは元気が出てきました。よーし、子らの世界にもう一度入れてもらって、一から「自分の育て直しをしよう」、心でわびながら・・・・。

絵画表現活動のポイント
① 幼児の成長発達にしっかり応じた課題を与えること。
② 3歳までは、なぐりがき・ぬたくりを十分させる。
③ 3歳後半に初めて形ある絵を描かせる。その前に、約半年の「導入期間」をもち、対象のイメージがふくらむのを待つ。
④ 形を教えると、自分の感性や表現に自身を失います。「ぬりえ」がよくないのも、同じ理由からです。
⑤ まず充実した楽しい日々の生活が前提です。いい絵を描かせるのが目的ではありません。それは、一人一人が全生涯にわたって自分の感覚に自信をもって生きることを目指しているからです。
当園では、共に幼児画を学ぶ仲間を求めています。
推薦したい参考書 鳥居昭美著 『子どもの絵の見方,育て方』 大月書店刊
当園の公開保育等 東北造形研究大会(2005年)
 市内民間保育園公開保育(2008年)
         一般公開絵画展(2008年3月 鶴岡アートフォーラムにて)

  


Posted by 矢沢牧師 at 19:58

2009年12月22日

居場所なき人へのクリスマス

居場所を奪われた人々の救い主
        -キリストはなぜ家畜小屋で誕生したかー
                          鶴岡        矢沢 俊彦
クリスマスにはサンタさんが活躍しますが、サンタさんはもともとキリストのお弟子さんです。ではそのキリストとはどんな人だったか、少しだけ紹介しましょう。
★ 聖書によると、キリストは家畜小屋で生まれたとあります。ベツレヘムの宿屋が満員で、追い出されたからです。寒風が吹き込む暗くさびしい馬やで産声をあげたのです。
★ ところでお釈迦様は、ある国の王子として宮殿に生まれたといわれます。何不自由ない生活だったでしょうが、青年時代に初めてそのお城を抜け出したとき、大いなる衝撃を受けた。それは初めて「老人」というものの姿を見たことです。すべての人間の行く末を瞬時に見てとった彼は、「もうこうしておれない」と妻子を捨てて修行の道に入っていく。ここが釈迦のえらいところです。
★ キリストはマリアの胎内にいるときから長旅をしいられ、世間の冷たい風に吹きまわされ、終着駅は家畜小屋だった。とても人間の生まれるところではありません。でもそこで誕生した人が「メシア(世界の救い主)」と呼ばれている。それはどうしてでしょう?
★ インドに行くと、町を多くの「のら牛」がうろついています。もうお乳も出ないので放置され、エサをあさっている。なんだか自分に似ているな、と多くの人が思います。そうなんです。世界には自分が家畜同様に扱われている、と感じている人がゴマンといるのです。
★ 人間の住む暖かい場所から追い出された人。おまえなんかいらない、とたたき出された人、のけ者にされ疎外され捨てられて、やっと息だけしているような人々、こういう人々が、このキリストのうちに、自分の協力な味方と救いを感じ取ったのです。これが今の人類に放つクリスマスの強烈なメッセージです。
★ ついでに、このキリストは道を伝え始めて、わずか3年でこの世を去ります。流行病なんかで病死したのではありません。極悪人として十字架につけられ、この世界からたたき出されてしまったのです。「お前がいては迷惑だ、早く消えてしまえ」というわけです。馬やから十字架への生涯は、この世で居場所う奪われたおびただしい人達のためのものだったのです。
 (鶴岡市本町3-5-37 日本キリスト教段荘内教会牧師・同保育園長)

  


Posted by 矢沢牧師 at 15:30

2009年12月22日

クリスマスの強烈な光

キリストはなぜ家畜小屋で生まれたのか                 
   捨てられた人々へのクリスマス
                       鶴岡  矢沢 俊彦
★ 2千年ほど前のユダヤ(今の中東あたり)の人達は、強い隣の外国にいじめられ
どうし、大変な苦しみの中で、「神様、早くきて私たちを救ってください」、と祈り続けていました。
★ マリアの家でも、家族みんな熱心な祈りの人。そんな境遇にいたマリアに、ある
晩、天使が現れたんです。自分のおなかに、なんとその「救い主」が宿っている、と告げられたマリアの驚きと喜びはどんなであったことか。「神様に出来ないことはありません、あなたはそれを信じますか」と聞かれて、「はい」と答えたマリア。しかしいいなづけのヨセフはこのことを聞いて「ひそかに離縁しようとした」(聖
書)。そうしてマリアを守ろうとしたのです。そのままでは「石打ちの刑」に処せられるからです。でもよかった!天使はヨセフにも現れて、マリアがうそをついてはいないこと、彼女が世界の救い主の母親になることを伝えた。これをそのまま受け入れたヨセフも偉かったじゃありませんか。

★ いばりん坊の王様アウグスト 税金対策のための人口調査。これがために老人や
病人にも長旅をさせる、というのですからひどいものです。途中で倒れた人もいたでしょう。いばりん坊は周囲の人達を苦しめる。おなかにいる時から、こうしてイエス様は大きな苦しみを経験された。今でいう、無力な政治難民のようです。生まれてからしばらくして、ヘロデ王に殺されそうになり、エジプトに逃れた旅も同様です。

★ 臨月近くになり、やっとベツレヘムについたマリアたち。大急ぎで宿を探すのです
が、世間の無情の風はここでも激しかった。ひと目見るなり、「すみません。、お金持ちのお客で満員です」、と冷たくドアをバタンとしめる宿屋の主人また召使いたち。この寒空のもと、どこで赤ちゃんを産め、というのでしょう。
 さあ、私たちはどうでしょう?。ほら、きょうもみすぼらしい人が、ドアをたたいています。自分の都合やゆとりのなさで、貧しい人を、そしてイエス様まで、この寒空にたたき出してはいませんか?「客間には・・余地がなかった」(聖書)とあります。

★ 野原の羊飼い。この人達も世の中から締め出された人達でした。大事な仕事な
のに、今でいう3K,きつい・汚い・危険なものとして遠ざけられ、さげすまれていました。そんな羊飼いに、まず救い主の誕生が告げられたのです。「あなたがたのために・・・」のメッセージに大喜びの彼ら。大急ぎで出かけました。

★ どん底から  着いてみると、なんとそこは家畜小屋、馬や牛のニオイがプンプンです。でもその飼いばおけに寝かされていた赤ちゃんの輝きといったら・・・。天から清らかな一条の光が落ちていて、まさに「神の子」誕生の雰囲気。
 それにしても家畜小屋とは・・・。寒風も吹き込む、暗くさびしく、何もない馬や。そこは人間の生まれるところではありません。でもこの人こそ「世界の救い主」として多くの人にあがめられているのです。どうして?
 それは・・・・そんなふうな気持ちで生きている人、どん底で暮らしている人が世界中にいるからです。人間の世界に居場所がない人、のけ者にされ、疎外され、この世界から締め出され、捨てられたように、やっと息だけしてるような人々が無数にいるからです。そういう人々の強力な味方、仲間、こよなき友として、この救い主は誕生したからです。これがクリスマスの深い深い喜びです。
(鶴岡市本町3-5-37 日本キリスト教段荘内教会牧師・同保育園長)

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ドケチだったおかみさんが変わった!
    クリスマス・メッセージ(童話?)
                         鶴岡 矢沢 俊彦

 ★ 「トン、トン、トン」とベツレヘムの宿屋のドアをたたくヨセフとマリア。でも答
えはみんな同じ。「人口調査に旅人でいっぱい・・・あんたお金はないんだろ、うちは慈善事業じゃないからね・・・(赤ちゃんでも産まれたら大騒ぎだ・・・)悪いけどもうひと部屋もあいてないんでね、ばたん」・・・バタン、バタン・・・。ああ、かわいそうなマリアたち。うまれる前から、世間の冷たい風にさらされたイエス様。
★ さてこの町に「ドケチ」で有名な宿屋のおかみさんがいました。名前はアグリ
。「世の中、とにかくお金がなくっちゃね」、アグリさんの口ぐせでした。貧乏人でも1円もまけない、町のために寄付なんかしたことはないし、行き倒れの旅人を見ても、見ないふりをして急いで通り過ぎるのです。「あんなケチんぼうは、ベツレヘムだけじゃない、ユダヤ中を探してもいないだろうよ」、とみんなうわさしています。
★ さて、そのアグリさんのドアをヨセフがたたいたのです。みすぼらしいふたりを
見るなり「お気の毒・・・」と言いかけて、もう一度看ると、マリアがいたそうにおなかをかかえて泣きそうな顔をしています。長い旅をしてきたこともすぐ分かりました。さあ、どうしよう」、としばらく迷っていたおかみさん・・・・でも珍しく優しい言葉が、発せられたのです!「馬小屋ならあいてます。そこでよければどうぞ」。不思議なせりふ・・・・言ったアグリさんも自分でびっくり、目をパチクリしてました。。
★ それからのおかみさんは、「仕方ないわねえ」と思いながら大活躍、赤ちゃんを産むお手伝いまでしてしまいました。どけちなはずのアタシが今日は何をし
てるんだろう。でもうまれた赤ちゃんのかわいさといったら・・・それに清らかな光が天から落ちてきて、赤ちゃんがピカピカ輝いているんです。「うわっ、すごい、こんな子は見たことがないよ」。そう思った瞬間、赤ちゃんがアグリさんを見つめて笑った。そして「アグリさん、ありがと・・・」といってるようなのです。
★ おかみさんは急になんだか恥ずかしくなった。こんなひどい馬やなんかで生ま
れながら、文句一ついわず笑い輝いている。何ひとつ持ってないのに。
あたしはいったい何をしてきたんだろう。ドケチで金ばりためて、わのことばり考えて、いとも文句タラタラ・・・。あっしゃこの子に負けたよ。
★ そのときです。ドアがノックされは入ってきたのは・・・大勢の羊飼いたち・・
「救い主イエス様に会いにきました」。このあいさつに又びっくりのおかみさん、「えっ、やっぱり。するとあっしはあのみんな待っていたキリスト様のお世話をしたってことか・・」その顔は真っ赤。それからです、アグリさんがすっかり変わったのは。
 えつ、どう変わったかって?わかるでしょ、町一番の親切な人になりました。
 (鶴岡市本町3-5-37 日本キリスト教段荘内教会牧師・同保育園長)



  


Posted by 矢沢牧師 at 15:11

2009年11月27日

今年のクリスマス メッセージ

2009年クリスマスにあたり
     皆様に大いなる喜びの訪れがありますように
                 山形県鶴岡市3-5-37  荘内教会 一同
                                 牧師 矢沢 俊彦
 今年もまた木枯らしの吹く時節が近づいてきました。鶴岡に再び白き世界に変わる
でありましょう。しかしやがてまた春の息吹も・・・・という循環四季の循環はありがたいようでも、それは時に残酷なものを感じます。
そういう糸車的循環人生を上から断ち切るようにして、クリスマスの永遠的
な喜びがやってきます。
 喜びも力も、外からやってくる。自力でどんなに絞り出そうとしてもムリ、元気も希望もそうです。イエス・キリストという方が、希望なきが如き人類、また私たち一人ひとりに、外から訪れ、命を吹き込み、天へと引き上げてくださるのです。あわただしい時節、でもこのよき訪れがありますよう。  
主が手を取って起こせば、よろめく足さえ、、  
       おどり歩む喜び これぞ神のみ業(さんびか)

           今年の教会の集会 御案内
★ 11月29日(日)午前10時 クリスマスに備える最初の日曜日
(自分を深く見つめ、不安と暗黒の中で叫び求める日々の開始です)
★ 12月6日(日)10時 アドヴェント第2日曜日
この礼拝に、男声合唱団「デザミ・アンティム」が加わります
★ 12月13日(日)10時 アドヴェント第3の日曜日
    鶴岡放送児童合唱団の皆さんが来られます
★ 12月19日(土)午前9時 保育園のクリスマス会
★ 12月20日(日)10時 この日がクリスマスの喜びは最高潮に
    ソプラノ歌手中山祥子さんの歌で、喜びも大いなるものに
★ 12月27日(日)10時 インドで働く三浦照男宣教師が来られます
★ 1月3日(日)10時 教会役員伊藤謙吉さんのお話です
★ その他、子どもや老人ホームのクリスマスもありますし、さまざまな機会と方法  によって、この大きな訪れを伝え、共に喜び合います。
            有志からのクリスマス献金 (1月10日まで。)
額はまったく自由です。方法は、封筒、郵便振替、郵送など、何でも結構です。
当教会では、インドの三浦照男宣教師や、庄内地方の教会支援中です。
  


Posted by 矢沢牧師 at 18:04

2009年11月22日

底なしの元気の人になるクリスマス

底なしの元気の人として世界を楽しもう
        2009年クリスマス ッセージ
                    荘内教会 矢澤 俊彦  
★ 幸せになりそこねた日本人  太平洋戦争の話をきくたびに、今がどんなに自由で恵まれている時代かを思います。戦争の犠牲になった人々の最深の思いも、その後の日本人が幸せになってほしい、ということではなかったか・・・・。でも戦後の私たちは今、に至るまで、どうも幸せではなさそう。考えてみればとっても不思議です。こんなに大きな自由を享受しているのに。
その理由。私見では、自由というものを使いこなせず、その中で溺れてるから。自分の欲望や不安に振り回されて、自分が見えなくなっているから。自分の弱さゆえに、聖書でいう「神ならぬこの世の神々の奴隷」になっているからです。せっかく解放されながら、心の中の敵に打ち勝てないからです。

★ 魚と水と宗教と  それで人間は古来宗教というものを求めてきました。それは
魚に水が必要なのとそっくりだと、私は思います。明治36年の鶴岡カトリック天主堂竣工式で、青年新藤豊吉が、「人にして宗教を離れんか、霊に於て既に死す魚にして・」と、名演説をしている通りです。祈りと信仰を去った現代人は、もう息も絶え絶え、水なき谷川であえぐばかりではありませんか。

★ 閉塞的人間  だから、なかなか自分の声が出ません。周囲の人との係わりを
まだ避けたがります。自我の力が弱く、人と関わるという冒険に乗り出していけない。気になるのは自分のことだけです。だから自分に目隠しをして、なるべく周囲世界も、そして自分自身さえ、見ようとしてないみたいなのです。
したがって、こんなに豊かな情報があふれているのに、その情報に耳をふさいでいるのではないか・そこで日本は開国していながら、文化的情報的に「鎖国状態」だといわれるのです。・・・・・。
でもクリスマスによって自分が強められてごらんなさい。これらの閉塞状態はどんどん打ち破られて、すっかり解放された伸びやかで豊かな歩みを進めることができる。そうして私たちは「世界と共に」生きることができる。これこそ長く日本人が求めてきたものではないでしょうか。

★ 元気のおおもとをさぐれ  「元気をもらう」とよくいいます。これは元気というも
のが外からやってくることを意味しています。自家製の元気は長続きしません。でも外からもらう元気も、相手に依存していますのでとても不安定で移ろいやすい。でもそんなあり方で何とか生きているうちに、いつの間にか年を重ねてしまう。がんばれば疲れがたまるし、「燃え尽きそう」にもなります。そこで私たちに必要なのは、不変で恒久的な命の源泉です。その泉に汲めば、いつでも元気と明るさを回復する。・・・・そしてこの源泉こそイエス・キリストというお方なのです。

★ 心中の嵐は静まらない  しかし、このキリストを自分の救い主として受けいれる
には、自力ではもうどうにもやっていけない、というところに、いわば「追い込まれる」ことが必要です。でもこれは必ずしも特別な試練に置かれなくても、過ごしてきた自分の日々を振り返ってみればいいのです。私たちが日頃どれだけ他人や周囲世界を恐れているか、病気や事故や加齢に不安になっているか・・・それゆえに心の中の恐れと不安の嵐は、容易に静まることがないのではないでしょうか?もうこんなあり方を卒業したい、と腹の底から思うことが肝心なのです。そうでないと、いたづらに馬齢を重ねることになりましょう。

★ のら牛では困る  インドの町には多くの「のら牛」がうろついています。もう
乳も出ず役立たなくなった牛が放置されているのを見て、ギクリとさせられます。どこか私たちと似ている、と思うからです。
私たちの多くは、今の自分の存在価値についてそう自信を持っていません。今ここに自分がいていいのか、周囲の目も気になるのです。
それはよく「自己肯定感の不足」などといわれます。でもここで考えてみなければなりません。自分の存在感が乏しくては、人を愛することができないことを。全くできなくはないでしょうが、つきつめてみれば、自分がしっかり肯定されていないのに、どうして他人を肯定し愛するエネルギーが沸き出してくるでしょうか?子育てや介護などに関わる人は、このことで大いに悩んでいただきたいのです。自分の内部が空虚であれば、どうして人に積極的に向き合っていけるでしょうか?

★ 自殺はまわりをも殺す いったい私たちは人を愛することが出来るものでしょ
うか・・・・これは確かに大問題です。このことで思い悩み、自殺した人も昔から多い。私が最近書いた「なぜ人は死んではいけないか」という文に、ある人が感想を寄せ、「自殺することは、親や周囲に人を殺すことです」と記してくれました。それを見て私はこう付け加えたくなりました。
 自殺するとは親しい人だけじゃない、育ての親である神様まで悲しませる、慟哭(どうこく)させます。・・・・・でも殺すべきは、そうした自分の思いではないでしょうか。自分のこの苦しみは世の中の誰も分かってはくれない・・・という、その頑強な考えです。・・・・・もしもそう絶対化している自分が思い違いをしてるのであれば、そういう自分が誤っているのであれば、絶望することはありません。
キリストも、生涯の最後に、世界に絶望的になりながらも、こう祈りました。
「わが神、わが父よ、どうしてわたしをお見捨てになったのですか?」。
全き暗黒の中で、なお望みを神様につないだのです。
クリスマスの光を受けてごらんなさい。それまでの自分は死んで、新しい、それこそ人を愛せる人間に生まれ変われるのです。

★ 血の中を転げまわっていた  旧約聖書に、捨てられて血の中を転がりまわ
っていたあなたを、わたしは拾いあげて洗い清め、育てた、という言葉があります(エゼキエル書)。まさに数々の試練でのたうちまわってきた私たち。でもそういう中からしっかり拾いあげて、大きくしてくれるのが、お生まれになった主イエス・キリストなのです。

★ 喜びのビールスが地球を救う    最も弱い者も強くしてくださるイエス様を
迎えた心は楽しくてうれしくて仕方なくなります。初めてこの世界をじっくり眺めてエンジョイできる。もうおどおどすることはありません。自分の足ですっくと立ち、周囲を見聞きする快感といったらありません。
まわりの人々がなんともいとおしくてかわいくて、助けたくて仕方がなくなる。与えられた光を、どんどん働きかけ、生きる喜びを伝えていく。っそういう人々が増えてくるにつれ、その元気と明るさはまるでビールスのように広がっていく。もろもろの人間悪のためにすっかり追い詰められているように見えるこの地球を救う道は、これ以外にはない、と思いませんか?そのための出発は、まず誰でもいい、一人の人が新しくなることです。これを私は「新人類の誕生」と呼びます。

★ 果敢なる北t岳草の激励  最後に・・・・日本で2番目の高山に咲く北岳草は
約2万年も前の氷河期にそこに移ってきたといわれます。してみると・・・驚きます。彼らは今日までの長い間、全くといってよいほど、人間の目に触れられてはいない。あの高山の豪雪や冷たい強風に耐えながら、美しい花を咲かせ続けてきたのです。
芭蕉の「山路きて何やらゆかしすみれ草」のすみれは、まだ幸せなのか。でも人に全然認められなくても、天を仰いで咲いている北岳草に、大いなる拍手を贈りたいのです。大きな勇気がわいてくる話です。
  (鶴岡市本町3丁目5-37 日本キリスト教団荘内教会牧師・同保育園長)
  


Posted by 矢沢牧師 at 19:08

2009年11月15日

楽しい議論のできる町に

        対話 楽しい議論のできる町に
                               矢澤 俊彦
            また無口になった日本人
B 我々はどうも議論が苦手なのか、あまりしないね。
A うん、議論討論だけじゃなく、最近ますます無口になっていないかなあ。特に男たちがね。おしゃべりと笑いが少ない。テレビではうるさいけどね。
B 食堂なんかに家族が入ってきても、ろくに話もしない。親も子も、それぞれの雑誌や新聞を見てます(笑い)。普段も多分あんなものなんでしょう。
A そのレストランやスーパーでも、働く人はみなテキパキとして見事なんだけど、どこか自販機みたいで人間に触れる感じがしない。これは長く英国住まいの人の感想なんだけど。あちらではまず挨拶するし、ちょっとした会話も楽しむんだそうです。
B こちらでは会議でも終始黙りこくっている人が目立ちます。みんなで意見を出し合って何か決めようという時に下を向いてメモしてる。あれ時間の盗人だ(笑い)。
A でも会議の空気として、とかくどこか質問や意見を言い出しにくいものもありますね。批評がましいことは歓迎されません。批判は陰でしかいえない(笑い)。
それと私が考えるには、まず基本的にはそんなに会話や議論を必要としない「仲間社会」があった、ということです。つきあいの相手も少なかったので、およそのことは見当がつく。よけいなことを聞くと「察しが悪いヤツ」ということになる(苦笑)。
B それで男の無口が発達したのかなあ。ウンとかスンとか言ってるだけでも暮らせる(笑い)。・・・・とにかく「おしゃべりの人」はここでは警戒されますね。「巧言令色」」(孔子)とか、「沈黙は金」、「不言実行」・・・色々ありますね。

                城下町の風通しは?
A それは日本人一般の傾向だけど、さらに鶴岡に話をしぼるとなんといっても城下町であることです。
B といいますと・・・・?
A 手短かにいうと、とにかく江戸時代の約300年間は「お上」の支配があって、やたらなことはいえなかった。みんなが集まることも「ひろば」も禁止。武士も職人も農民なんかも無口だったと思う。さらに士農工商で町も住み分けがされ、相互の交流も少ない上に、外部世界からも孤立し勝ちで、いわゆる「風通しの悪い」閉塞的社会だったのではないか?
もっともこの点私も確信はありません。荘内藩時代の実際はどうだったのか、詳しい方にお聞きしたい、と思います。
B でも他方城下町には、それなりのいい気風があります。我々が思う以上に平和的で、住み心地はよかたのかもしれない。殿様との関係もよかったし・・・。
A ええ、それはもうそうでしょう。「重厚にして沈潜の風」なんてよく言われますし。藤沢周平作品にも、いい面が出ていそうです。それと今思い出して面白く思うのは、明治の中ごろ、ここにやってきたキリスト教の伝道者の次のような観察です。
  「鶴岡は古風の盛んなる所、彼等の所謂学者先生なる者は、礼儀三千威儀三百の中に高く標置(ひょうち)して、一顰(いっぴん)一笑を惜しみ、軽々しく人に下らざるを以って理想とし、一般人も然か信ずるが故に・・・。
(『鶴岡の荘内教会宣教物語 295ページ』
B (笑いながら)これは面白い。当時の誇り高い人達の姿が見えるようです。明治
半ばにしてまだそういう雰囲気があったんですね。・・・・でも現在は、当時から又100年経ったんですが、まだ封建時代の空気が清算されないでいるのでしょうか?
A うーーん、無論今は体制も一般の考えも一変しているはずです。でもまだ維新以来150年ですから、我々の心の無意識のレベルではどうかなあ・・・。「こと挙げしない」というか、モノを言って周囲に波風を立てない」という傾向はあるでしょう。
B その波風が立たないと議論は始まらない(笑い)。
A それに大正昭和の軍国主義の時代が重かった。治安維持法なんかが象徴的な圧制のもとで。人々から笑いと自由な言論が消えたのです。

                まだ自分の声がでない
B なるほど、不幸が重なりましたね。でも戦後の大転換で、憲法も新しくなりましたが、さあ、みんなどれだけ自由に話ができるようになったでしょうか。?60年以上も経過したのに、現状はまださびしいです。
みんなまず「自分の声」が出てません。社会的発言をする人も多くない。政治も結局は一部の人に「お任せ」。議論討論については、福沢諭吉の「万時公論に決すべし」という理想からは程遠い感じがします。
A うむ、同感です。どうしたらいいのかなあ。闘い撮られた民主主義ではなかったから、その定着には時間がかかる。とはよく聞かされているんですが・・・・。
ただもう一つの不幸は、戦後の復興のための多忙とゆとりのなさです。これは仕方なかったにしても、国民が立ちどまって考え、内面性を養うことが阻害されました。

                内面性を養うフランス人
B フランスで30年も暮らした森 有正という哲学者が、あそこの町では、どんな人でも、そこらの店員さんやお手伝いさんなんかでも、何事によらず、しっかりした意見を堂々のべるのに驚いています。
A そう、そういう力がどうして養われたか、それを調べてみたいですね。多分あの作家リルケなんかがいう、深い孤独の中で、時間をかけて、自分の目や思想を育てていった結果なのかなあ・・・・・・。
B そういえば、北欧のノルウェーなどでは、裁判にその地域の人が加わるようになってから、もう100年以上にもなる、と最近テレビで見ました。
犯罪が起こるのを、その地域の問題だ、と考えてるんですって。あの地域連帯の発想はすごいですね。番組に出ていた確か町の床屋さんだったか、調停委員の口調もしっかりしていて、裁判官顔負けみたいでした。
A まったくです。各個人が自立しながら、隣にいる人達のことに眼をやっている。教育や福祉も、政府に頼らないで、自分たちのことと考えている。
B 日本は今、地域も社会もバラバラ。まず個々人が弱すぎます。主体性ある人間を、なんていわれてから久しいのですが、これまでの「多忙」からいささか解放されつつある今、もう一度腰を落ち着けて、この課題と向き合わねばね。内面がひ弱で傷つきやすいんでは議論に耐えられません。それだけに人と関わるのに、神経質になったり遠慮が強すぎたり・・・「対決」を避けて「まあまあ・・「ってことになる。
A そう、だから自分を鍛えねばならないんですが、これは普通考えられているより難しい。さっきのフランスの例のように、一人一人がしっかり自分の眼でモノを見聞きして、じっくり考える習慣を身につけねば・・・。。そうするうちに。かなりの時間がたってみると、いつの間にか、自分の思想らしきものができてくる。それはもうその人のもの、どんなにエライ人の前でも、論陣を張ることができるでしょう。
B そんな国になればいいなですねえ。今はちょっと言いかけて、人の視線で引っ込んじゃったり、肩書きある人の前でオドオドしたり・・・・。
私は今年鶴岡にきたアメリカ先住民の社会では、肩書きなるものが全然通用しない、と聞いて、すごく人間的なものを感じました。

            自己主張とわがままと「和」
それから身近かなことですが、学校のクラスでよく発言したり質問したりする生徒がいじめられるなんてことを聴きます。
A それがあるとすれば、もう本当に困ったこと。その「「質問を歓迎する文化」ってものが日本にこれまでなかった。人に自由にモノが聞ける国になったらしめたものです。このことについてはまた別に記してみたいですが・・・。
B それと正当な自己主張が「わがまま」と捕えられる雰囲気があります。保育園なんかでも、それに注意してるんですが・・・・。
いわゆる「和」の大切さをいうのも、自己主張の習慣が成熟していないと、個人をつぶす原理になります。「みんな仲良く」とか、「和をもって尊しとなす」が最初にくるとこわいことになる。これは中々理解してもらえませんけど。自分の声を出すのは、決して悪いことじゃない、と大声でいいたいです。
A 何が本当の民主主義なのか、まだまだ勉強したいです。それは決して単純な多数決主義ではない。まず人間の尊厳という感覚を養う、真理は意味ある対話によって近づける・・・・なんて習いましたよ。問題をしっかり考えぬく習慣がないと、いわゆる「衆愚政治」に転落する、というあのも思い出しました。う。
B 彼の哲人王なる理想では、最高の知恵ある哲学者の王様が最善だと言う。う・
A でもそうもいかないので、国民も、上から下まで、懸命に知恵を求めて哲学に励まなくては・・・・(笑い)。ただの人が3人集まっても、文殊様の知恵は出てきません(笑い)。
B 考えるほどに民主主義って大変なものですね。でもとにかく今私たちがもっている憲法は素晴らしい。「天与のもの」という思いがします。今の時代はあれを基礎にして、随分よくなってきているんじゃありませんか。まだ課題山積ですが、希望があります。

               討論議論の大事な時代がきた
A そう、そこで気分のいい議論討論ができるようになりたいですね。それによってこそ、社会の進歩も期待できるわけだし・・・住民も多様化してますから。
B もはや察し合いでは済まない。「ことば」や討議の重みが増してきました。
A 「マニフェスト」だから守らなくては、なんていうのもその現れでしょう。
B 国際化も急速です。そこで、たとえば鶴岡の市議会あたりから世界をも動かす雄弁家でも出てくると痛快だということ。いわゆる弁論術など発達しなかった風土からね。それに段々外国人の議員さんなんかも出てきていいのでは・・・?
A 楽しくなってきました。とにかくいろんな人と、遠慮なく交流や議論が出来れば、町も活性化するし、住み心地倍増でしょう。
B それにはいろんな「おしゃべり場」もいりますね。でも気持ちさえあれば、いろんな場所に広場ができそうです。
イギリスのどの町にもある、いわゆる「パブ」ですね。あれはただ仕事が終わった男達が一杯やるだけじゃない。昼間から老若男女、色んな人がきて情報交換する社交場なんだそうです。そんな議論の場と習慣が日常的にあるというのは羨ましいです。
今日は随分色々考えさせられて楽しかったです。こんな話し合いを、これからもどんどんしていきたいです。日報でも、紙上討論なんかあるといいですね。
(鶴岡市 本町3丁目5-37 日本キリスト教団荘内教会牧師・同保育園長)
  


Posted by 矢沢牧師 at 18:03

2009年11月09日

自殺をとどまる理由は?

なぜ死んではいけないか       
悲しみは人間進化の道程です
                            矢澤 俊彦
★ 余りに美しい自然  苦しくて悲しくて死にたい。・・・・・・でもなぜ自殺してはい
けないのでしょう?それはまずこの世界があまりに美しいからです。それを満喫しないのはあまりにもったいない。たとえば山上で仰ぐ朝日、周囲の銀嶺、日本海に輝く夕日・・・これだけでもこの世界は今自分が思うほど悪くはないのでは・・・・という予感がしませんか?
美しい自然はいたる所に見つかります。天を突く羽黒の大杉、道ばたの名もな
き雑草・・・・あるいは高山の花。あんなにひどい環境で・・・しかも人の近づけない深い谷に、この世のものとも思われないきれいな花が堂々大空を向いて咲いています。、

★ 一人咲く高山の花  北岳草のことをテレビで見て驚きました。日本第2の
高山を飾るこの花は、なんと2万年くらいも前の氷河時代に、北の果てから旅をしてきてここに住み着いたというのです。でも人間がそれを発見したのはつい最近。それまでの途方もない長い間、彼らは黙々と、ひたすら天を相手に生き続けてきたのです!豪雪や強風に負けないで・・・すごいなあ、と思います。

★ 生き物の賞賛すべき努力  動物たちにも全く驚かされます。砂漠にも花は咲
き、いろんな動物たちが生息しています。深く潜行したり、地下茎をのばしたり・・・生きるためのあらゆる工夫がそこにあります。しかもそれはみな何百万年という月日の営々たる努力の結果なのです。空飛ぶ鳥も、地をはうけものも、海の中の無数の生き物も、どれ一つをとっても無限の努力、生きるための試行錯誤と進化発展の繰り返しの結果なのです。それはそれは見事な努力で、これを味わうだけでも大きな激励を受けますよ。それを明らかにしてくれる現代生物学者に拍手したくなります。

★ 実はリッチなあなた  あなたはそんなこと自分には関係ない、と言われるか
もしれない。でも私たちが吸う空気、ほほに当たる風、口にするわずかのパンだって、この大きな舞台あればこそなんです。すべては私たちが生きるために、造物主から無償(ただ)で与えられている巨大プレゼントなのです。
私たちは貧しい、自分はすべてを失った、というかも。でも深呼吸しながら、全世界に向かってあなたの手をかざしてごらんなさい。随分「リッチな気分」になるでしょう。

★ 浜辺の砂のような好意が  でも世の中はめちゃくちゃじゃないか、冷たい陰険で邪悪でひどい連中ばかりじゃないか、と言われるかもしれない。確かにそんなふうに見えるところがあります。でも仮にそうだったとしたら、私たちは、今こうして生きながらえてはいなかったでしょう。どうして?それは・・・・自然界に劣らず、人間の世界からも、私たちは絶え間なく、無数の無償の好意を日々与えられ続けているからです。

★ 育ての心が世界の内奥(ないおう)に  私は保育園長をしながら、赤ちゃんや
幼児たちが毎日、また時々刻々どんなにして世話をされ、声をかけられ、笑顔で包まれているか、を見ています。一人の子どもにたった1日でも、いったいどれだけの注意、配慮、思いやりなどが向けられていることでしょう。それとて万全とはいえないでしょうけれど・・・・。
世界を保持する善意  しかしとにかく その後、今日に至るまで、私たちは周囲の人々の無限の「好意」の山に囲まれている。それは浜辺の砂よりもはるかに多い。それらの多くが、もう記憶から消えているだけです。その巨大な思いやりの集積体なくして、今の私たちお互いのいのちもなかったに違いありません。もし受けてきた恩を返そうとするなら、6千年の労働が必要だという聖書の指摘もあります。
 この世界には悪がのさばり、暴虐非道が満ち、許せない矛盾や悲しむべき痛みがあふれています。でも注意してみると、そのおおもとのところは、決してデタラメではない。生き物を、そして我ら人間一人ひとりをはぐくむ、大いなる「育ての心」が支配しているんです。お母さんが子に向ける笑顔、これこそこの世界の一番奥にある偉大な精神なのです。これあるがゆえに、この世界はこうして崩壊しないで保たれているのです。

★ のけものにされるつらさ  私のつらいのは、そんな大げさなもんじゃない。仲
間に入れてもらえないだけです、とあなたは言われるかもしれない。でもそれはもう、とっても分かる理由です。もう遊んであげないから、といわれる。のけ者にされる、お前なんか「出て行け」といわれる。役立たずどころか「お荷物」、自分なんかいないほうが世のためになるなんて考える。
  その気持ちは私も(あなたほどではないでしょうが)痛いほど分かるつもりです。仲間から、愛する人から相手にしてもらえない、「引き離される」つらさ、なんという役立たずだ、とメッセージされる悲しさと孤独です。

★ 悲しみと人間の進化  でもそこで踏みとどまってほしい。実は、そのあなたの悲しみ悩みには、もう無数の先輩人類たちがいるのです。すぐれた芸術家の多くは、苦しみにめげないで、踏みとどまった人達です。踏みとどまりつつ、それを結晶させて、本ものの人間に飛躍していった。悲しみが彼らを進化させた、といっていい。だからその作品はみんな悲しむ人たちを慰めるため、そしてあなたの人間としての「進化」のためにあるようなものです。
これまでの自分に死んで、新しい、より大きな人間になるチャンスなのです!

★ 見捨てぬ神仏の叫び  さて、最後の頼みは、神仏の慈悲です。優れた宗教は
すべて、あなたは捨てられてはいない。目には見えないが、あなたに火のような熱い愛情が注がれていることを叫んでやみません。その愛情は、人類70億分の1に分断されているのではない。それは今あなたひとりに注がれているといっていいほどです。優れた先生に接すると、どの生徒も、自分は目をかけられている、と感じるものです。「太陽をひとりじめしている子ども達」と銘うった写真を見たことがあります。貧しい中で輝くバングラデシュの子らでした。

 ★ 周囲が違って見えてくる  自分がこの永遠からの熱い視線の対象であることを知るとき、私たちは初めて生きていることを心から楽しめるようになってきます。現実の濁流のような流れの圧迫の中で、まず首一つでも出せるようになる。するとそれまで自分を苦しめてきた世界を少しゆとりをもって眺められるようになります。やがて周囲がまるで違って見えてくるかもしれません。自分をいじめてきた連中もあれで必死だったんだ、とどこかゆるせるような気持ちになるかもしれない。懸命に生きている仲間たちが、とてもいとおしく感じられてきて、みんなを少しでも助けたくなってくるかも。・・・・・・いや、自分はもう何もできないが、そう心に思うことはできます。少なくも、自分の置かれた現実と、雄々しく戦う力が出てくるでしょう。これだけでも大きな社会貢献だ、と思いませんか?・その闘いを天からの暖かい目がじっと見ています。・・。

★  世界遺産よりも  現実は相変わらず過酷です。聖書にも「血の中をころげま
わっていたあなたを、わたしは拾いあげ、育てた」という言葉があります。試練の連続の中で、地にはいつくばっているような人も、、きょうしっかり拾い上げてくださる方がおられるという・・・・・。
尊い多くの「世界遺産」・・・でもそれらより大事なものがあなたのいのちであり、お互いのいのちであることを、繰り返し考えてみようではありませんか!
    (鶴岡市本町3丁目5-37 日本キリスト教団荘内教会牧師・同保育園長)・
  


Posted by 矢沢牧師 at 09:49

2009年11月08日

情報はプランクトン ②

情報はプランクトン ②
         常に気をゆるさず、すべての現象に眼を
 日々過ぎ行く情報の中から、私の心に深く語りかけてきたものからいくつか紹介しましょう。今回の多くはNHKのラジオ・テレビで見聞きしたもの、放送放映に感謝するとともに、出所を明らかにしておきます。   矢沢 俊彦
★ 引き出しを多く  「おれ面白いんだよ、それ
は強みだと思う。気が散漫だからいろんなとにに興味がある。だから引き出しがいっぱいある。作曲をするにも理論だけじゃダメ。それは何も生み出してはくれない。・・・最後は自分のインスピレーションでしょ。それを磨くには、常に気をゆるさないこと。すべての現象に目を凝らすこと、っそしてありとあらゆる音楽を聴くこと、たとえばクラシック音楽には無数のメロディがあるから。それから世界中の音楽・・・今もうどこのでも聞けるから・・・そうして引き出しをふやしてください・・・・それと体温、心のぬくもりです。それを伝えるのは言葉。言葉を簡単に使っちゃいけない。言葉こそ僕らの武器なんだから・・」(さだまさし)。。

★ 王子と勇気  自ら毒を飲み王子を救った従者マーリンは今や重症のお床に
。そこで王子は唯一の薬草を探しに、父王の禁止にもかかわらず、ひとり命知らずの危険な旅に。「未来の王が恩人を見捨てて、父の言うなりななっていいのか!」。イギリス人の理想も随所に出ていて興味尽きないドラマです。沢山のハラハラ、ドキドキとともに(NHK[魔術師マーリン]。

★ 「あらゆる壁の撤廃」  「囚人にやさしいノールウェー」の中で、ニルスさんが
、最後に声高かに呼びかけたこと。それは「人間の間のあらゆる壁の撤廃」でした。犯罪者とて特殊な人間ではない、普段着でつきあってみるとそれが分かります、まず周囲の隣人にもっと関心を持つことです、と。この「壁の全面撤廃」は、実はお釈迦様の掲げた理想であるし、無論イエス様の教えでもあることが思い出されました。

★ 移動する本やさん アムステルダム周辺を走るスクールバスのように大きな移
動図書館。保育士だったアンスさんの独創的挑戦で、子どもと本の幸せな出会いを届けようと、約3千冊の絵本や児童書を積んで、子どもたちのいるところへ出かけていく。そのすべては自分でしっかり確かめたもの。だから子ども一人一人の希望にも適切に応じることができるステキな読書アドヴァイザーだ。。出かけた見本市には、国内から200の出版社がブースを構えていました。彼女はオランダ中をまわりたい、と意気込んでいます(NHK)。

★ 悪を創造する人間  人間の一番大きなの創造物(発明)は「悪の世界」でしょう。動物には善も悪もないですよ。人間だけがそういう二つの世界を持っている。なぜ人間は悪の世界に惹かれるんだろう。よく分からない不思議なものですが・・・一つにはやっぱり人間独特の欲望かなあ、という気がします(河合雅夫)。

★ 紅葉の苦しみ  秋の紅葉はですね。あったかい日差しと急さ寒さがあるとき
、とてもきれい。それは日光を受けて光合成(こうごうせい)でできた養分が葉っぱにいきわたった時、寒さがくる。すると樹木が耐え切れなくなってやむなく葉を落とす。あの色とりどりは、枝に戻れなくなった養分たちの最後の輝きなのです。都会のもみじがさほど美しくないわけもお分かりでしょう。(ラジオビタミン)。

★ 豆記事  あの南アフリカのネルソン・マンデラは、なんと27年も獄中に幽閉されていた。そういえば、ミャンマーのアウンサン・スーチーさんも、もう何円年「自宅軟禁」(ハウス・アレスと)されているのでしょう。
あほう鳥は3ヶ月で2万キロも旅をするという。いずれも大変なエネルギーです。

★ 笑いの効果  らろえ作為的笑いでも健康にいい理由。心から笑うのと同じ作用が脳に伝わり全身を活性化させるから。その脳がドンなんですね。だから毎日なんでもいからとにかく笑うことです(山口考子)。

★ 北t岳草 日本で2番目の高山に咲く北岳
草は、約2万年も前の氷河期にそこに移ってきたといわれます。してみると・・・驚きます。彼らは今日までの長い間、全くといってよいほど、人間の目に触れられてはいない。芭蕉の「山路きて何やらゆかしすみれ草」のすみれは、まだ幸せなのか。でも人に全然認められなくても、天を仰いで咲いている北岳草に拍手を贈りたい。


  


Posted by 矢沢牧師 at 12:24